ごあいさつ
信天翁通信
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信天翁通信No.453 2026年8月28日(金) ★「0.1mm数学が好きになった」ほんの少しでも数学が好きになったのならよかった。量をやらせるのは嫌いです。少ない練習でより効果かある方法,「学問に王道なし」といいますからそんな都合の良いものはないとは思います。しかし,パターン演習をすれば問題数が少なくとも効果が上がるのではと思っています。ただ問題のパターンをどう分類するかをよく考えなければ効果は期待できないと思います。私が簡単にできるパターンの分類は子ども達の間違いを基準にすることです。それなり長く塾を続けて子ども達の間違え方を見てきました。今も昔も間違い方にそう違いはありません。ある意味簡単にパターンの分類ができます。 後はパターンに合った問題が必要です。問題集を捜すのですが問題集のパターンは私の考えるパターンと一致しません。自作もしましたが,一定数を作ると同じような問題ばかりになっていきづまってしまうということの繰り返しでした。 こんな状況から抜け出すのに役立ってくれたのがAIです。パターンを決めておくとAIはとても便利な道具です。私の設定したパターンに合わせ文句も言わずに何問でも作ってくれます。数学であれば思いもよらない組合せの数や文字を使ったりして問題を作ってくれます。英語など習った単語かどうかを私が考える必要はありません。AIに指示さえすれば単語を選んでくれます。 AIを利用して作成したプリントを使い数学を0.1㎜だけとはいえ好きになってくれたのであれば作り甲斐があるというものです。もっと上手に使い,数学や理科の法則や英語の文法の説明ができればおもしろいと思っています。 しかしながら「すべて良し」とはいかないと思っています。まずは指示の出し方を上達させなければなりません。AIが勝手に解釈をして私の目的とは関係のないことを出力をします。指示のために一つ一つの言葉を選ばなければならないのは頭の固い子ども達に説明をすることに似ているといえるかもしれません。私の言葉の練習になっているのは間違いはないでしょう。 役に立つのはいいのですが今まで以上に画面をにらむ時間が長くなっています。視力が落ちてきていますから遠くを見るなど心掛けなければと思っています。 上手に使えれば役に立つAIなのですが様々な問題もあるようです。今朝の新聞にありましたがアメリカのAI大手メタがSNSのインスタグラムとフェイスブックが若者に悪影響を与えたとして賠償金を支払い18歳未満には利用制限を設けるという記事がありました。 若い人達がAIを悩みの相談に使うということも聞いています。生身の人間ではなく道具であるAIに人格があるような錯覚を持つ人がいるということも問題になっているようです。 「電卓は人に比べて難しい計算を素早く正確にこなす。しかしこれをもって電卓はすごいと思う人はいないでしょう。ところがAIが何でも答あるいは答らしきものを出してくる,人は感心してすごいという。どちらも単なる道具であることには変わりがないのに不思議ですね」わたしの知り合いの方の言葉です。
AIが無くなるとは考えられません。私のように齢をとってからの新規のお付き合いはつらいものがあります。子ども達はというと先輩も先生もいないような状態でのスタートかもしれません。行先のわからない道の先頭を走っているのかもしれません。自分たちで道を作っていくしかないのかもしれません。何かアドバイスができればと思いますが,私のほうが物知らずですから無理な相談です。私は少しでも使いこなせるように頑張るから,君たち子ども達も頑張れとしかいえないようです。 |
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信天翁通信No.452 2026年7月29日㈬ ★夏休みになりました。それぞれの中学で課題が出されています。定番の課題は国語の漢字でしょうか,出される漢字が異なっているだけで中学や学年が違っても内容は同じようなものです。英語も定番の課題ですが内容が変わってきています。 国語の漢字と同じように英単語を書かせるものばかりでしたが,数年前から単語だけでなく英文を書かせるようになってきました。単語は文の中にあってこそ意味がはっきりしてきますし単語の使い方も覚えることができます。文を書かせるのはよいことだと思います。そしてただ数回書かせるだけではなく,その練習のやり方を指示している学校もあります。 理科や社会はワークを仕上げるような課題が増えました。以前はレポートを書かせる課題が多かったのですが少なくなったようです。AIにお任せすれば簡単に誰でもレポートが書ける時代です。レポートは先生の負担が多きいでしょうから,先生の働き方改革なども関係あったりしてなどと思ってしまいます。ワークであれば子ども達にはすることがはっきりしていて勉強としてはやりやすいと思います。子ども達の負担軽減にはなるでしょう。 ただし,最近のワークには別冊のノートがついています。解答用紙をまとめたようなものです。別冊ノートに答えを書きそのあと本試でもう一度問題を解くことができる。 よく言うと「二度やればより覚えることができる」,本当を言うと「ノートを付加価値としてつけることで高く売れる,生徒減の時代に売り上げを伸ばせる」。さてどうなのでしょうか。 子ども達が問題を解いているのを見ている私の立場です。 • 子ども達がどの問題を解いているのかがわからない。 • 子ども達が答合わせをするとき,問題の文を確認しにくい なぜ間違えたのかを確認するのに手間取る といった理由で効率が悪くて仕方がありません。 「二度やる」,私は嫌です。昔と違って便利な道具がたくさんある時代です。本紙に赤ペンで書き込めば赤シートで隠せば何回でもできます。フリクションというペンは書き損じても消すことができます。別冊など必要ないでしょう。 こんなことを言っても仕方がないのですが,子ども達の負担軽減になればと思いました。 ★ワークを二度やるで思い出すこと。何度か書きましたが,部活の長時間の練習と同じようにワークを何回もすればできるようになるという「量に対する信仰」があるのだろうと思います。 国を代表する人が「1日の睡眠時間が0~3時間」などと労働時間の長さを自慢するような国です。量に対する信仰があっても仕方がないのかもしれません。 長時間労働,よく言うと「労をいとわず働き者である」,本当を言うと「能力がなく短時間で仕事をこなせない」。 確かに勉強は繰り返し練習し覚えることが大切です。しかし,人によって覚え方は様々です。音読するという人がいれば,何回も書くといった人もいます。どのようなやり方で覚えると効率がよいかとは人それぞれです。自分に合った方法を考える必要があるのではないでしょうか。公民で働きすぎないようにという「ワークライフバランス」といった言葉が出てきます。勉強時間を長くしたい子どもはあまりいないと思います。効率よく勉強をし,自分の時間を持てるようになればいいのではないでしょか。 夏休みは自分の時間が十分にあると思います。有効に使って子ども達がよい休みを過ごしてくれればと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
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信天翁通信No.451 2026年6月29日㈪ ★定期試験が終わりました。「よかったかい」やはり点数が気になりますから子ども達に聞いてしまいます。点数の話になると昔の子ども達のやり取り,「テストできなかった」「何点だったの」「92点」を思い出します。100点満点の92点であれば,よくやったとして自分に〇をつけてもいいと思うのですが,その子は納得がいかなかったのでしょう。 試験の点数に自分の物指しがあっていいと思いますが,試験には85点以上が5というような世の中の物指しがついています。 92点の子は満点を目指したのかもしれません。上を目指す・完璧を目指す,悪いことではないと思います。しかし神様ではありませんから人間が間違えるのは仕方のないことです。子ども達に「満点は何かの間違いでとれるものだよ,間違える人間が間違わなかったということは何かの間違いだよ」とよく私は言います。試験は人を評価するためにあるものがほとんどですから,どうしても世の中の物指しで測ることになってしまいます。 「他人と比べる必要はない」とよく言います。しかし子ども達のまわりには試験のような他人と比べる物指しがあります。他人と比べるとなかなか自分に〇をつけることが難しくなるように思います。と言いながらつい「平均点は」などと私は聞いてしまいます。試験の難易度を知りたくて聞くのですが,平均点などは世の中の物指しの代表かもしれません。そもそも平均点が上がったところで自分の点数が良くなることはありません。 物指しの話は若い頃にお世話になった方から教えていただきました。「トマトにはトマトの実がなり,ひまわりにはひまわりの花が咲く」こんなことも教えていただきました。トマトにはトマトのひまわりにはひまわりの育ち方があります。考えてみれば当たり前のことです。しかし,世の中はそうそう優しくはありません。「こう育て,ああ育て」となかなかにうるさいものです。そして世の中の物指しを押し付けてきます。せめて世の中の物指しの種類がたくさんあって自分に合った物指しを選ぶことができれば良いと思うのですが,どうも世の中の物指しは種類が少ないように思えます。物指しを人に合わせるのではなく人を物指しに合わせようとしているような気がしてなりません。 「一人一人が自分の物指しをもって自分を評価する」そして自分に〇をつけることができればよいのではないでしょうか。 試験の結果が返ってきていることと思います。人は間違えると書きましたが,同じ間違いを繰り返すのはどうかと思います。間違いから何かを学び次に生かせるようにして自分に〇がつくようにしてほしいと思います。 ★国語の教科書…塾生に言われて初めて気がつきました。中学の国語の教科書の表紙に絵が描かれています。3学年の教科書を縦に並べると繋がって一つの絵になります。ネットで調べてみると宮原葉月というイラストレーターの作品でした。各学年にはテーマがあり1年生「出会い」,2年生「飛躍」,3年生「変容」だそうです。塾生はたまたま2学年分の教科書を置いてあったのを見て気がついたようです。持ち主である私は全く気がつかなかったのですが,絵心がないというか,子ども達の感性が鋭いということなのでしょう。面白みをあまり感じない教科書ですが注意してみると色々と工夫がなされているものだと感心しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
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信天翁通信No.450 2026年5月26日㈫ ★昨年の夏休み明けからでしょうか久しぶりにプリントを作っています。塾を始めたころはプリントを作るのは手書きでした。下手な字で嫌だったことを思い出します。ワープロが手軽な値段になると手入力に変わりました。変換ミスに気をつければ字の上手下手は関係ありません。最初はうまく入力ができず手書きのほうがよほど早かったものです。しかし入力にだんだんと慣れてくると,訂正など消しゴムの必要はないし途中の文字の挿入も簡単で便利でした。それからパソコンのワープロソフトになるといろいろな機能があって面白がってよく作っていたと思います。自作をしなくなったのは,入力が面倒になったことと塾向けのプリントのバリエーションが増えたことがあります。 それでも小学生向けは気に入った教材がなく,説明用のプリントの手作りを再開しました。これが一段落したというか行き詰ったというか,自作はストップしました。この後は表計算アプリをを使って説明用に表示させるものを作っていましたが,これは再開の望みはあまりないけれど,行き詰って休止中としています。 自作プリントの再開はAIがきっかけでした。読書感想文など簡単に作ってくれますから問題プリントだってすぐ作れるだろうという安易な発想でした。AIに指示をして作らせてますが、私が考えているプリントを作らせるための指示にはなかなか難しいものがあります。AIは言葉の意味を厳密に定義しているようです。人と人であれば「ああ,あれね」で済むようなことであってもきちんと説明しなければなりません。細かな指示が必要です。 実はこのくらいであればいいのですが,AIが私の指示以外のことを勝手にやってしまうことがありました。私が出力してほしい順番を勝手に変えてしまったりします。AIに「なぜ順番を変えたのか」と質問すると「論理的にはこの順番が正しい」と返ってきました。私の指示や考えよりもAI自身の論理を優先させたわけです。AIはしょせん膨大なデータを処理するだけのアプリですから,処理の仕方は人間がプログラムしているはずです。処理の仕方は利用者の利便性を考え利用者が良く使う方法や好む方法に日々進化させているのでしょう。私の好みが他の利用者と同じかずれているかはAIにはわからないことですから大半の人が好む方向に組み込まれた論理を使って出力するのでしょう。 このように利用者の好む答を返してくるということがAIで問題になっているようです。AIに悩みの相談をする人達がいることです。自殺願望の人がAIによって自殺に誘導されたという訴訟がアメリカであったそうです。裁判の結果がどうなったかは私は知りません。しかしAIは真実かどうかわからない,利用者が期待する心地よい言葉を投げかけるものであることは知っておく必要があると思います。 AIを使ってのプリント作りは,手直ししなければ使えないとしても,手入力の必要はあまりなく作業時間も短いので助かります。一度プリントを作れば,手直しはついてくるけれど教科書が改訂されるまで使える。ズボラ人間にはぴったりです。しかしテキストと違って,使う時に印刷をしなければいけません。これはこれで面倒です。何かを手に入れれば何かを失う,人間には手は二本しかありません。何もかも持とうなんて考えることが間違っているのでしょう。 ★修学旅行の時期になりました。すでに出発した学校もあります。話題になるのはお小遣いでしょうか,1万円のようです。2年生の宿泊学習でも話題になる大問題はだれと同室かという部屋割りのようです。全員が一部屋で大騒ぎした時代には考えられないことです。時代は変わり隔世の感です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー |
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信天翁通信No.449 2026年4月22日㈬ ★新しい年度が始まりました。中1は未知の世界である中学生活の始まり,中2はクラス替えで新しい同級生や担任となります。以前はあまりなかったように思いますが,中三もクラス替えがありどの学年も緊張感があります。 中三はいよいよ受験生です。志望校が決まっている子がいればこれからの子もいます。それぞれ高校に対して思うところがあるようで,「勉強をしなければ」という思いは十分にあります。そして修学旅行というイベントもあります。受験勉強という何だか重苦しいものの合間にワクワクする楽しみとして適当な息抜きになってメリハリのある学校生活になればいいと思います。張り切りすぎて息切れしないようにしてほしいと思っています。 中二は心機一転,再スタートといった感じでしょうか。中学生活にも慣れ落ち着いて勉強を始められることと思います。クラスだけでなく教科担任が変わったりして少し今までと違った対応が必要な面はあるかと思います。しかし要領はわかっているかと思います。周囲の様子がわかっていますから自分のペースを作って勉強や様々なことに取り組んでほしいと思います。 中一は何もかもが目新しく慣れるまでが大変だと思います。環境の変化についていくのが大変だとは思いますが,自分の体の声をよく聞きあまり無理をしないことが大切かもしれません。 私も毎年のことですが,「こうしよう,ああしよう」など考えますが半分も思うようにできたことはないでしょう。 視写,書く宿題は原稿を工夫し何とか続けようと思っています。原稿作りや問題作りにAIをもっと利用できればと考えています。なかなかAIは思うように動いてくれません。私の思うように作らせるには指示の仕方を学習する必要があります。言葉が足りないと勝手な解釈をして思いもよらないことをやってくれます。しかし,これは私が子ども達に説明することとどこか共通点があるようです。説明が何通りかの解釈が可能なようでは子ども達がどう解釈するかわかりません。私の意図がきちんと伝わる説明や解説が必要です。指示を修正しながらAIと対話することは私の説明能力の強化につながっているのかもしれません。AIとのお付き合いはそれなり必要とは思いますが,何よりも人間とのお付き合いが大切ですから子ども達への説明などよく考えていきたいと思います。 ★ある高校の卒業式で「蛍の光」「仰げば尊し」の斉唱があったことを先月書きました。昔ながらの曲を使っている学校はあまりないと思っていたのですが,別の高校でも使っているとのことでした。古い曲だと思いますが,まだまだ根強い人気があるのでしょう。 |