ごあいさつ

通信Back number2006年4月~2007年3月

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2007年3月30日(金)No.220

 算数と数学,中学になると名前が変わります。中身の何が違うのでしょうか?違うといえば違いますが,五年生と中一の教科書,そのどちらも,最後のほうの単元に「円」の勉強があります。

 小五は「円周と面積の求め方」の勉強です。「面積の公式;半径×半径×円周率(3.14)」は皆よく覚えます。いつも不思議に思うのですが,何故か「円周=直径×円周率(3.14)」の方は頼りないのです。似たような言葉が続くため,混乱するのかもしれません。そして,どうしてなのか長ったらしい面積の公式は子ども達の印象に残り,円周は忘れ去られてしまいがちです。英語の単語でも長いのにしっかり覚えていたりといったことがありますから,印象にどう残ったかの違いなのかもしれません。

 中学に上がると「扇形の弧の長さと面積」になります。ここでも円の面積と円周を使います。そして弧の長さと面積の公式,弧の二つもよく似た形です。似ているから覚えやすいのかというと,ここでも小学生と同じようなことが起こります。面積のほうは良く覚えますが,弧になると苦労なようです。まるで,小学校の混乱を引きずっているようです。

 式の形が似かよっているとか,混乱するには,いくつか理由があるかと思います。その一つとして思うことは,公式を覚えることが先行し,式の意味など考えないことがあるかと思います。面積は長さと長さを掛け合わせることによって求められます。単位もそのことを表すためcmの右肩に小さく2と書きます。小・中学校の勉強では単位の持つ意味はあまり重要視されていないこともあるかと思います。低学年から,人数とお金の足し算の式を平気で作ります。

 そして何よりもイメージを造るかどうかということがあります。中学で扇形の問題と書きましたが,小五の問題にも,実は,扇形が出てきます。中学と違って半円や,その半分の4分の1といった特別な扇形が出題されます。円の面積なりを求め,問題によって2か4で割れば答えが出ます。当然,中学では色々な扇形が出題されますから,公式を使って求めます。そして,時々小学校と同じ4で割れば答えが出る扇形の問題があってもほとんどの中学生は公式を使います。同じ答えが出てくるし,「同じことを同じように」という私ですから特に問題がないのです。しかし,小学校の時と同じ問題だとか,円の4分の1だとか思わないのだろうかと,つい思ってしまう私です。

 同じ意味を表す言葉はいくつかあります。日本語にするとどれも「見る」になりますが,微妙に違う英語の単語が幾つかあります。「同じ意味なのだから1個でいい」と子ども達がよく言います。しかし,人間は,よく使うものなど自分に必要で身近なものほど,その場面にふさわしいように細かく表現を変えるようです。日本語としては「お米」でしょうか。田んぼにある時,だれもご飯が植えてあるとは言いません。

 同じように数の世界でも同じことを言い換えること普通にあります。しかし,子ども達の中には,なかなか難しいこともあるようです。例えば,2分の1と0.5が同じで,1の半分であることが共通のイメージになっていないことがあります。アナログの時計を見れば,ほとんどの子どもが,30分が1時間の半分で2分の1時間であることを納得します。でも,数学の問題として出るとそうは簡単に行きません。

 頭の痛い点は,子ども達自身が,勉強でイメージを膨らませることの必要性をあまり感じていないように思うことです。如何にイメージを持たせ感じさせるか,まあ,私の仕事ではありますが,厄介なことです。言葉や文字で表せないところに歯がゆさがあります。

 数字で角度が正確に表されますが,円を幾つに切り分けたかはそう簡単に結びつくはずもありません。しかし,そんなことを思うようになって欲しいと思っています。思うことから始まるのだと思います。そのために何をするといいのか,考えないといけない私です。

★公立高校の発表がありました。それぞれに進路が決まりました。春,新しい学校や学年の始まりです。子ども達に希望や不安があるかと思います。成長していく子ども達です。今までよりもっと,アンテナを張り巡らせ,豊かな世界に接して欲しいのと,そして私も子ども達の豊かな世界のどこかに,小さくてかまいませんが,存在できればうれしいですね。

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2007年2月27日(火)No.219

 食欲,もし,なければ食べようとは思いません。寝ていても何をしていなくてもお腹はすいてきます。お腹がすけば食べたいと思うように,健康な人の身体はできています。健康であれば,何も努力をしなくても,自然と食欲はわいてくるようになっています。しかし,何かをする,例えば勉強をする,となるとそうは簡単にいきません。

 広辞苑を引いてみると,「【意欲】積極的に何かをしようと思う気持ち。種々の動機の中からある一つを選択して,これを目標とする能動的意志活動。狭義には,当為に対する主観的傾向性すなわち任意,恣意を意味する」。ついでに【意志】も引いてみました。「【意志】ある行動をとることを決意し,かつそれを生起させ,持続させる心的機能。物事を成し遂げようとする,積極的な志」とありました。何かをしようとする【意欲】を持つためには,物事を成し遂げようとする【意志】が必要なようです。広辞苑の説明をつなぐと,こうなるのでしょうか。しかし,【意志】はどのようにして持つのでしょうか。

 ある高校に進学した卒業生(Aさんとしておきます)がいました。Aさんが進学した高校は中学入学の時から進学すると決めていた高校でした。そして, Aさんの中学入学時の成績は目標とした高校には,届かない状態でした。Aさんの話を聞いていた,おばさんや私はかなり頑張らないと厳しい,途中であきらめるかもしれない,そういう子の方が多い,と思ったものでした。しかし,Aさんは諦めるどころか,意欲的に積極的に勉強に取り組みます。一緒に勉強をしていた子ども達と比べ,定期テストの対策に限らず,取り組む姿勢が際立って違っていました。何しろ,私達はAさんに試験範囲などを確認して勉強の内容を決めるくらいでした。つまり,Aさんはどこが試験に出るかといったことをよく把握していたのです。そんな調子ですからAさんの成績はどんどん上がりました。

 Aさんのような子は,他にもいました。Aさんだけが特別とは思いません。たまたま,Aさんの時には,同じ高校を目標とする,もっと成績の良い子がいました。ところがその子は途中で諦めて目標を変えてしまい,成績は逆転してAさんの方が良くなりました。そんなこともあって,Aさんは私達の印象に残っているのだと思います。

 目標を定め,意志を曲げず,意欲的に勉強をする。当然テストの時だけの俄か勉強ではありません。普段からコンスタントに勉強をし,何をするべきかも良く考えていました。それをほぼ3年間にわたり持続したのですから,本当に頭の下がる思いでした。

 公立高校の受検まで,後わずかとなりました。当たり前すぎることになりますが,「合格するのだ」というしっかりした意志を持ち意欲的に学力検査・面接に望んで欲しいと思います。結果は後からついてくるでしょう。

 そして,これから受験生になる1・2年生は具体的な目標を持てればいいのではないかと思います。

★「やる気」とか「頑張る」とか,好きではない私です。そんな私が,意志を持ち目標を定め,意欲的に物事に取り組む。少し気恥ずかしくて,言えるようなことではないかもしれません。しかし,「意志」や「意欲」といったことは「生きて」いくために必要なことです。

 そして,大人である私は,どう子ども達と接すれば,意欲的になるかということが問題です。意欲を持たせるのは難問ですが,失くす方向に持って行くのは簡単です。

 今までの経験から言えそうなことは,「禁止事項」・「やらねばならないこと」・「子ども達の先回りをする」こんなことを増やすと子ども達はやる気を失くすように見えます。

 子ども達のため,そう思って色々なことを大人は助言し実際に行動をしたりします。しかし,俗に言う「小さな親切,大きなお世話」が結構あるようです。子ども達はできる限り,自分の力で達成することによって自信を持ち,次の新たな目標にも向かっていく意欲を持つようになると思います。心配のあまり,子ども達に手を差し伸べる。必要なことも当然あるかと思います。いつ,どのような時にするのか,その絶妙のタイミングがあるかと思います。そのタイミングが図れるようになりたいものです。

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2007年1月26日(金)No.218

 二学期の終わり頃,たいていの中学で三者懇談が行われます。子どもを前にして,親と教師が本人の成績や学校生活について話します。思うに聞いている本人はどんな気持ちでしょうか。子どもたちの三者懇談に対する反応は様々です。ほとんど気にかけていない子もあればとても嫌がる子もいます。気にしないのは成績も良く特に問題のない子と思います。しかし,特に問題がなくとも,中学生ともなれば,子どもたちにも,親に知られたくない学校生活,あるいは教師に知られたくない家庭生活など,プライベートなことがあっても不思議ではありません。嫌がる気持ちもわかるような気がします。

 一方,親はどんな気持ちで教師のわが子に対する発言を聞くのでしょうか?私自身も我が子が中学生の頃,親として三者懇談には必ず行っていました。行っていましたが,わがままな親で,教師の話を聞くというよりは自分の言いたい事を言ってくるといった調子でした。ですから子どもについて何を言われるかとか,気にしたこともなく,子供についてどう言われたかもあまりよく覚えていません。わが子たちは,そんな親をどう思って見ていたのでしょうか?

 子どもたちにとって嬉しいのは,自分のことをほめてもらった時ではないでしょうか。こんなことを書いてきたのは,塾生のお母さんが三者懇談の席で,教師を前にして我が子のことをほめてしまったと聞いたからです。一人のお母さんは,子どもの成績が上がっていたので,教師の前で思わず拍手をしてしまったそうです。子どもは当然,成績を気にしますが,本人の思いや努力だけで成績が決まるものではありません。その子は,おとなしく自分をアピールすることが上手ではありませんでした。そのため,ランクを確保するのに苦労をしてきていました。お母さんはそんな我が子をずっと見てきています。そして,ようやく結果が出て,お母さんも嬉しかったのでしょう。そして,思わず我が子のがんばりに賞賛の拍手を送ったのでしょう。

 また,別のお母さんは「同じ年頃だった自分と比べ,勉強でも何でも我が子はよくやっている」とほめたそうです。学校は子どもを評価します。しかし,それは学校生活だけであり,子どもすべてを見ているわけではありません。そして学校の物差しで子どもをはかっています。でも,お母さんはお母さんなりの物差しがあって良いと思います。私自身,我が子が中学の頃自分の中学の頃を思い出し,子どもをほめることなどあったでしょうか?つい,子どものためを思ってですが,もっともっとと親は思いがちではないでしょうか。ほめられた子ども達はとても嬉しかったのではないでしょうか。なんだかとってもいい話を聞かせてもらったと思いました。

 

 この話は,塾の懇談で聞きました。私達の塾では二者懇です。色々と子ども達の話をします。本人がいませんから,話しやすいといえば話しやすいのかもしれません。皆さん,子ども達のことを心配し,考えている好いお父さんとお母さんたちです。こんな好いお母さんやお父さん達がいて好い子ども達が塾にたくさん来てくれているのはうれしいことです。そして,子ども達の好い話がたくさん聞きかせてもらい,私達も子ども達のいい話をいっぱいできればと思っています。

★受験生に…3年生の学年末テストが終わり願書の提出が終わりました。公立高校の受験スケジュールは右の表の通りです。受験まで残り少なくなってきました。最後の一がんばりの時期に違いありません。でも無理は禁物です。体調には十分気をつけてください。万全の準備は当然ですが,その中に体調も含まれます。新聞にインフルエンザで学級閉鎖の記事がありました。体調が思わしくない時は,学校を休むこともやむを得ないと思います。

 なお,4日の道コンは,公立高校の学力検査のタイムテーブルに合わせて行います。午後3時半までかかりますから,昼食や飲み物などの用意をお願いします。

 

★1,2年生は学年末テストです。範囲表が出たら,すぐに知らせてください。成績が確定します。2学期までの成績を考え,どの科目に重点を置くかなど的を絞った勉強するようにしてください。

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2006年12月25日(月)No.217

 「数学は嫌いだ」と中学生によく言われます。虫除けスプレーならぬ「算数よけスプレーがあればいいのに」と言った小学生もいます。「さあ,算数やろうか」と私が言ったときに,とてもいいタイミングで言われました。皆が皆,数学(算数)を嫌っているわけではありませんが,五教科の中では一番の嫌われ者のようです。

 好き嫌いがあるのは普通です。同級生だってみんなを好きというわけにはいかないでしょう。なんとなく相性が合わない人がいたりするものです。だからと言って出会っても挨拶もしないというのはどうでしょうか?みんな仲良くなどとは思いませんが,喧嘩を売る必要もありませんから,それなりのお付き合いの仕方があるように思います。「袖すりあうも他生の縁」と言います。たまたま同じクラスになったのですから,挨拶のひとつぐらいしてもいいでしょう。自分の世界が,仲良しクラブのように出来上がっている,なんて世界は考えられません。それよりも,付き合いにくいと思っていたクラスメイトとなんとなく付き合っているうちに,今まで気がつかなかった,その子の良い所が見えてくることだってあるかもしれません。そんなうまくいかなくても,クラス替えや進学でお付き合いの必要が無くなったりもします。

 数学・算数だってそう嫌わないで,そこそこのお付き合いをしてあげればいいと思います。嫌って完全にお付き合いをやめてしまえば,人間のお付き合い同様,点数が取れないなどといった,気まずい思いをすることになります。 数学だっていつかは,お付き合いの必要がなくなります。それまで数学とはどんなものなのか,と思いながらお付き合いしてくれればいいと思います。

 しかし,どんなお付き合いが「そこそこ」かといわれると困ります。クラスメイトであれば,顔と名前ぐらいは一致していればいいのでしょうか。とすれば,数学・算数とお付き合いするために,用語と意味ぐらい覚えてあげればしいのでしょうか。どうも子ども達を見ていると,「大好きか大嫌い」でなければ,「解かなくてはならないか,まったく諦めてしまうか」といった極端から極端のような気がしてなりません。これは数学に限らずどの科目にも言えそうです。潔癖という言い方もできますが,もう少し「なあなあ」のいい加減な調子で付き合って欲しいと思います。個人個人で目標が違うかと思います。それぞれ今の自分より少し目線の高い目標を設定して,それにあわせて付き合って欲しいと思います。今すぐ全部ができなければいけないというものではないと思います。高校生になってずいぶんと上手に勉強と付き合っている卒業生を見てきました。一歩一歩ですから,「嫌だ,嫌だ」と言いながら,それなりのお付き合いをしていけばいいと思います。

 こんなことを書いている私ですが,算数も数学も嫌いな子どもでした。塾で子ども達を相手に勉強するようになって,「数学・算数はそれなりに面白いけれど,こんなことを考えてきた人間がすごい」と思いますが,今でも好きと言うほどでもありません。子ども達が少しでも関心を持ってくれるように,人間のすごさを少しでも伝えられれば好いなと思って,数学と付き合っている私です。

 

★先日,卒業生が遊びに来ました。話の流れで「プライド」ということが話題になりました。プライドとは,当人にとって大切なものでしょう。しかし,他人から見ればくだらないと思えることが時々あります。プライドは個人個人の価値観によるものです。違った価値観を持つ人間から見るとくだらないと思えることも仕方ないことかもしれません。しかし,個人の生き方に係わる部分でもあります。価値観の違いはお互い尊重するべきものに違いありません。他の人のプライドをけなす必要はどこにもありません。しかし,自分のプライドがひょっとすると滑稽な物かもしれないと思うと,なんだか,耳の痛い卒業生の話でした。

 

★受験生に★受験まで後2ヶ月程,勉強できる日は正味50日程度でしょうか。強い意志と意欲を持って勉強し希望の高校に合格しましょう。気力や気持ちといった情緒的な言葉は好きではありません。しかし,何とか合格しようという意欲と,そのため勉強するという強い意志が必要でしょう。テストで点数を取る,目的がはっきりしています。そのために何をするべきかよく考え勉強してください。また,今のところ暖かい冬ですが,生活リズムを大切にし,体調を崩さないように注意してください。

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2006年11月30日(木)No.216

 中学生はよく勉強しました。これだけでもほめてあげなくてはと思います。と言いながら,なかなかほめられない私です。上中など一部の中学を除き,二学期の中間試験がなくなりました。当然ですが,二学期の定期試験の範囲はとても広いものになり,子ども達は大変だったと思います。文句を言いながら塾に来ていましたが,みんなよく勉強したと思います。

 成果が現れた子もいれば,今ひとつだった子もいるかと思います。結果を残した子に共通することは,卒業生のことを思い出しても,それなりに目標のある子でした。その目標は,高校進学だったり友達との競争など,そして,品物やお小遣いだったりしたこともあります。目標とするものの良し悪しについては色々と議論のあるところですが,目標のあることが勉強の励みになることは間違いないでしょう。

 だからと言って,どんな目標でも成果が上がるということはありません。子ども達にとって身近で,少し背伸びをすれば届く目標がいいと思います。あまりに現実とかけ離れた目標は達成が難しいだけでなく,子ども達の失望感が大きいと思います。子ども達が,「次は」と思うことができないようでは困ります。ひとつの目標がクリアされれば,次の目標に向かう,失敗した時は,次のもう一度チャレンジするといった子ども達の意欲が必要だと思います。子ども達が意欲的に目標に取り組み,そして,意欲を持ち続ける。人ごとのようにこんなことを書くのはたやすいことです。私など,自分を振り返ればすぐにわかります。

 これをとても上手に実現しているのがゲームの世界かもしれません。ある場面をクリアすれば,レベルアップし次の課題が与えられる,そんな世界でしょうか。私はゲームをしないので,子ども達の話しから想像するだけですが,上手に課題の設定がされているようです。子ども達に如何に課題を与え,クリアをさせていくのが私の役目でしょうか。いえ,自分でも,試験の結果から,クリアするべき課題を見つける姿勢も必要でしょう。

 課題を見つけ解決していくことは,子ども達の仕事あるいは私の仕事と分けられるものではないのでしょう。子ども達と私との共同作業という方が正しいでしょう。いえいえ,お父さんお母さんと家庭までも,ひょっとすると友達まで含めた,共同作業かもしれません。子ども達が意欲的に何にでも取り組むためには,みんなのサポートが必要なのでしょう。

 さて,自分の課題が見つかったでしょうか?まず,中三は受験に向け,他の学年は三学期や次のステップに向けて,きっと解決しなければならない課題があるでしょう。ないはずはありません。私も一緒に探しましょう。

 しかし,楽しい冬休み,私もスキーをしたいし,子どもたちだって遊ばなければなりません。「よく遊び,よく学べ」遊ぶことはとても大切です。そして,課題を解決するため,また三学期に向け勉強もしましょう。

 そして,寒くなってきました。風邪など引かないように気をつけてください。体調を損なっては勉強だけでなく,遊ぶこともできません。メリハリのある生活になるように心掛けてください。

★気がつけば,11月が終わり師走に入ります。 クリスマスだとか年賀状とか気ぜわしい季節になります。子ども達にとってはクリスマスプレゼントやお年玉と楽しみな時期でもあります。

 クリスマスプレゼントといいますと,中学生が「サンタさん,来なくなっちゃった」と言っていました。その子にとっては「プレゼントをもらえなくなった」=「サンタさんが来ない」の意味であって,別にサンタさんを信じているわけではありません。しかし,子ども達にとっていつまでサンタさんがやって来るのでしょうか?小学生の会話を聞いていると,サンタさんを信じている子,お父さんお母さんがサンタだと醒めている子が当然います。いつどのようにして,子ども達は現実を知るのでしょうか?夢と現実,どちらも大切なものだと思います。夢だけでは生きていけないでしょうし,現実だけではさびしい生活かと思います。そして,そのバランスを上手に取ることはなかなかに難しいことではないでしょうか。

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2006年10月31日(火)No.215

 子ども達に,私はこの頃よく言います。「人間は名前を付ける動物だよ。なんにでも名前を付けたがる」。身の回りに名前の付いていないものは無いといっていいでしょう。時々,新聞に,どこか人がすんでいない場所で新しい動植物が見つかったという記事が載ります。そして,記事には見つけられた動物に名前が付けられたことが書かれています。遠く離れた地域の出来事です。私達の生活には何の関係もなさそうです。でも記事になります。これ程まで名前にこだわるのが人間のようです。私が思うには,名前を付け仲間分けをしたいのが人間のようです。犬や猫だって,自分たちの仲間かどうかといったグループ分けをしているのでしょうが,人間のように事細かに名前を付けているとは思えません。

 人は生活に密着したものは細かく名前を付けます。例えば,日本では昔からお米を食べてきました。お米といいますが,田んぼに植えられている時は「稲」です。収穫すると「モミ」でしょうか。脱穀されると「玄米」,そして精米されてやっと「お米」になります。そのお米も食べる時は「ご飯」です。それに比べ,肉に関する言葉は乱暴に「牛肉」・「豚肉」で一まとめです。ところが英語では,「牛」と「肉」はそれぞれ「cow」・「beef」,部位によって色々と呼び名があり,お米のように使い分けます。食べ物としての歴史の違いですね。これほど名前というものは人間の必要度にあわせ付けられたものだといえます。

 しかし,子ども達は会話の中で物の名前の代わりに「あれ」・「これ」といった言葉をよく使います。確かに,「あれ」・「これ」はとても便利に違いありません。しかも,子ども達と接し親しくなればなるほど「あれ」・「これ」で間に合うことが増えてきます。とても便利な言葉ですから私も使ってしまいます。そして使わない言葉は忘れ去ります。そのいい例が,実は私なのです。私は子ども達を名前で呼び,姓を使っていません。その結果,苗字がすっと出ないことがあります。ひょっとして保護者の方から電話をいただいた時に,誰のお母さんかわからず失礼をしたことがあるかもしれません。申し訳ありません。

 こんなことを子ども達に話すのは,当然のことですが,勉強の世界も進むのにあわせ,同じように事細かに事柄が分けられ名前の数が増え,覚える必要のある言葉が増えてきます。子ども達は大変ですが,これはどうしようもない必要なことで,是非名前を覚えて欲しいからです。有難いことは勉強に必要な言葉ですから,同じグループに分けられています。でたらめに出てくることも少なく,少し覚えやすいでしょうか。難点は生活からかけ離れているため,子ども達の興味関心を引きません。関心の無いこと,テレビゲームの言葉を私は覚えられません。それと同じことが子ども達にも言えそうです。どうすれば覚えられるのか?これといった特効薬はありませんが,できるだけ「あれ」・「これ」を使わないのも一つの方法だと思います。ですから,よく私は子ども達に「あれ」・これというものは無いよ」などと,嫌味を言っています。

 同じ意味を表す言葉がたくさんあります。子ども達はなんて無駄なことだと思ったりするようです。しかし,それらの言葉はそれぞれの必要性があって生まれてきたものなのでしょう。そして「お米」ではありませんが微妙に意味合いが違うこともよくあります。言葉の乱れなどと思いませんが,言葉を大切にし,使うようになりたいと思います。

 言葉は,使えば使うほど覚えます。たくさんの言葉を使い。たくさんの言葉を子ども達には覚えて欲しいと思います。社会に出て仕事に就けば,仕事に関係する名前は覚えなければなりません。十分今から練習しておいて欲しいと思っています。

 

 子ども達が興味を持てるよう,色々な話をこれからもしなければいけないでしょう。話のねたを増やすため,読めなくなっている本も読まなくては,そして,私も苗字をしっかり覚えあわてることの無いようにしなければいけません。

★合唱コンクール★今年も一つの中学だけですが,合唱コンクールを聴きに行きました。練習で塾に遅れたりとか,非常に迷惑だ,などと思ったりします。しかし合唱は人間そのものが楽器となり響き合い,いいものですね。一年生から三年生まで聞きました。学年が進むほど上手でした。不思議なものですね。男の子たちがもっと大きな声で歌うと,もっとよかったのにと思いながら聞いていました。でも男の子は格好づけと変声期もあり歌いにくいのでしょう。そして小さな規模の落ち着いた雰囲気の中学校のようでした。

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2006年10月4日(水)No.214

 先日はじめてカーナビを使いました。私の息子が運転し助手席の私がカーナビを操作しました。なかなか面白い機械,と言うよりは子ども達の大好きなゲーム機のようで,楽しませてもらいました。

 どのような仕組みなのかしりませんが,目的地を入力すると,たくさんのルートの中から、道を検索してくれます。曲がるべき交差点が近づくと,音声で「およそ300メートルで左折」などと知らせてくれます。よく知っている道を走る時は,その音声を無視して私がナビの代わりです。予定の道をそれると,さすが機械です。文句も言わず,検索を始めます。そしてまたルートを選んでくれます。何度も私が機械を無視しても,怒りもせず同じことを繰り返してくれます。一度など,ナビが国道12号線を選んだのですが,私は275号線に出ることに決め,ナビをまったく無視しました。しばらくの間,ナビは国道12号線に出る道案内を続けていました。しかし,275号線に近づいた時,ルートを変更し275号線で案内を始めました。気ままに道を決める私に怒りもせず冷静にルートを見極め案内する,私も見習わなければと感心させられました。

 機械に感情はありませんから当然かもしれません。しかし,自分の感情を抑え,我慢は嫌いなのですが,我慢することも必要かと思います。

 例えば,間違えても間違えても根気よく案内を続けるナビ。子ども達が何度も間違えることがあります。私もナビと同じように根気よく怒らずに説明を続けられるでしょうか。また,問題の解法は一通りではありません。私が導こうと思う解き方をみんながするわけではありません。違った解き方をする子どももいます。私がナビのように怒らずに冷静にその子に対応できるか?昔よりはよくなっていると思いますが,いささか自信が持てません。自分のやり方に対するこだわり,あって当然だし,なければ困る。でも,違った方法も認めなければ。子ども達は色々なことを,自分で納得のいく形で覚えているのでしょうし,身につけていっていると思います。私にこだわりがあれば,子ども達にだって,こだわりがあっておかしくありません。五分五分ですね。感情の無い機械の真似を私にはできません。しかし,ナビの根気強さと我慢強さを,いくらか見習わなければと思った次第です。

 話は変わりますが,カーナビの案内の音声の調子が人間離れしていておかしいのです。運転していた息子は言語学という,何だかよくわからない学問をしています。その息子の話によれば,機械が話す合成した音声を研究する人もいるそうです。そしてもっと人の話し方に近づけることも可能なようでした。しかし,その一方,あまり人と区別がつかないのも気持ちが悪いのかもしれない,ということでもありました。人間と機械が違って当たり前なのでしょう。もし区別がつかないようなことになれば,やはり大変なのかもしれません。違いを認めることも大切なのだという話でした。

 

 しかし,カーナビは初めてのところなど土地勘のない場合はとても便利で,何よりもいいおもちゃでした。しかし,カーナビが無いとどこにも行けないなんてことになるかもしれないなどと,いらない心配などしてきました。

★このごろ思うこと★中学生は何をするために中学校に行っているのだろうか?私は中学時代,何をしに中学校へ通っていたのでしょうか。人様にたずねてわかるはずがありません。私にあの当時,勉強をしに通っているという自覚があったでしょうか?多分無かったと思いますが,学校生活の中心が勉強だったような記憶はあります。でもクラスメイト,友達と過ごす時間は大切だったと思うし,往復,特に学校帰りの時間は大切だったと思います。朝はひたすら学校に遅刻しないようにと,急ぎに急いでいたからでしょう。中学に限らず,高校・大学と学校というところで,結構無駄な時間を過ごしてきた私のようです。いまさらですが,何をするために通っていたのでしょうか。多分そんなことを考えもせず,自覚も無く通っていたのでしょう。大切なのは楽しい時間を過ごすことだけだったような気もします。

 

 いずれにせよ,中学時代は色々と自分のことを考えたり友達を作ったり,掛け替えの無い時期だと思います。何を等と思う必要がないくらい,充実しているのかもしれません。

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2006年9月4日(月)No.213

 教室を新築し,念願だった机と椅子を新しくしました。落ち着いて勉強できる,いい机にしたかったので,まあ予算の範囲内でという制限はありましたが,私もおばさんも満足しています。

 新しいということは気持ち良いものです。しかし,正直なところ,傷つけたくない汚したくないと思ってしまいます。教室も机や椅子も道具として使うものですから,汚れたり傷ついたりは当たり前なのですが,根が貧乏人ですから,ピリピリし過ぎないかと,いささか心配しています。

 身の回りには傷つかないし壊れない丈夫なものがたくさんあります。プラスチックの食器など代表でしょうか?子ども達が安全に使え,とても便利なものに違いありません。しかし,私はふと思うのです。丈夫で傷つかないし壊れない物ばかりになると,なんでも乱暴に扱うような子にならないだろうかと。

 瀬戸物のように割れるもの,乱暴に扱うとヒビがはいったり欠けてしまったりするものも必要なのではないでしょうか。どうかすると手を切ったりするかもしれません。こういった多少の危険がついて回るのが困りますが,物の扱い方を覚えるには,取り扱い方を間違えると壊れてしまうことも必要だと思います。

 物を壊すということは,人の行動として失敗をしたことになります。しかし,失敗をしたことから学ぶことは多いと思います。落とすと割れる,ぶつけるとかけてしまうなど,小さな失敗を経験しておくことは必要なのではないでしょうか?

 以前,子ども達と一緒に焚き火をしたことがありました。子ども達はマッチの扱い方がわからず,マッチの火をとても怖がりました。紙に火を移すためにマッチに火をつけるのですが,マッチが発火するとすぐにマッチを手から離してしまいます。自分の手のすぐそばでマッチは燃えるし,熱も指先に感じるからでしょう。ところが,長い枝などの先に火をつけると,今度は振り回したり人に近づけたりと思い切り乱暴に火を扱うようになります。ガスコンロの他は火を使うことなどない生活ですから,無理はないのですが,行動の違いにはあきれてしまいました。火は危険なものですが,人が生きていく上で必要なものですから,それなりにお付き合いをしなければなりません。

 火に限らず,子ども達は極端に怖がったり乱暴に扱ったりすることが多いような気がします。品物の品質が良くなり便利になり,しかも品物は豊かにある時代です。ものの使い方などあまり気に留めなくてもいいのかもしれません。でも,何かが欠けているような気がしてなりません。

 教室の引越しで長年使った傷がついて汚れた道具をかなり処分しました。簡単に捨てることができるものもあれば,なかなか捨てにくいものもありました。新しいもの古いもの,ちょっと引越しで考えさせられました。

★九月から中三は総合A・B・Cや定期テストと,テスト月間が続きます。息が抜けないのですが,抜くところは抜いて,勉強に集中できるようにしてください。部活が終わり時間は十分にあるようですが,部活と違い,自分で時間を管理しなければなりません。上手に活用してください。また,体調管理には十分注意してください。体調などと馬鹿にしないでください。元気でなければ勉強は出来ません,勉強にも体力は必要なのです。

 

★教室を移転しました★

 講習の最中でしたが,お盆休み明けから,新教室で授業をしています。今までの借家と違い,自前の建物で小さな教室になりましたが,こぢんまりと落ち着いて良くなったと,おばさんと二人で喜んでいます。片づけが終わっていませんから,少々雑然としていますが,もし,時間がありましたら,子ども達が勉強する場所を是非ご覧になってください。

  • 住所…篠路2条5丁目16番13号
  • 篠路2-5バス停・横新道会館向い(緑色の屋根の小さな平屋の一軒家)

★教室の移転など,私の事情ですが,忙しい思いをしています。そのせいで何か忘れていることやおろそかになっていることがありそうで気になります。何かお気づきの点がありましたらお知らせください。

 

通信も書けませんでした。月謝袋が遅くなり,袋をなくしたのではとあらぬ疑いをかけられ,子ども達に迷惑をかけました。申し訳ありませんでした。

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2006年7月29日(土)No.212

 22日の土曜,鑑真展に行ってきました。唐招提寺に伝わる,仏像や仏教に関係する品が展示されていました。ありふれた言い方しかできませんが,精巧な仏像の彫刻などすばらしいものでした。教科書に乗っている有名な鑑真像は,実際に生きた鑑真よりは少し小さいのだろうと思いました。そして,その像の前で合掌する人を何人か見かけました。

 展示品の素晴らしさは当然として,私が思ったことは少し違ったことでした。

 鑑真が唐から日本にやってくることは,当時の危険な航海を考えると,命懸けでした。何度も失敗し,失明までして,かろうじて日本に渡ってきました。何故そこまでやる必要があったのだろうかと,私など思ってしまいます。仏教の教えを広めるという使命感が鑑真の背中を押していたのでしょうか?そして,鑑真を日本に招くための使者,彼らも命懸けだったでしょうから,彼らの熱意が鑑真を動かしたのかもしれません。

 そして,日本に鑑真を招こうと考えたのは,鑑真は唐で高名なお坊さんだったからです。呼ぶ側は目的にふさわしい人を求めるのは当然です。しかし,呼ばれる側は,地位も名誉も捨て,住み慣れた地を離れ,仏教未開の地である日本に渡らなければなりません。例えれば,都会の医者が僻地の病院に行くようなものなのではないでしょうか?たくさんのものを捨て,日本に渡ってきた鑑真は日本で何を手にしたのだろうか?

 こんなことを思ったのは,試験が近くなると中学生に,私は「捨てなさい」とよく言います。まさか教科書が全部出るはずがありませんから,必ず捨てなければなりません。「何を勉強するか,的を絞れ」という意味になります。そして,私が強く思うことは,目標点数を取るためには捨てる所があってもいいということです。難しい問題に時間をさくよりは,難問を捨てて,確実なところを勉強したほうが点数は取れるのではないでしょうか。すべてを,満点を手に入れる,そんな思いが強いと,何かが手からこぼれてしまいそうな気がします。

 しかし,子ども達にとって捨てることは大変難しいことなのです。的を絞るといっても,「ここが,もし試験に出たら」と思うときりがありません。そして,こんなことを思う私自身,この問題はやらせたほうがいいだろうかと悩んでしまい,なかなか捨てることができません。限られた時間の中,すべてといかなくとも,その中でベストを尽くすしかないのだろうし,それがすべてなのかもしれません。

 私が子ども達に言う「捨てなさい」は,点数を取るという目的がはっきりとしたものですし,鑑真のように,たいした物を捨てるわけではありません。それでも経験のない子ども達や凡人の私にとっては捨てることは大変です。鑑真の捨ててきたものはものすごいものだと思います,そして手に入れたものは見合うだけのものだったのだろうか等と思ってしまいました。それにしても,鑑真像を見ると,とても穏やかなお顔をしています。こんなことを思うのは,私が凡人であることの証のようなものでしょう。

★夏の講習が始まりました。中3にとっては本格的な受験勉強の始まりです。また,中1・2や小学生は次のステップに向けた準備です。限られた時間です,まさに捨てるべきところは捨て,要点を要領よく勉強しなければなりません。暑い夏になりそうです。私達も子ども達に負けないよう,体調を崩さずしっかりやらなければと思っています。

 

★教室を移転します★住所…篠路2条5丁目16番13号

  • 篠路2-5バス停横新道会館向い緑色の屋根の小さな平屋の一軒家
  • 電話番号は変わりありません。
  • 移転は8月末に予定しています。

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2006年6月26日(月)No.211

 数学の平方根・√の勉強があります。毎年,子ども達に1㎝の方眼紙を利用して正方形を描いてもらいます。面積1・4・9・16と簡単な正方形を描いた後,面積2・5・10などの正方形を,面積2の正方形から順に描いていきます。

 子ども達は面積2の正方形は聞いたこともなく,問題でお目にかかることもありませんから,スラスラというわけにはいきません。方眼紙を使いますから,方眼紙の線に沿って正方形を描こうとします。しかし,これらの正方形は方眼紙の線に沿っていては描けません。斜めに線を,方眼の升目の対角線を利用しなければ描けません。あらかじめ引かれた線からはずす。子ども達にとっては予想外のことらしく,すぐに描ける子どもはほとんどいません。それでも,面積2が描けると,子ども達は色々と対角線を考えながら正方形を描いていきます。

 対角線を利用して描いているうちに,私が指示した以外の正方形もできてきます。そこで子ども達に面積がいくらか求めてもらいます。これがまた厄介なようで子ども達は方眼の枡の数を数えます。そして指示した面積と違うとわかると,せっかく描いた正方形を消そうとします。

 毎年繰り返すことで,子ども達の様子に年による差はさほどありません。そして,私も毎年のように「どうして線からはずれることが難しいのだろう」とか「どうして,子ども達は消すのが好きなのだろう」など同じことを感じさせられます。

 英語のアルファベットの練習でも「線からはずれる」と同じことが言えます。小文字によっては下にはみ出るのですが,線から子ども達ははみ出さずに書こうとします。これははみ出すのが正しいのですが,子ども達にとってはみ出すことはいけないこととなっているようです。問題集の解答欄など製本の関係もあり大きさは適当なものもありますが,子ども達ははみ出すことを嫌がり,無理やり解答欄に収めようとします。なんだか意味の無いことに熱意を示します。

 せっかく自分の書いたものを消すことのほうが,よほど意味の無いことでしょう。私としては「こんな正方形も描けるのだ」と思ってもらえればいいし,大小の比較にも便利だから消さないで欲しいと思っています。しかし,子ども達の動作はすばやく,私が「消すな」と声をかける暇もないことがよくあります。消す速さたるや,解答を書く動作の何倍もの速さでないかと私は思っています。 間違いは嫌なことですから,消したくなる気持ちはわからなくはありません。しかし,次に同じ間違いを犯さないために,どう間違えたかを確認することはとても大切です。まして正方形の場合は間違いでも何でもありません。次の正方形のヒントになるかもしれませんから,消さずに大事にしてほしいとおもいます。 間違いであれなんであれ,それを利用して次のステップに進む,利用してやろうといった感覚が子ども達には乏しいように思います。

 正方形の面積などよい例です。数えるよりも小学校で覚えた三角形の面積の公式を利用すると簡単にかつ正確に求められます。しかし正方形を三角形と正方形に分け公式を利用する子は多くありません。 利用し使うために公式を覚えるはずなのですが,覚えることだけに力点が置かれているように感じられます。

 子ども達に直して欲しい点を書いてきました。また,直すことが私たちの仕事だと思っています。しかし,間違いを大切にし,覚えたことを利用するのは,勉強に限られたものではありません。日常生活でも普通に言えることだと思います。今の社会は,特に間違いを許さない雰囲気が強いので,なかなか大変だと思います。こういう私自身子ども達が間違えると,忍耐強い大人にならなければと思いながら,いらいらしてしまいます。もっともっと忍耐が必要なようです。

★正方形を描くのは平方根のイメージを持ってもらうためにやっています。早々と正方形の描き方に気がつく子とそうでない子とがいます。早く気がついた子が平方根の問題が解けるかというと,そうでもありません。イメージを造るというのはなかなか難しいようで,私ももう一苦労しないといけないでしょう。

 

★定期試験★難しくなった学校が多かったようです。今まで一学期の定期試験は平均点が高かったのですが,どうも問題を難しくしたようです。子ども達の取った点数を平均点と比べてみてください。テストの難易度によっては今までより学年順位がよくなっていても点数が下がることがあります。学年順位やSSを出してくれませんから,わかりにくいと思います。しかし,点数だけでははかれない部分があります。その点を考慮に入れて子ども達の試験の点数を見てあげてください。

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2006年5月25日(木)No.210

 今年度から中学校の教科書が変わりました。学力低下など色々と言われたせいか,前の教科書から教えなくなった内容で復活したものがあります。発展的内容とかで,教えるか教えないかは中学側の判断に任されています。高校入試には出題されないとのことです。子ども達の様子から判断すると,どの中学でも発展的内容については触れていないようです。しかし,中2の数学で少し変化が見られます。定期テストで必ず出題され子ども達が苦手とする問題があります。この問題の出題形式が変わりそうです。ここ数年は,穴埋め形式の出題しかなかった問題を,全部自力で書かせる形式にするそうです。つまり,出題は一問だけと思いますが,テストを難しくするということになります。

 ところで,子ども達は「難しい」と言われると「解いてやるぞ」と闘志を燃やします。困難を克服したときの達成感は大切な経験だと思いますから,どんどんチャレンジして欲しいと思っています。しかし,いつも解決できるというわけにはいきません。うまくいかなかったとき,これが大切なのです。

 子ども達は結論を急ぎすぎます。子ども達はしばらく夢中になって解こうとしますが,思いのほか,あっさりとあきらめてしまいます。そして,解けなかった問題は,頭の中で難しくわからない事として分類され忘れ去られてしまいます。解けなかった,嫌なことです。そして,今すぐに解決しなければならない問題ではありません。忘れてしまうのは無理もありません。でも。すぐに解決しなくてもいいのですから,忘れずに頭の片隅に置いておくのです。

 「どうすれば解けるのかな?」そんな思いを持ち続けていて欲しいのです。ずっと考えている必要はありませんが,忘れないでいると,何かの拍子に,ふっと納得のいくことがあります。少し困ったことに,どんな時にどんな具合に納得するのかと言われると難しくて説明のしようがありません。私の場合ですが,朝,布団の中で半分寝て半分起きている寝ぼけた状態の時によくあります。昔に習ったことなのか,それとも何かで読んだか見たかわからないけれど思い出したりして解決方法がわかったりします。めったにありませんが,子ども達にどう説明するか困っている時に良いアイデアが浮かぶこともあります。

 子ども達はできない問題を非常に気にします。そこで,注意しないといけないことは,頭の片隅に置いておくのであって,こだわるのは良くありません。できないことを何とかしようとするのはいいのですが,こだわりすぎると他がおろそかになってしまいます。緊急のことではありませんし,目的がはっきりしている勉強だと他にするべきことがたくさんあると思います。

 例えば,最初に書いた数学の難しくなりそうな問題を例に試験勉強を考えてみます。まず,一問難しくなったからといって,得点が十点も二十点も下がるはずがありません。その問題はせいぜい4点か5点満点でしょう。しかも満点を取るのが難しい問題です。点数を取るためには,百点中の五点の問題に時間をかけるよりも他の問題を落とさないようにするほうが効率は良いでしょう。また,試験の最中に解けそうで解けない問題に時間をかけてしまい,時間が足りなくなったということはよくありがちなことです。時にこだわりも必要なのでしょうが,自分のできないことにこだわるよりは上手なことにこだわって伸ばすほうが点数も伸びると思います。

 それでも,いつかは難問に挑戦しなければ点数が伸びない時期がやって来るでしょう。その時のために,忘れずに頭の片隅に置き続けてください。そして,その時まで少し時間があるでしょうから,知識を豊かにし力を蓄えてください。そんなに急いで,出来る・出来ないと結論をだす必要はないでしょう。

 分からなかったこと・出来なかったこと,そんなものをどこか片隅に置きながら誰もが勉強していると思います。そして,ふと解決することもあれば,勉強が進んでいくうちに解決することもあるでしょう。「どうしてなのかな?」という思いを大切に持っていることがいい結果を導いてくれるように思います。

★今まで,一学期の定期テストの数学は平均点が高いテストでした。なぜなら,試験範囲は計算がほとんどで,出題はほとんどが計算だったせいです。その辺の事情は変わりませんから,平均点がそう変わるとは思えません。計算問題といえども,難しい問題を増やせば違ってきますが,皆が同じ条件で試験をうけますからそうあわてることもないでしょう。

★中学でちょっと様子が変わったといえば,各中学校で学力テストが実施されました。なんだか,悪者のような扱いだった学力テストでしたが,どうした風の吹き回しでしょうか?悪者といえば,偏差値が出された中学もありました。そして,ある中学は授業の進度を昨年より速めていることが目につきました。そんな,こんなも学力低下が騒がれていることと関係があるのだろうかと思ったりしています。

★子どもが犠牲になった,痛ましい事件の報道が続きます。子どもの安全を考え,集団登下校が行われたり,大人が付き添ったりと対策が取られています。仕方のないことなのでしょう。しかし,寄り道など子ども達の自由な行動がなくなり,安全と引き換えに何か大切なことが奪われてしまうようで残念です。

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2006年4月24日(月)No.209

学力検査300点満点・学習点315点満点★公立高校の合否は,当日の試験の点数(300点満点)と内申点(315点満点)の合計615点で決まると思ってください。内申点は一度ついてしまうと取り戻せない,私に言わせればとても冷たい制度です。1年より2年になって成績が上がっても1年の成績は悪いままついてきます。つまり過去の失敗は許してもらえない仕組みになっています。当然,1,2年が悪いと3年で頑張っても‥‥。

 極端な考え方ですが,同じ実力の受験生がいたとします。例えば,A君は3年になってようやく実力がついたので内申点が悪い。かたや,B君は1年から力があり内申点がいいとします。どちらが合格圏に近いかとなれば,当然B君となります。1年の時から真面目に努力して,いい成績をとることが高校受験では有利になります。2年まで勉強以外のことに熱中し,3年になってから勉強に熱中し成績を上げるのでは,受験に不利なのです。

 こうした制度は,受験当日の成績だけでなく,普段の努力を反映させるという趣旨だったように記憶しています。選抜試験ですから,どのような生徒に来て欲しいかという,選抜する側(国なのか北海道庁なのか)の考え方が反映しているのでしょう。国や道庁といっても国民の意見や考えを無視し,勝手に決めているとは思えません。ですから制度の手直しが行われているし,良くしようとしているのでしょう。そして,何年か前から内申重視や当日点重視による選抜も取り入れられるようになりました。

 そもそも,選抜方法ですから,誰にとっても公平で最善の方法というのは無いのかもしれません。そして,今すぐ変わるものとも思えません。今,現在の中学生はそうした中で,どうすることが自分に最善かを考えなければいけないということだけが確かなのです。

 現在採用されている絶対評価は,評価の方法が複雑で,客観性が保証されているかなど問題もあります。しかし,良い成績を取ろうと思えば取りにいける制度だと思います。簡単に4や5がつくというわけにはいきませんが,以前は5がつく人数に制限がありましたが,今はありません。4や5がつくチャンスは大きくなったといえます。実際,チャンスを生かし成績の良い子が増えています。高校受験で言えば,すべての高校で,と言っていいくらい,合格最低ランクは上昇しています。

 また,以前は何人かに必ず1をつけなければいけませんでしたが,今はつけなくとも問題ありません。しかし,今も1をつけられる子はいます。1をつけられる理由は色々あるのでしょうが,子ども達の様子を見ているとテストの点数以外のことで良い成績を取ろうとしているのだろうかと思ってしまうことが良くあります。

 子ども達は,入試や普段の定期試験で点数を取らないといけないことはよくわかっているようです。しかし,それに比べ,高校入試の仕組みや絶対評価のことをどの程度知っているだろうかと思うことがしばしばあります。定期テストの前の張り切りように比べ,毎日の授業への取り組みや提出物に対しては,あまり熱意を感じられません。

 自分に対する評価がどのように行われているのか,その評価が将来どのように自分に関係するのか,とても大切なことですが,子ども達に十分伝わっていないように思えて仕方ありません。高校入試の半分は絶対評価の成績で決まるのです。

 そして,絶対評価の仕組みを知れば,1を取ろうと思えば別ですが,テストで零点を取るより1を取るのは難しいのではないだろうかと思っています。ともかく,中1や中2でついた成績は変えようがありません。しかし,この一年でどれだけ積み上げることができるか,内申点は一年間の長丁場です。新しい一年の始まりです。制度や仕組みをよく知り,自分はどうするのか,しっかりと考えて,勉強に取り組んでほしいと思います。

♥「成績が良い=実力がある」とはいきません♥成績の良い子が増えたと書きましたが,高校入試で点数を取る実力があるとはいえません。あくまで,中学の通知表の成績だけの話に限られます。入試の実力の目安としては道コンの結果が今のところわかりやすいかと思います。それから,久しぶりに,今春は各中学で学力テストが実施されました。SSがわかる中学が少ないとはいえ,テストの結果には実力の一端が出ているかと思います。

 各中学が学力テストを実施したのはどうしてなのかと思ったりします。ひょっとすると,学力低下が叫ばれたりしていますから,学校側の対応として多少変化が現れたということなのかもしれません。

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