ごあいさつ
信天翁通信
信天翁通信No.443 2025年10月28日(火)
★先月から中学の定期試験が続きます。2,3年前は続くといっても1,2週間でしたが,10月末から12月初めと2か月ほどかかります。試験に限らず横並びだった日程が中学によって異なるようになりました。年間の定期試験の回数はほぼどの中学も3回でしたが,2回になったり4回になったりとばらついています。
回数については4回くらいあるほうがいいように思います。回数が少ないとあまりにも範囲が広くなり試験対策など意味がなくなってきます。まあ日々勉強しろということでは回数が少なくても問題がないといえばいえるのですが,やはり範囲が広いのは厳しいことです。また回数が少ないとミスを取り返す機会が少ないといったこともあるかと思います。その辺りは単元テストや小テストで救済してくれているのであればそれでいいのでしょう。
定期試験の日程に比べ科目数は減少の方向で、こちらはどの中学も足並みがそろっているようです。受験の五教科はさすがに減ることはありませんが,美術はほとんどの学校で試験がなくなり音楽もなくなってきているようです。そして定期試験は受験の五教科だけという学校が多くなっているようです。実技が伴う科目でペーパーの試験がなければ私の中学の内申点は間違いなく低くなったでしょう。こちらは救済措置が何かあるのでしょうか。
試験の回数や日程はそれぞれの学校の事情に合わせて決めているのであれば仕方がないのだろうと思います。科目数を減らすのも同じように何か事情があるのだろうとは思いますが,私のようにペーパーで実技をカバーする子には厳しいことだと思います。
それぞれの中学で事情が違いますから日程が違っても仕方ありません。定期試験の日程など子ども達にはあまり関係がないのかもしれませんが,日程のばらつきは試験対策を一度に済ますことができなくなって,ずっとしなければならない私には面倒なことです。
日程だけでなく勉強の内容や試験の出題形式も変わってきています。内容はずいぶんと多くなり難しくなっています。多くなった内容に対し授業時間数は変わらないと,どこか変だと思ったりします。どこかの首相が「ワークライフバランスを捨てる,働いて働いて……」と言いましたが,子ども達も「勉強して。勉強して……」ということなのだろうかと思ったりして。
出題形式も変わりました。実用,役に立つ勉強が強調され,太郎さんと花子さんの会話文を読ませるなど不思議な感じの問題文があったりします。日常をテーマにということは悪いことではないと思いますが,勉強ということを考えると本当に必要なことなんだろうかと考えさせられます。そもそも「役に立つ・立たない」などを勉強に持ち込むことがおかしいような気がしています。
役に立つから子ども達が興味を持って勉強する、と教育内容を考える人達や教科書を作ったりする人達が本気で考えているのでしょうか。もし本当に考えているとすれば何の専門家なのだろうかと疑いたくなってしまいます。子ども達の教育についての専門家ではないように思えます。教育の内容はその時の社会の状況や権力のある人達の影響を受けることは間違いありません。ですから、本当に子ども達のことを考えた内容になっているかどうかはわかりません。「役に立つ・立たない」といった言葉は子ども達、大人も含め人間を道具のようにしか見ていないのかもしれません。「ワークライフバランスを捨てる,働いて働いて……」壊れれば新しいものに取り換えればいい、そんなところでしょうか。なんだかぎすぎすして子ども達が暮らしにくくなりそうで嫌な感じです。大人も同じように暮らしにくい世の中だと思います。「役に立たない」でもかまわないので、楽しくワクワクする勉強になればいい、これはないものねだりなのでしょうか。