ごあいさつ
通信Back number2002年4月~2003年3月
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2003年3月25日(火) No.172 二十年以上も塾をしていて, 学級閉鎖で定期テストが延期されたのは初めてのことでした。そんなにインフルエンザが流行っているとは知らなかったのでたいへん驚きました。しかし,運良くなのか緊張感があるせいなのか,受験生は皆元気に高校受験を終えることができました。そして全員が良い春を迎えることになり,私達にとっても良い春となり喜んでいます。 受験が終わった子ども達は一斉に携帯電話を手にし,いいおもちゃでとても楽しそうに遊んでいます。電話番号とアドレスを互いに教え合っていました。そして,慣れない手つきですぐにメールのやり取りをはじめたようです。みんな新しい機種ですからカメラがついていて,パシャパシャとみんなの顔を写していました。電話帳は写真を登録できメールや電話が来るとその写真が画面に出て相手がわかるようです。私など,便利をとおりこして本当におもちゃのように思えてなりません。たまに乗るバスやJRで,ずっと携帯を握ったままの若い人を見かけます。メールを打っているのか何をしているのかわかりませんが,小学生あたりがゲームボーイを離さないのと同じなのかもしれません。 高価でとても子どもが持つような価格でなかった携帯が安くなり,通話料もメールを使うことによって,子ども達は安く抑えているようです。携帯をどのように利用するのか,子ども達の方が私達より格段に知識が豊富でしょう。私は携帯を使うようになって何年かたちますが,すぐにこの子達の方が私よりよほど上手に携帯を使いこなすようになっているでしょう。 テレビゲームの子ども達への影響が色々と言われているように,携帯電話も出会い系サイトなどこれから様々な問題が出てくるのでしょう。でも私が子どもの頃は,まず漫画が,次にテレビと子ども達の関係が問題になりました。思うにテレビなども特に解決策が示されたわけでもないのに,なんとなく生活の一部として定着してしまったようです。漫画にいたっては図書館に置かれているものもあって驚かされました。新しい物が出てくると,必ずというくらい,賛否がうるさく言われますが,賛否に関わりなく,時代に受け入れられる物は時代の流れのようにして世の中に広がっていくように思います。本来,受け入れるかどうかは個人的な問題であり,他人に強制するものではないのかもしれません。大人よりも子ども達は上手に適応し,色々な機器を使いこなすようになるのでしょう。しかし,私でさえ携帯を持つ時代です。高校生にもなれば持っていて当たり前ということとでしょうけれど時代を感じます。 ★絶対評価初年度の成績はどうだったでしょうか? 今年の高校入試は難関校といわれる高校の倍率が軒並み高く,例年とは様子が違ったようです。理由として,内申ランクのインフレでランクの良い受験生が強気に受験したこと。また私立高校の評価が高くなり,公立高校で冒険したことなどが考えられます。特に内申ランクの上昇は絶対評価の導入の結果ですから,これからも続くでしょう。受験を考えると,今まで以上に,実力とランクとは関係がないことを良く知っておく必要があるでしょう。
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2003年2月19日(水) No.171 「数が苦」それとも「数楽」,友人から教わった書き方です。子ども達を見ていると圧倒的に前者のようです。音楽だとどうでしょうか。これは文字通りで比較的簡単に,特に聞くだけならいたって易しく,誰でも楽しむことができます。しかし,同じ音でも,虫の音色は違うようで,西洋人には虫の鳴き声は雑音にしか聞こえないと何かの本に書いてありました。日本では虫の声を秋の風情として楽しみますから,子どものころの学習の仕方が違うからでしょうか? 虫の音を楽しむことが学習かどうかはともかく,自分で歌ったり,楽器を演奏したりとなると学習というか訓練が必要になります。こうなってくると誰もが楽しめるものではなくなります。楽しむためには,それなりの時間と労力が必要になってきます。スポーツならどうでしょう。これも楽しみ方は色々ですが,見るのが最も簡単でしょう。しかし,まったくルールもわからないで,例えば,どう勝敗がつくかもわからずに,楽しむ事は難しいと思います。やはりスポーツでも最低限の知識が必要でしょう。自分でスポーツをするとなればよりたくさんの知識と訓練が必要になるでしょう。 数学や英語など学校の教科書は,果たして楽しめるのでしょうか?カラオケで歌っても歌のテストでは歌わない子がいます。音楽でさえこんな調子ですから,数学など期待する方がおかしいのかもしれません。ある小説で読んだのですが,「大学受験の勉強は機械体操で技をマスターするのと同じ様に,問題の解法をマスターしていくことだ」そうです。その通りだと今も思います。テレビゲームで一つ一つクリアしていく(やったことがないので怪しい)感じではないかと思います。これも数学の一つの楽しみ方かもしれません。でも本当の数学の楽しさは,九九や計算など数に隠れている不思議な事柄に気づくことなのだと思います。これはそう易しいことではないと思います。子ども達と一緒に算数や数学を勉強して気づいたことがたくさんあります。でも子ども達に伝えることは簡単ではありません。知識を少しずつ増やし,事柄の結びつきに気がつくようになるまで,それなりに時間が必要なのでしょう。今,小中学生が習う算数・数学が出来上がるまで長い歴史があります。短期間にそれをマスターする。かなりの無理があるのかもしれません。 学問の体系は長い年月をかけて人間が作り上げてきたものです。それが豊かな生活をもたらす人間の叡智なのか,あるいは,核兵器や環境破壊など絶滅に向かう人間の愚かさなのかわかりません。しかし,子ども達に学問の一端を伝えることは大人の責任なのだろうと思います。話が大げさになりましたが,どうしたら数学が少しでも楽しくなるのか,名案はありませんが,私自身が楽しくしなければ子ども達に伝わらないだろうと思っています。
★試験前になると子ども達から試験範囲表をもらいます。学校で作ったものですが,学校名が書かれていないことが多いようです。試験範囲に限らず市役所から取り寄せた学校の公文書にも学校名が書かれていないことがよくあります。校長やそれに代わる責任者の判もありませんから,学校名がないなど当たり前のようです。私のように複数の中学の文書が手元にあるという人はあまりいないと思います。ですから,家庭で取り立てて不便を感じる人は少ないでしょう。でもなんだか不思議な気がします。外に出て行く文書には違いありませんから,どんな部署で作ったかがわかるように書いてあってもいいように思います。実際に誰かが不便を感じてもいないから,どうでもいいことかもしれませんが,発行元を書かないことが当たり前というのはどんなものでしょうか? -------------------------------------------------------- |
2003年1月28日(火) No.170 隣の子と同じ答だった。成績の良い子と同じ,いえ,全員(最高でわずか六名)が同じ答だったりすると,子ども達の間に,奇妙な安心感が流れます。奇妙と思うのは私だけのようです。「隣が間違っているかもしれない」「成績のいい子だって間違える」「全員が間違えることだってある」みんなの安心感に水を差すように私は言います。全員が正解のこともあれば,間違っていることもあります。子ども達がそんなことを知らないわけではありません。でも,人と同じだとホッとするようです。私が奇妙に感じるのは,正解かどうかよりも皆と同じことによって安心するという点です。人と違う答のときはやり直したりしますが,同じときは,まずしません。人と同じときは正解だと思い込んでしまうのでしょうか? もし,二人の答が異なるとき,二人は自分が正しいとお互いに主張したりしますが,一人だけが違うときは「いや,皆が間違っているんだ」という子もいますがやはり少数派です。自分だけが間違いだろうかと不安そうにしています。ところが,一人正解だと知ると「やったー」,言葉にするかは別ですが,誇らしげにとても喜びます。皆と違うことからくる不安,当然一人だけ間違いだったらどうしようという不安感があります。それに対する代償でしょうか,喜びは皆であっているときよりも大きいように私には思われます。 正しい答より,皆と一緒が安心。皆で間違えると恥ずかしさもなくなるのでしょうか。だれでも間違えるのは恥ずかしい,まして一人で間違えるのはもっと恥ずかしいと思う気持ちが子ども達にあると思います。しかし,恥ずかしい思いをするのは嫌ですが,恥ずかしく思ってこそ,次は恥をかかないように注意しようと思うのではないでしょうか。皆が間違えているのなら「ま,いいか」と安心してしまうようでは何の進歩もないかもしれません。 確かに,一人というのは子どもに限らず大人だって不安になります。仲間がいる,安心に違いありません。人間が仲間を求める,当たり前のことなのでしょう。でも点数を取りたいという気持ちがあります。思うにいい点数を取るということは,悪い点数を取るときもですが,人と違った答案を書くと言うことでもあります。同じだと安心ですが,点数は良くなりません。しかし,点数が悪くなるリスクが小さいということかもしれません。同じであることの安心感,不思議に思いますが,どうも子ども達だけに限らず大人もそうなのでしょう。正しいか間違っているかはどこかへ行ってしまうようです。 子ども達の勉強やテストは正しいか間違えているかは,比較的単純です何しろ解答があります。しかし生活の場面ではそうはいきません。子ども達はこれからでしょうが,答を自分で見つけることが必要な場面にたくさん出合うでしょう。一緒にしていれば正しいという保障は何も無いと言っていいでしょう。まして安心なんかしておれません。いつも何が正しいのか,考える習慣が必要なのでしょう。「おじさんが言ったから正しい」そんな甘いことでは生きていけない時代かと思います。自分の感覚を磨き,人の意見に耳を傾けても,奇妙な何の裏づけもない安心感など持たずに,判断は自分で下すようになって欲しいと思います。私も自分自身で判断を下すことは恐ろしいことだと思っていますから,あまりえらそうにもいえませんね。 ★皆一人一人が異なる尺度を持っているといった内容のことを書いたところ,ある友人から,グローバルスタンダードという言葉が返ってきました。新聞・テレビなどマスメディアを通して知っている言葉ですが,身近なことという感じを持っていなかったので驚きました。子ども達の話と何が関係あるかと思いましたが,実社会で活躍中の彼には会社内部,会社の外,国内とか国外といった価値観の異なる世界が当たり前のことなのでしょう。ところが,グローバルスタンダードという単一の物差しがすべての基準になろうとしている。 学校が社会から切り離された特別な世界ではありませんから,どこかで世界とつながっていて当たり前のはずです。しかし友人に指摘されるまで世界の話など考えも及びませんでした。狭い世界にいるとどうも視野まで狭くなりがちなようです。しかし,その狭い世界が地球世界全体につながっていることを実感させてもらったのですから,これからもどうつながっているか注意すれば,視野はきっと広がるのだろうと思いました。 -------------------------------------------------------- |
2002年12月18日(水) No.169 小学生の国語の教材として「おーいぽぽんた」という詩集を使っています。日本の詩を集めた本です。いかにも子供向けの詩から,私などには懐かしい小・中学校唱歌の詩や子どもが読んでも意味のわからない万葉集の短歌まで,古い詩から新しい詩まで混ざっています。子ども達にわからない難しい詩が出てきても意味を教えたりしていません。みんなで詩を,時には私も参加して声に出して読みます。短歌や俳句を除き,原則として一人一行ずつ順番に読んでいきます。小さな声で読む子,速かったり遅かったり,たまには,ちょっとふざけて読んでみたり。最初のころは上手に読んで欲しいという思いがあって,そんなことが気になりました。しかし,この頃はそれで良いと思って子ども達の読みを聞いています。時には自分の読む部分がわからなくなるなんてこともあります。最近では,誰かが一行飛ばして読んだのに私も子ども達も気が付かなかったこともありました。上手な子も下手な子も混じって読んでいますから,リズミカルにとまでいかない読みですが,聞いている私にはなかなか楽しいのです。本当は私より子ども達の楽しいが大切なのですが,子ども達はどう思って読んでいるのでしょう。私自身は子どものころ詩が好きではありませんでした。小説は買いましたが,詩集は買ったことがありませんでした。小説と違って,ストーリーは無いし短い文に凝縮されているため,読み取れないと思っていたようです。勘違いしていたのでしょう,読み取るなんて今でもできるのかどうか?リズムを楽しんだり内容が何となく感じられれば良いのだと思うようになりました。短歌など恋の歌が混じっていますから,小学生に意味などわかるはずもありません。でも,子ども達,特に中学生になると色々な音楽を聴いています。いつも思うのですが,彼らは詩の意味をきちんと考えて聞いているのでしょうか?それはどうもなさそうですな。リズムと言葉遣いの方が意味より大きいと思います。そんな感じで小学生に詩のリズムや言葉遣いなどが記憶のどこかに残ってくれればいいと思っています。ちょっとかっこうをつけて言うと,普段あまり使わないような古いのもあるけれど,美しい言葉を知ってくれれば良いですね。何だかんだ書いてきましたが,声を出して読むのは楽しいものです。ひょっとしたら,今思いついたのですが,カラオケと同じなのかもしれませんね。 同じ詩を4,5回読みます。最初は乗らないし,意味がわからなくて区切りがおかしかったりします。でも,後になるほど上手に読み,みんなの読みがつながってきます。そんなことが私には楽しく聞こえます。「おーいぽぽんた」を読み終わったら何にしようかと考えています。個人の詩を集めた詩集はたくさんありますが,「おーいぽぽんた」のようにたくさんの作者の詩を集めた本はそうありません。なおかつ小学生にも読めるとなると一層少ないようです。手元にある数少ない詩集から以前のように抜粋するしかないかと思っています。もし良い本をご存知でしたらお知らせください。何よりも子ども達のおかげで詩をいくつか私も楽しませてもらってうれしくて,これからも楽しくなれる物を探そうと思っています。 ★気が付けば師走も半ばを過ぎました。 もうすぐ講習が始まり,あっというまに年末です。指導要領が変わり教科書が変わり,教材の準備など,私にはせわしい一年でした。相対評価が絶対評価に,新聞でも特集を組んでいるようですが,ともかく過渡期で子ども達が一番大変でしょう。何はともあれ,受験生は風邪などひかないように気をつけてください。塾生,特に受験生(世の中に受験生はたくさんいるが,他はどうでもいいという,我がまま丸出し)にとって良い年でありますように,また皆様にも良い年を迎えられますよう心よりお祈りいたします。来年度も子ども達と楽しく勉強していければと思っています。よろしくお願いいたします。 -------------------------------------------------------- |
2002年11月28日(木) No.168 今月は試験に始まり試験に終わった感じです。試験勉強中,子ども達から「こんな難しい問題は出ないよ」,試験が終わってから「練習した問題は出なかった」と言われるほど全体的には易しい問題が多かったようです。しかし,細かく見ると中学や学年,時には科目によって違うようです。絶対評価ですから,85点以上が通知箋の5の目安です。易しい試験にすれば当然ですが4や5が増えます。難しくすれば5がいなくなる可能性すらあります。易しくするか難しくするか,中学校なのか学年で決めるのか,それとも担当の教師の方針で決まるのでしょうか?入試制度にランクがありますから,易しくて皆が5を取る方が良いのかもしれません。でも,難しい問題だった子はご不幸で諦めろということなのでしょうか?そんなこんなと思っていると,相対評価のころ易しい試験で有名だった中学があることを思い出しました。同点の子がたくさん出ます。成績の分かれ目は平常点ということになります。絶対評価になり定期テストの占める比重は小さくなりました。難しいテストで点数が悪くても良い評定がつく道が残されています。平常点を稼げばいいのです。様変わりしたようだけれど,教師の匙加減一つという点は変わっていないじゃないか。今までの卒業生で平常点に泣かされたのが何人もいます。下司の勘繰りと言われればそれまでですが,嫌なことを思い出しました。 しかし,試験問題は前回の試験より難しかったり易しかったり,同じ中学でも学年や科目によって振れが大きく,評価が絶対評価となった初年度という影響が大きいように感じました。いつになったら落ち着くのだろうか?なんだか来年度は,ゆり戻しがあったりしてまだまだ試験のレベルなど安定しないように思います。それにしても,中学で高校入試のレベルをどのように考え,定期テストのレベルを設定しているのでしょうか。私としては,高校入試の問題がどうしても頭にありますから,このレベルの問題はこなして欲しいと,ついつい思ってしまいます。でも子ども達からすれば絶対といっていいほど出ない問題なのです。先のことを考えろ,それは子ども達に対し酷な要求でしょう。私としては,子ども達を納得させながら,一定レベルを保ちつつ定期テストに対応するしかありません。 変化の初年度ですから,想定しなかったような色々な問題が出てくるのは仕方がないのかもしれません。しかし,迷惑をこうむるのは子ども達です。当事者である子ども達や保護者に,変更点や,そこから予想される状況について学校や教師から何らかの説明がなされているのでしょうか。昔から,学校は質問をしなければ教えてくれないという体質があります。もうすぐ中3は三者懇談で受験校を決めます。ぜひ状況を詳しく尋ね決めてください。
★卒業生が講師を務めたPTAの講演会がありました。手渡されたプリントに△△チャンなどと呼んでいたのが○○氏などと書かれているのを見,誰でも大人になるのですが,妙な感じがしました。「子どもと遊び」と題し,子ども達は遊びの中で「生きる力」体力も知力も身につけるのではないだろうかという問いかけがなされました。より楽しく遊ぶため体を動かし,また色々な工夫を子ども達はします。そんな中から自然に子ども達は様々なものを身につけていくののでしょう。その他にカナダ留学の話の中にカナダでは中・高校の体育は男女共修など面白い話を聞かせてもらいました。 ★試験勉強,中3は試験続きでご苦労様でした。また,中間テストのない学校は試験範囲が驚くほど広く,子ども達は大変だったでしょう。それにしても子ども達はよくやったと思います。中3になると諦めているのでしょうが,他の学年からは「こんなに塾に来ないといけないの」子ども達からだいぶ文句を言われました。また,子ども達に日程表のミスもあって迷惑をかけ,申し訳ありませんでした。 -------------------------------------------------------- |
2002年10月28日(月) No.167 物指し,子ども達に通じる言葉なのでしょうか?「テスト悪かったさ」「何点だったの」「92点」,子ども達の間で必ず嫌がられる会話の典型です。この後はとっても気まずい雰囲気に包まれます。「92点」の子は本当にがっかりしたのです。でも聞かされた方は,「それだけあれば良いじゃないか,それって自慢じゃないの」と感じました。別にどちらの子どもも悪意を持って会話をしたわけではありません。言うならば,お互いの物差しが違ったのです。90点どころか70点を取れば「良かった」と思う子だっています。良い悪いの尺度はそれぞれ異なります。体が大きくても子どもは子どもですから,他人の尺度まで考えて話はしていません。 本物の物差しだって,日本ではセンチやメートルが使われますが,フィートやマイルが使われる国もあります。世界中にはもっと違った物差しもあるのでしょう。同じ様に人はそれぞれ自分の物差しを持っている。このことは前回に書いた,カウンセラーのK先生からうかがった話です。物事を見るとき人は自分の物差しを当てます。たいてい,自分の物差しは正しいと思っています。その結果,異なる尺度の物差しがあることに気づかないで,ついつい自分の物差しで話を進めてしまいます。知らずに自分の尺度を相手に押し付けたりすることもあって,気まずい雰囲気になったりします。子ども達の場合,とても微妙な話題である点数から離れ「だれそれがかっこ好い」なんてことだと尺度がずれていても問題はありません。お互い「趣味が悪い」とか言って終わります。こんなたわいのないことならいいのですが,親子の間になるともっともっと問題が複雑になるようです。親はついつい自分の尺度を子どもに当ててしまいがちなようです。必ずしも親の物差しと子どもの物差しが一致するという幸せがあるとは限りません。 こうした物差しは生まれながらに持っているものではありません。育ってきた環境によって作られたのでしょう。子ども達は親を見て同じ様な物差しを身につけるのではないでしょうか。しかし,親とまったく同じではないでしょう。子ども達の育っている環境は親が子どもだったころとは環境が違います。昔使われた寸や尺と言った物差しがセンチやメートルに変わったように,子ども達の物差しも時代にそって新しいものに変わるでしょう。時代だけでなく,勉強が進むと小さなμやナノといった単位も出てきたりします。それでも子ども達の物差しは親の物差しに似ているに違いないと思います。似ているだけに親から見れば,ほんの少しのずれも見逃さずに気がついてしまうように思えます。しかし違って当たり前だし,子どもが一人前になるということは,親の物差しから自前の物差しを持つようになることではないかと思います。 振り返って私の物差しはどうなっているのでしょうか?長年使って狂いが生じたりしているかもしれません。いえいえまだまだ変化を続け立派な物差しにできるかもしれません。でも,どんな物差しが良いのでしょうか。 ★十一月は二学期の一番の山場でしょうか。学校行事が多い上に,下のスケジュールのように定期試験の月です。特に中三は九月からのテストが一段落します。寒くなってきました。風邪を引いたりしないように,体調に気をつけて勉強に取り組んでください。塾の予定も試験に合わせ不規則になります。その都度お知らせしますが,時間や曜日を間違えたりしないように気をつけてください。 ★「普通」ということが子ども達にとっては安心な言葉のようです。他人とそう違わないという意味なのでしょうか。平均は,凹凸がある物をならしたものです。違いを隠したとも言えそうです。同じ様に普通の子どもというのがいるのでしょうか?いえ,その子その子が熱を出したりしないで,いつものように健康な状態であれば,精神的にも安定していれば普通なので,その子にとって普通の状態にあればいいのだと思います。平均は子ども達の外側の物差しで本人にとって直接関係がありません。「普通」という言葉にもどこか外側の物差しがあって,子ども達を測っているような気がしてなりません。外側の物差しも公的な場面では仕方ないかもしれません。しかしプライベートな個人的なことまで外側の尺度に合わせなければいけないと言うのはどこか寂しいものがあります。その子がその子らしくでき,普通に,みんないい子で,頭が良くてかわいい子であってほしいものです。 ★絶対評価が導入されましたが,私が思っていたものとは違うようです。子どもがどの位成長したとか伸びたとか個人個人を見るのではなく,どうも到達度評価ということで,外側にある物差しに子どもをあてているようです。基本的に何点とれたかという世界は変わっていません。成績のつけ方が高校入試のように上位何人まで合格の方法から,運転免許のように何点以上合格に変わっただけのように思えます。しかし,高校入試は何人まで合格の世界のままです。不思議な感じがしてなりません。 -------------------------------------------------------- |
2002年9月27日(金) No.166 積読,買ったけれど読んでいない本が増えていきます。時々思いついて,ぱらぱらと読みます。読めば読んだで,おもしろいことが書いてあります。先日,ピーター・フランクル(数学者で大道芸人)の本をなんとなく,それこそ,ぱらぱらと読みました。その中に,「がんばって」をどう英訳するかといったことが書いてありました。「Do your best.」だと,相手の人がいつもベストを尽くしていないようで相手に失礼に思えるとありました。それで思い出したのが,阪神淡路大震災の時,被害にあった人達のことです。その人達は「がんばって」と言われると「まだこれ以上がんばれと言われても」と思ったそうです。 塾の卒業生が遊びに来て「○○と違って,俺達は真面目だったよな」と言います。私とおばさんは「おいおい,お前らが真面目なら,不真面目なやつはいないよ」とお互い顔を見合わせます。時間がたっていますから彼らは都合の悪いことは忘れていると思います。でも,中学時代の彼らとしては「がんばっていた」のだろうし「ベスト」を尽くしていたのでしょう。「がんばった」という子どもの思いと「まだ足りない」と思う私達の思いはどうもずれてしまうようです。 九月は篠路神社のお祭りがあり,連休が続きした。連休の前に中三の子が「遊びたいな!」とぽつりと言いました。二学期は中三にとっては,毎月のようにテストがあります。緊張の連続でしょう。彼らは口には出しませんが「がんばらなくちゃ」「毎日勉強しないといけない」と思っています。自分でそう思い,また親の思いも十分わかっているのでしょう。私はそんな彼らの気持ちも考えず,気楽に「遊べば」と言いました。「ええ,遊んでいいの」と彼らは驚いたようです。塾のおじさんですから,勉強しろが普通なのかもしれません。しかし,「遊びたいな!」と思う状態が続いて,効率のよい勉強などできるのでしょうか?週に一回くらい思いっきり遊んで,気分転換した方が効率は良いし勉強が長続きすると思います。「勉強しろ」は「がんばれ」の追い討ちのように私には思えてなりませんでした。 遊んだ後「遊んだのだから,その分もしっかりやらなければ」たぶん息子達や子ども達に私も言ってきたことだと思います。しかし,これだと遊ぶたびに,もっともっと勉強をしなければなりません。何のための気分転換なのか,かえって気が重くなって遊ぶ気力がなくなりそうです。遊びを最初からスケジュールの中にいれてあると考えれば良いことでしょう。大人の目から見れば「まだまだ」かもしれませんが,子ども達にしてみれば精一杯なのかもしれません。確かに中三は大切な時期に違いありませんが,過度の緊張はいい結果につながらないと思います。高校入試まで長丁場の勉強です。自分のペースを作り上げるつもりで計画を作るときから休みをきちんと取るようにしてほしいと思います。「無理をしない・むらをなくす・無駄を恐れない」で計画を考えてください。無駄を恐れないはなかなか難しいこととは思いますが,やってみるという前向きな気持ちを持つためには必要なことです。塾でも土曜日を利用して試験対策をする予定にしています。私も少し気を引き締めてというところです。 ★九月になって良いお天気が続きました。連休の後に中間試験の学校があり試験対策をしました。私も子ども達と同じで遊びたいなあ。勉強より外で遊ぶに絶好のお天気が続きました。まあ,それでもしっかりと藻岩に行ってそれなりに遊びました。今回は藻岩で久しぶりにカウンセラーのK先生にお会いしてきました。以前からK先生には子ども達との接し方など色々と勉強させてもらっています。色々なお話をうかがってきましたが,今の時代は難しいということを考えさせられました。戦後の貧しく物のない時代は,食べることと豊かになるというはっきりした目標がありました。食べることに困らなくなり,そのほか色々と豊かになった今,われわれ大人も含め生きる目標は何なのでしょうか?物があふれ欲しい物がたくさんあります。まったく手が届かないのであればあきらめもつきますが,テレビゲーム・携帯電話など,どうにか手が届きそうなものが次々と現れてきます。一つ手に入れたら終わるかというとそうはいきません。まるで,のどが渇いているときに海水を飲むと,益々のどが渇くように次が欲しくなる。毎日がご馳走で,何がご馳走かわからなくなり喜びがなくなってしまう。豊かになりながら喜びや満足感が感じられない,思えば不思議なことになってしまったようです。
子ども達が充実した日々を過ごすために何が必要なのか,私達に何ができるのか考えさせられます。子ども達は大人の背中を見ています。間違いない事は,私達大人が充実した生活を過ごしているかが問われているということでしょう。 -------------------------------------------------------- |
2002年8月26日(月) No.165 初めての絶対評価の通知箋いかがでしたか。道新Today9月号によれば成績のインフレ傾向の中学と,従来とあまり変わらない中学があったようです。塾生の様子からは,成績のインフレ傾向のような感じがしました。子ども達やお母さん方の話から,2・3年生でランクアップの子が多いようです。全体に子ども達の感じは落ち着いていて,評価方法が変わったからといって,特に変化は感じられません。ただ私が思うに,中学によって,場合によっては教科によって,成績のつけ方が違うような感じがしました。「興味・関心」など評価基準になっていますが,教師の見方・好みで何とでもなってしまいます。実際に1クラスに「1」が13人もいるという極端な科目もあったようです。今春から中学の教師になった塾の卒業生の話によれば,評定基準を作るのにとても大変だったということです。どの中学も教師も初めてのことで手探り状態でしょうから,中学や教師による,ばらつきは仕方がないのかもしれません。でも迷惑をこうむるのは子ども達ですから,フェアな方法で,納得のいく成績をつけてほしいものです。
まあ,成績が上がったのですから喜ばしいことなのですが,入試の内申ランクがどうなるのか気になるところです。道新Todayでも,合格最低内申ランクが上がるかもしれないと予想しています。私も合格最低内申ランクが「G」や「F」だった高校の内申ランクは上がるのではないかと思っています。中3は同じランクの人が増えると考えて,学力点で差をつけるようにしなければいけないでしょう。また,「4」や「5」が取りやすくなったのですから,今の中1・2特に中1が受験するころはランクを持っていて当たり前のような状態になるかもしれません。受験制度の中に内申制度がなくなることは考えにくく,変更がない限り今までよりもランクの取りこぼしのないようにしなければならないでしょう。定期テストの比重が小さくなっていますから,小テストや授業態度も大切にしなければなりません。こう考えてくると,なんだか子ども達に今まで以上にストレスがたまるのだろうかと思えてきます。しかし,逆に考えれば,定期テストも85点以上取りさえすればいいのでしょうから、力の配分の仕方を変えればいいということなのでしょうか?成績を取るということにかわりがありませんが,何だか今までよりも,ちまちまと勉強をしないといけないようで、少々気の重い私です。 ★いつの間にか秋になってしまいました。講習中は涼しくて助かりましたが,こんなお天気でいいのでしょうか?ヨーロッパや中国では洪水の危機とか,道新の卓上四季にも書いてありましたが,地球温暖化と関係があるのでしょうか?不順な天候のようです。中3は試験が続きます。部活が終わり運動不足になりがちですが,くれぐれも体調を壊さないように注意してください。 ★情報公開に行ってきました…中学生の成績をつける時の基準になる資料を見たいと思い,ここのところ3年ほど続けて行っています。そのときお会いした教育委員会の方の話によれば「以前と違い,公開している学校が多くなっている」とのことですが,比較すればそうかもしれませんがの印をついている学校もありますからまだまだなのでしょう。 各中学の評価評定基準を取り寄せました。中身をじっくり見ていませんが,同じ基準を書いた公文書なのに,その量の違いには驚かされました。わずか1ページの中学から292ページに及ぶ大作の中学まであります。教育委員会によれば,公文書と判断するのは中学の校長の裁量ということで,「ページ数が少ないからといって基準がでたらめな事はなく,生徒や保護者からの質問に答えられるようにきちんと準備しています。成績に納得がいかない点があれば,学校は詳しく説明してくれる。」とのことでした。 私が手に入れた公文書は,文書に保護者あてと書かれたものが多く,結構PTAの総会などで配布した物が多いようです。しかしページ数の多い文書は各教科,単元ごとに評価基準を書いたものもあり,あまり外部の人が見ることのない物もあるようです。塾生の通う中学の文書は全部ありますので,もし見たいとお思いでしたら連絡をください。コピーします。 -------------------------------------------------------- |
2002年7月29日(月) No.164 学校は安全なところでしょうか?それとも危険なところでしょうか?子どもとの会話から,ふと感じた疑問です。「学校へはお金を持っていってはいけない。」何故だめなのか,「不要な物を持っていてはいけない。」なぜ不要なのか?親に学校帰りに買い物を頼まれるかもしれない?いや,自分が必要な学用品を帰りに買ってはいけないのだろうか?疑問が山ほど出てきます。「お金を失くすかもしれない。」家の近所や,街中にいれば失くすことがないのだろうか?私は,街中の方がお金を紛失する危険が多いのではないかと思います。あるいは,大阪池田小の事件以来,学校は危険なところになりお金がなくなってしまうのでしょうか?いえ,池田小の事件だって外部の人間がおこしたことですから,学校の中は街中よりよほど安全だと私は思います。先生達は,ひょっとしたら,学校は危険なところだと考えているのでしょうか?学校にお金を持っていってはならない,ちょっと不思議なことだと私は思いました。 このことを子ども達と話して感じたことは,子ども達に何が必要で不要な物なのかを,子ども達自身や親も一緒に考えなければいけないことで学校だけで決めてしまうのはおかしいということが一つです。それから,子ども達を一人前に扱おうとしていないのではないだろうかということです。子どもですからすべてをというわけに行きませんが一人前の扱いを少しずつしていかないと,子どもはいつまでも一人前にならないでしょう。地位が人を作るということも言われます。野球で1番や2番を打っているといつまでたっても4番バッターになれません。4番になってこそ本当の4番になれます。世の中に危険やトラブルが伴う困難な事柄はたくさんあります,困難を乗り越える力を子ども達は身につけていかなければなりません。ある日突然,身につくものではありません,少しずつ日々,身につけていくものだと私は思います。 また,一人前扱いされ,何かうまく出来たとき子ども達は大きな達成感を感じるはずです。先日,小学生が,小さな冒険ですが,自分達だけで藻岩の山小屋から地下鉄バスを乗り継いで家に帰りました。初めての経験に成功し,塾に来たときの自信にあふれた顔は印象的でした。成長していく子ども達は,色々と興味を持ちやってみようとすることがたくさんあると思います。失敗もあるでしょうが,成功したときの達成感や,自分を発揮できた喜びは大きな自信になると思います。小さな冒険を重ね経験を積みこうした喜びをたくさん経験することで子ども達は成長するのだろうと思います。そして達成感や自信は勉強にも良い結果をもたらすと思います。 ★子ども達よ怒れ…一人前扱いしない大人達に対して子ども達は「それくらいの事は出来る,馬鹿にするな」ともっと怒っても良いのではないだろうか?また,中学では三者懇談が行われました。中3は高校の話が出ます。毎年あることですが,「入学してもビリだから,ついていくのは大変だ,一つ落としてトップにいれば」と教師が言います。「これ以上伸びない,高校で成績は上がらない」と言われているのです。「子ども達よ怒れ」本当にこのごろは言いたくなります。失礼です。私に対してなら,まあ年も年だし伸びないかもしれませんが,実は本人はまだ伸びると思いあがっているようですが,中学3年生に対してなにごとか。それに考え方が甘い,トップで合格イコールトップで卒業なんてそんなに世の中甘くはありません。同級生をなめてはいけません。それこそ同級生全員に対してお前達は伸びないと言っているようなものでこれまた失礼。子ども達よ怒れ!それとも子ども達にそんな自信はないし自分の可能性を信じないので怒らないだろうか。いえいえ,うちの塾生に限ってそんな事はないでしょう。怒る必要はないでしょうが楽しい高校生活を目指し意地を見せてほしいと思います。 私が怒ったところでどうにもなりません。私の仕事は子ども達に実力をつけることです。夏の講習が始まったばかりですが,子ども達だけでなく私も意地を見せなければなりません。
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2002年6月24日(月) No.163 少し気になる日本語。何年か前まで,「かわいい」何もかもこの一言で片付いていました。年上の人に対しても,いえ,人どころか物でも何でも「かわいい」 。消しゴムがかわいくてそれがどうした,もっと違った表現があるだろう,貧困な日本語と私は思いました。しかし,子ども達にとって自分の思いを表す便利な言葉だったのでしょう。 今も子ども達は「かわいい」という言葉を使いますが,どうもこの頃は「きもい」または「きしょい」の方が多いように思います。「かわいい」と同じ様に人にも物にも使います。いえ,人の行動や行為に対しても使いますから,もっと使用範囲が広いような気がします。「気持ち悪い」が縮まって「気もい」,周りに気持ちが悪い人や物がそんなにたくさんあるのかと最初はどうなっているのだろうと思いました。しかし,子ども達の話を注意して聞いていると軽い意味で使っているようです。「かわいい」が「気に入っている・自分の好みに合う」といった意味に対し,反対の「気に入らない・自分の好みに合わない」程度の意味で使っているようです。特に異性についての評価では,恥ずかしさも手伝ってか誰かれなしというぐらい「きもい」といっているようなところも感じられます。 私が気になるのは,軽く自分の気持ちを表す言葉なのですが,「かわいい」は前向きに評価し,「気もい」は否定的です。大袈裟にいえば,何か時代的なもの,世相といったものがあるのだろうか等と思ったりします。そもそも,大人は子ども達を肯定的に前向きに評価しているのでしょうか? 教科書が変わり内容が減りました。難しいからという理由があったようです。これなど子ども達に対してとっても失礼ではないでしょうか。いまさら中身を減らすのは昔の子は賢かったが今の子は馬鹿だといわんばかりです。子ども達の能力と可能性を前向きに評価しているとは思えません。大人が子どもを評価しますが,子ども達には大人がどんな風に見えているのでしょうか。きもい大人がきもいことをしている,かもしれません。 ★期末テスト…絶対評価に変わって初めての期末テストが終わりました。結果を見てみないとわかりませんが, 子ども達の話や見せてもらった一部の問題用紙などから,全体に易しかったように思われます。教科書から正答率の低い内容が削除されたことを考えれば当然かもしれません。また,数学は授業時間数が削られ試験範囲が狭くなったこともあるかもしれません。 中学によって違いはありますが,いかにも新指導要領に合わせた様な,今までには見られなかった「自分の考えを書きなさい」という問題もありました。採点基準はどうなっているのか気に掛かるところです。学校側も初めての試みとあって大変なのでしょう。 -------------------------------------------------------- |
2002年5月20日(月) No.162 「何で,こんな勉強するの」,前回の続きです。学校で習うことは世間から見れば狭い狭い世界です。しかし,学校でなければ出来ないこともあるでしょう。ともかく何でもやってみて,興味の持てる持てない,好き嫌いが分かる,まあ,自分の興味や関心について知るチャンスと考えてみればいいと思います。 例えてみれば,たくさんの食べ物を味見,いえ,ちょっとつまみ食いしているようなものでしょうか?おいしいと感じる食べ物もあれば,舌に合わないものもあります。嫌なものを食べることもありませんが,知らなかったおいしいものに出会えるかもしれません。食べず嫌いよりは良いような気がします。また,年齢を重ねるにつれて,味覚は変わります。昔おいしいと思わなかったものがよくなることもあります。勉強も後になってから興味を持つことだってあります。 それよりも,嫌いなものがなくて好きなものばかり,そんなことがあるでしょうか?悪人がいてこその正義のヒーローです。同じように,嫌いなものあってこその好きなものではないでしょうか? 「次の時間が楽しみだ」,これだって前につまらない授業があるからでしょう。つまらない勉強があって,遊びの楽しみが増します。ご馳走攻めはご馳走ではなくなってしまいます。つまらないとか嫌いは,楽しいの引き立て役,,なくてはならない物かもしれません。 しかし,退屈な時間を過ごす子ども達は大変です。そこで,嫌いな物と,どうお付き合いをするかが問題になってきます。嫌いなのですから,最小限の努力で最大限の効果を挙げる方法がベストです。それなりの成績をとりながら,退屈な時間を有効に使う,知恵と工夫が子ども達に要求されます。なかなか難しいことですが,こうした嫌いなものとの付き合い方を知ることは将来の役に立つだろうと思います。学校の授業は一生続くことはありませんから,ひたすら耐えるという手もあります。ひょっとすると,子ども達に忍耐力をつけるために,面白くない勉強にしてあるのかもしれません。知恵や工夫が出来,おまけに忍耐が身につく,こんな良いことはないのかもしれません。 勉強に限りませんが,何の役に立つのか,わからないものがたくさんあるようです。親の目から見れば,テレビゲームなど無くていいのかもしれません。立場によって見方や価値観は変わります。まるでコインの裏と表のようです。表があるから裏があります。嫌いなものは仕方がありませんが,コインの裏表くらいに軽く考え,全面的に否定することなく,何か上手な付き合い方を見つけてやると,好きなものをより素敵に引き立てることが出来るかもしれません。 「何で,こんな勉強するの」,答えることの難しい問題です。子ども達なりに目標や目的と言うか,価値観を感じたいのでしょう。でも,私はどこかで,子ども達は自分が意味の無いこと・価値の無いことと思うこともやってみると良いと思っています。食べず嫌いよりましと同じ考え方です。子ども達には酷ですが,誰かが価値や目的を教えてくれることは無いと思います。自分で価値を見つけ目的を持たないと,いえ,そうなってほしいと思います。自分の物の見方や考え方をそうやって身につけていくのだと思います。いかに興味を持たせるのか?難しいことですから,私の弁解を今書いているのかもしれません。何にせよ, 子ども達が「どうして」と疑問を持ち不思議に思い続けることは大切なことだと思います。そんな思いを持ちながら子ども達が勉強を続けると,きっと,何か気がつくことが多いのだろうと思えてなりません。 -------------------------------------------------------- |
2002年4月22日(月) No.161 ★古くて新しい話題,「どうしてこんな勉強しないといけないの?」。ある本に次のようなことが書いてありました。学校の勉強内容には,世の中が要求する社会の一員としてこの程度のことは知っていてくれなくては困るといった部分と,自分はこんなことを知りたい勉強したいという個人が要求する部分など,色々な要求に答えなければならないところがある。そのため,誰もが納得のいく内容にはなかなかならない。言われてみればその通りかもしれません。ですから,教科書は最大公約数的に出来上がっていて面白みにかけるのでしょう。しかし,社会的な要求と考えると勉強ができるということ,イコール社会のニーズにあっていることになります。つまり,勉強ができることは社会の一員として認めてもらえるといった意味を持ちます。しかしこんなことは子ども達に対して説得力があるとは思えません。もっと個人的な欲求や興味に訴える部分があれば子ども達の反応も違ってくるのでしょう。今,中2の授業でインタ-ネットでダウンロードした写真を試しに使っていますが,反応はいいようです。パソコンだけでも子ども達はおおいに関心がありますし,カラーの写真はなかなか説得力があるようです。まさに百聞は一見にしかずですね。 また,勉強とは訓練であって,多少の押し付けはやむをえない。これも新聞からの受売りですが, 頭脳が柔軟で柔らかい若い時にを鍛えておく必要がある。こちらは,スポーツあるいはゲーム感覚でできれば良いようです。技術の習得はそれなりに苦労するところがあっても,クリアできれば達成感もありますし子ども達には励みになります。しかし,うまく出来ないときの苦しみ,私は逆上がりができなくてできなくて,嫌な思い出として残っています。問題の解法は確かにテクニックと手順の習得と言えるかもしれません。子ども達はテクニックには,ゲームのように関心を示しますが,手順の方は今ひとつ乗ってくれません。ボタン操作で色々とできる簡単便利な時代のせいもあるのかもしれません。しかしボタン操作だって順番がありますから,同じようなものだと私は思いますが,字を書くこととボタン操作は別物のようです。「どうしてこんな勉強しないといけないの?」子ども達を納得させるような答えはなかなか出せません。でも,子ども達自身が疑問を持ち続け,答えを考えることはいいことなのでしょう。多分,この問いに対する答えは子どもによって違っていて,数学のような一つのこれだという物はないのでしょう。そして,子ども達が自分なりの答えを見つけた時,本当の意味での勉強が始まるのだと思います。そのためには,関心や興味が広がってくれればと思います。なかなかいい方法はないのかもしれませんが知恵を絞らねばと思っています。 ♥新学年が始まりました♥教科書が今年度から新しくなりました。「内容が厳選され基本重視」とか「内容が乏しく学力が落ちる」などなど色々と言われています。確かに算数の教科書の中身を見ていると,レベルが低く,高校など後で子ども達が困るだろうと思います。また中学の英語は時間数が減ったのに,内容はそれほど減っていないようです。選択の時間を英語にまわすなどして調整するのでしょうが,いずれにしても子ども達にしわ寄せが行くようです。どうも,親分の文部科学省の足元がふらついているようです。教科書の内容を選ぶ基準などきちんとした方針らしいものが,私にはあまり感じられません。最近,お役所は「教科書の内容は最低基準だから,できる子にはもっとレベルの高いものをやらせる」などといった発言をしているようです。,学校によってあるいは教師によって授業の中身が違ってくるのでしょうか。 ♥評価は絶対評価に♥各中学で絶対評価について説明したプリントが配布されていると思います。ある中学のプリントは見せていただきましたが,以前から導入されている観点別評価を基準にしているようですが,実際に成績がついてこないとよくわからない感じです。 ♥週休二日制♥子ども達の土曜日の過ごし方が新聞などに色々書かれていました。塾も様々な催しをするようです。私達としては従来通りのお泊り会と,受験や英検対策をしようなどと思ったり,もし皆さんから希望がありましたら月謝袋にメモを入れるなどでお知らせください。参考にしたいと思います。 しかし,なんだか週休二日制になって今までより働かされそうで‥‥
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