ごあいさつ

通信Back number1995年4~1996年3月

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1996年3月23日 No.88

 「ご苦労の妻」「ストーブから火が出る」私を含め,みんなを大いに笑わせてくれました。「○○語録」と言われるほど,もっとたくさんの楽しい間違いをしてくれました。多分,これからも間違いを続けると思います。みんなも次はどんな間違いをするだろうかと楽しみにしていました。ところが,最近はあまり間違えなくなってきました。このことはみんなが認めることです。間違えることから本人はいろいろと学んだのでしょう。失敗を恐れずにやってみることがよかったのです。人には色々なタイプがありますから,誰もが同じようにはできないかもしれません。しかし,他人の失敗から学ぶということはできます。これは他人の目から見て,学んだかどうかはわかりません。ただ,どちらにも共通することは失敗から学ぶということです。失敗を笑ったりすることが多いのですが,じつはとても大切なことなのです。失敗をしない人間はいません,おかしいと思ったら笑うのも良いでしょう。笑った方も笑われた方もそこから次に間違えないように何かを学んでくれれば良いと思います。

 間違いや失敗はとっても大切なことです。私は超能力を持っていませんから,他人が頭の中でどう考えているか何てわかりません。書いた物を見たり話したことを聞いて初めて正解とか誤っているとかが分かるわけです。そこで私の出番がきて「ここはこうして」などと子ども達に説明が始まります。ともかく,間違えたことは大事にしてほしいのです。何度も書いたことですが,「違うよ」という私の言葉と同時に自分の答案を消してしまう子が結構います。恥ずかしいとかもう一度やり直すとかいろいろの理由があるのでしょうが,とても大切な物を失っていくようで残念でなりません。学校や家庭で失敗するといつも怒られているんだろうなと思えるような子もいます。勉強の失敗など命や体に何の影響もありません。色々な失敗をし,経験を積むことから子ども達は学んでいくのではないでしょうか。もっとゆったりと構え,子ども達の失敗をこれが次につながるのだと見れるようになれればいいと思っています。

草の実廃品回収の廃止

 長い間ご協力いただきました,草の実の廃品回収が4月を最後に取りやめになります。同封いたしましたお知らせのように,木工部門に力を注ぎ,法人化に向けて行くとのことです。草の実の木工品は,札幌駅のライラックパセオで販売しています。機会がありましたらお立ち寄りください。

★今年の入試は上位校の倍率が高かったり,今までとは少し様子が違ったようです。入試問題の傾向も少しずつ変わってきているようです。指導要領が変わったことや私立校の影響かと思います。この数年で入試の方向性がはっきりするのではないでしょうか。

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1996年2月27日(月) No.87

 学校の先生の話題でよく出てくるのは「はげてる〇〇先生」がよくあります。そして「はげ」と言うとしかられることがほとんどのようです。そんなとき私は,子ども達に「どうして怒るんだろう,せっかく自分を覚えてもらえるチャンスなのに」といいます。しかし,どうして「はげ」はからかわれるのでしょうか。また,子どものからかいに大人の教師がなぜ本気になって起こるのでしょうか。私は「はげ」ほど子ども達に覚えてもらうのに良い特徴は他にないかもしれないと思っています。こんなことを思うようになったのは,実は髭をのぱすようになってからです。私が髭を伸ばし始めた頃を思うと近頃は髭のある人が増えたと思います。しかし,今でも歩いているとじろじろと顔をみられることがあります。つまり,髭は人目を引く特徴ということです。役者ではありませんが人目を引くことは仕事をする上で必要なことではないでしょうか。人目を引くといっても顰蹙を買うようなことでは困りますが,髭など誰に迷惑をかけることでもありませんから,まあいいかなどと思っています。確かに髭は手入れが悪いと見苦しい物ですし,こんなこといっている私はあまり手入れはよくありませんが,なんといっても子ども達の話題になることは間違いないでしょう,悪口でも良いことでもです。私なんかは子ども達の話題にならないとどうしようもありません。そう考えると「はげ」は格好の話題です。どうして,先生達は他人のまねができない立派な特徴を活用しないのでしょうか。と言いつつ,私は「はげ」にしようとは思っていません。

 色々な子ども達がいます。言い方を換えれば皆それぞれの特徴を持っているということです。中には自分の特徴を「はげ」のようにいやがる子どもや特徴というよりは欠点とすら思っているんではないかというような子もいます。特徴と思うか欠点と思うかは天と地ほどの違いがあるのではないでしょうか。自信を持つのと持たないのとの差でしょう。同じ物でも角度を変えてみると違って見えるようなものではないでしょうか。「はげ」は「はげ」と認めどう活用するかはその人の考え方ひとつではないでしょうか。嫌がったところでなくなるものではありません。自分の持っている物はすべて認め大切な物だと思えるようになりたいものです。

 

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1996年1月30日 (火) No.86

 お正月が過ぎると子ども達はなかなかリッチです。親戚の多い少ないで多少の違いはありますが,大人の私がうらやむほどのお金を持っていることもめずらしくありません。全額を自由に使える子から強制的に貯金させられる子など様々です。しかし,使い道の話によく出てくるのはゲームソフトが多いようです。塾生に男の子が多いことも関係があるようですが結構女の子もゲームソフトの貸し借りをしているようです。ゲームには簡単な物から難しい物があり,何時間でクリアしたとか何日もかかったとかよく話しています。それぞれのソフトには攻略本という物があってゲームの楽しみかたを詳しく解説してあります。子ども達は攻略本などから仕入れた情報をお互いに教えたり教えられたりしています。私は子ども達のそんな話を聞いているといつも別世界の話を聞くようで遊び方も変わったものだと,いかにも大人のように思っていました。

 

 実は先月から通信を横書きに変えたのは,以前から横書きにしたかったこととワープロをパソコンに変えたことがきっかけになっています。パソコンを使うのですがゲームに使うということは考えていませんでした。実際こうしてまじめに通信を書くのに使っているのです。ところが,パソコンのソフトはなかなか私の思うように動いてくれません。しかたなく本屋でソフトの解説書を買って勉強です。ここまで読んでいただけば,すでにお気づきかと思いますが,私のやっていることは何にも子ども達と変わらないのです。つまり,パソコンソフトの攻略本を買ってきて,こうして通信を書いているということなので,ゲームとワープロという差がありますが機械に向かってあれこれ苦労することはまったく同じで,子ども達より私の方が苦労していることでしょう。私など,このていどの通信を書くのにさえ四苦八苦というありさまですから,たくさんの機能のついたパソコンを自由に使えるようになるんだろうかと不安になってしまいます。

 機械を相手に仕事をすることや,そのためのマニュアル(攻略本)が必要なことなど当たり前の世の中になっているということなのでしょう。まるで別世界などではありません。私と子ども達は当然ですが同じ世界に住んでいるのです。機械やマニュアルの世界が良いか悪いかはともかく,そんな世の中に住んでいることは認めなければなりません。経験を積むということは,いろんなことに上手に対処できるようになりますが,新しいことにはあまり役に立ちません。言い方を換えると,年をとると新しいことに取り組まない方が楽だと思うようになってくる面があります。また,今まで経験しなかったことについては,いい評価をしたくないし時には否定したくなったりします。こんな気持ちになったら,私も老化現象かなと思ってしまいます。せめて,現実を認めるぐらいの柔軟性を失いたくないし,やってみようかといった積極的な気持ちを持ち続けたいと思います。

 

★冬の講習もニセコのキャンプも無事に終わりました。スキーでけがをした子はいましたが,たいしたこともなくすんだようでほっとしています。しかし,中3は最後の仕上げの時期です。毎年書くことですが,体調には十分な注意をしてください。この冬は例年になく雪が多く,寒かったり暖かかったりと不順なお天気のようです。風邪などひかないように,栄養と休息は十分にとるようにしてください。無理はできるだけしないようにしてください。

 

 1・2年生は学年末テストが待っています。一・二学期のSSはわかりますか。学年末テストの結果によっては,五段階評価の変わりそうな科目はありませんか?しっかりと確認して,どの科目に特に力を入れるといいのか目標を決めて勉強に取り組むようにしてください。また,得意な科目はもっと点数がとれるように,苦手な科目はそれなりの点数がとれるようにしておきましょう。目標は高く持つ方が良いのは当然ですが,現実をしっかりとみて地に足の着いた物にしましょう。

 

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1995年12月18日 (月) No.85

 中3はもうすぐ受験という時期になりました。それぞれの子ども達が家庭でどんな様子で過ごしているでしょうか。私の見た感じでは,受験という初めての経験を前にかなりストレスがかかっているように思えます。こうしたストレスが適度な緊張感としていい方向に働くと良いのですが,なかにはストレスがたまりすぎて不安定になる子もいます。また,緊張も続くと疲れますから,どちらにしても時には発散することが必要だと思います。 ストレスという点では,ひょっとしたら中1のほうが大きいかもしれません。慣れない中学生活の中で,やりたかったことや言いたいことがいっぱいあったのに抑えつけられたり我慢してきたのではないでしょうか。ようやく学校の様子がわかり周りが見えてきて,今までにたまっていたものが噴き出してきているように感じることがあります。学校や先生に対する話題の内容を聞いていると不平不満というのが多くなってきているようです。子ども達のカウンセリングを専門にしている方の話しによれば,そうした不満は「うん,そうなんだ」とうなずきながら聞いてやれば,子ども達は自分の言いたかったことを聞いてもらえるというだけで安心するんだそうです。「先生の悪口を言って」などと心配して子どもの口を封じるとストレスがたまり子どもによくないようです。私もよく子ども達の話しを聞こうと思うのですが私達の息子が中学を卒業して,まる2年もたっていないのに,中学の先生達の顔ぶれがかなり変わってしまいました。塾の子ども達の話題になる先生も知らない名前がふえました。息子の通っていた中学でさえそんな状態ですから,他の中学になると名前のわかる先生などほんのわずかになりました。子ども達は家庭でも先生の悪口などを言うと思いますが「うん,うん」とうなずきながら聞いてあげてください。そのほうが子どもの精神衛生には良いようです。私の悪口についても同じことが言えそうです。

★縦書きを横書きに変えました。どちらが読みやすいでしょうか。以前から変えようと思っていましたが,機械を変えたのでひと思いに横にしてみました。横にするのはたいして難しくはないのですが,機械に慣れるのは大変です。思うようにならず,いつもの倍以上の時間がかかってしまいました。新しい機械はとても性能がよくて色々なことができる機能がついています。機能に振り回されながら打っているという感じがします。よく言う,機械に使われているというやつです。何とか思うように機械を使ってやろうと思っていますが今しばらく時間がいるようです。しかし,子ども達が新しいおもちゃを前にしたときと同じで結構楽しんでいます。

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1995年11月27日 (月) No.84

 問題を解いていて間違えると「ごめんなさい」とあやまる子がいます。あやまられると私はとても変な気持ちになります。あやまるということは自分に悪い点があって責任を認めたことになります。しかし、答を間違えることがあやまらないといけないほど悪いことなのでしょうか。また自分にどんな責任があると思ってあやまっているのでしょうか。そもそも、答を間違えたからといって誰にも迷惑をかけません。ただ、目分が思うように点数や成績が取れないだけで、自分が満足できるかどうかという、とても個人的な問題です。ひょっとすると親の期待を裏切ったとか、私が言った通りにやらなかったから悪いと思うのでしょうか。もしそうだとしたら、その子はまるで親や私のために勉強していることになるのではないでしょうか。そんな調子ではおもしろくない勉強がますますおもしろくない物になるでしょう。 私と子どもの関係だけで考えると、間違えるから塾に来ているのだし、間違いをどう直すかが私の仕事ですから。間違えてあやまられるというのはおかしな話ではないでしょうか。また。私も人の子ですから同じ間違いを何度も繰り返されると、いらいらするし怒りもします。怒られるとあやまるというのは子どもによくあるパターンのようで、子どもなりの防御のようです。ところが、私が怒っていない時もあやまるから、どうしてこの子はあやまるのだろう、間違えるとあやまる習慣なんだろうか、などと考えてしまいます。しかしあやまったところで間違いは直りません。私の立場からいうとどこで、どうしで間違えたのかを考える方が、あやまるよりよほど大切なことなのです。答を間違えるというプライベートなことをあやまったりする必要はどこにもありません。かえって、何度もあやまられると何だか中身のない言葉のように思えてきて「謝ってすむんだったら警察いらんぞ」と私は言います。意地の悪い見方をすれば、あやまれは何でもそれでいいと思っているんじやないだろうかなどと思ったりもします。ともかく、たかが勉強です、人の生死にかかわることではありません、今のうちにしっかり間違いをしておくことの方が大切なのではないでしょうか。

▼私立中学・高校の入学説明会が19日にありました。学習塾を対象とする説明会で、八校の私立の先生方からお話を伺ってきました。各校とも、コース別の授業や講習、また付属高校という利点を生かした推薦制度など特色のある学校運営を行っており、とても熱のこもったお話でした。その他、塾による推薦入学といったことを含め、入学時の基準などかなり詳しいお話もありました。一部の高校ですが全体の傾向などを考えると三校になるかと思いますので、来月までにはご報告したいと思っております。

 

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1995年10月26日 (木) No.83

  子ども達は「頭が良い」という言葉をよく使います。意味は単純で学校の成績が自分よりも良いというだけで。体育など実技の成績は関係ありません。子ども達の話し方を聞いていると「頭が良い」というのはものすごいことのように聞こえます。単に点数を取るのが上手というだけのことなのですが、子ども達にとっては。それくらい大切だし難しいことだし、頭が良くなりたいという気持ちがこもっているからなのでしょう。

 それにしても、点数を取るということを、どうして「頭が良い」などとわさわざ言うのでしょうか。子ども達がよく口にする言葉は大人のまねが多いようですが、これは例外のように思います。どうも、反対に大人は「頭が悪い」と子ども遠によく言っていることの裏返しの様に思えます。それで、私は近頃「こんなふうにすると頭が良くなるよ」と子ども達に言う様に心がけています。ところがこれが結構難しいのです。良いところを見つけた時は「その調子でやれば、頭が良くなるよ」と簡単にいきます。ところが勉強を見るということは、子ども達の間違えたところを捜すことが仕事の大きな部分になっています。間違えを見つけていくということは、テストでいうと減点していくことですから、見つければ見つけるほど「頭が悪い」と言っている様でタイミングよく「頭が良くなるよ」とは言いにくくなります。それと間違いを見つけていると、どうしても「だめ」と言ってしまいがちです。減点の方に行ってしまって加点の方に向かいません。しかし、何ごとも言い方があるはずですから

何とか言い換えてと思うのですが、どんな間違いをするかわかっていればともかく。思いもよらない間違い方をされると絶句してしまうこともあります。「頭が良くなりたい」と子ども達が思っているのですから、やはり「頭が良くなるよ」と言ってあげたいと思います。それだけで子ども達の頭が良くなるわけではありません。しかし「頭が悪い」と言われるよりは「こうすると頭が良くなるよ」と言われ、何をどうするかがわかると子ども達は実行するようです。どうすれば頭が良くなるのか、本当はとっても難しいことなんでしようが、そのために何かできることがあれば、私も子ども達と一緒にいろいろとやらないといけないのですから。これからも頑張って「頭が良くなるよ」といい続けようと思っています。

▼塾に釆ている子ども達の中に、部活をしている子も多いのですが、試合前のコンディションの調整に必要な食事などの指導を受けていることは少ないようです体調を整えていないと、せっかくのスポーツも楽しめないのではないでしょうか例えば、試合前の食事は2時間半から3時間前には終え、胃をからにしておくことが肝心だそうです。朝食のメニユーは和食ならご飯と軽い副食、洋食ならパンとジャムの取り合わせがよく、魚・肉類は少しにし、脂物はやめる方が良いそうです。勉強をするにも体調を整えることは大切です、食事など気をつけて風邪など引かないように気をつけてください。

 

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1995年9月26日  No.82

 二千年以上前の中国に「法三章の約」ということがありました。「人を殺せば死刑・傷つけたり盗むと罪・秦の法は廃止する」という三章だけの法律で、人々はとても喜んだということです。秦という国は法家の国で細かい法律があったため、秦を滅ぼした漢の高祖が約束したことだそうです。後に足りなくて九章にしたそうですが、キリスト教にはモーゼの

十戒というのがありますから、その程度でことがたりるのでしょう。また、決まりは少ないほど分かりやすいということ

が言えるのではないでしょうか。 現実の世の中はとても複雑ですから法律が十やそこらでは全然足りないことでしょう。しかし、子ども達を見ていると家庭内など限られた生活範囲で考えるとやってはいけないこと、タブーはあまりない方が良いように思えます。タブーが多い子は、失敗を極端にこわがります。そのため、問題を解くことよりも答えを写すことに熱中します。家でも間違えるような問題はしないでしょうから。成績につながりません。それと、タブーが多いと私の説明よりも顔色の方がよほど気になるようです。じっと私の顔を見るのはまだしも、ちらちらと顔を見られると私もとても気になります。意識的に無視するのですが、わざとらしくなって良くありません。それと、試験が近くなると落ち着きがなくなります。テストが終わると、まるで憑き物が落ちたように落ち着きます。試験中は落ち善きがなく勉強がなかなか手につかないといった子ども達です。試験そのものは楽しいことではありません。その上、テストの結果が待っています。失敗をする前から失敗を恐れていますから、結果は推して知るべしでしよう。とても実力を発揮するどころではありません。また失敗しない方法は何もしないというのが一番簡単です。私は説明している時に予想して欲しいと思うことがたくさんありますが、予想することさえ、間違えないためにしなくなります。予想することで。良くわかったり楽しかったりということが増えていきます。勉強ということは、子どもにとって大変なことなのですが、勉強の間違いは誰か他人に害を与える心配がまったくというほどないものです。子ども達の失敗を、おおらかに見てあげることとタブーを減らすと、子ども達はいきいきしてくると思っています。私もすぐにいらいらする方ですから、ゆるくもありません。

▼「ほったイモいじるな」という言葉の入ったコマーシャルを覚えていますか。私は何のコマーシャルか忘れてしまいま

した。ただ「ほったイモいじるな」を覚えているだけです。ジョン万二郎が日本人が英語を覚えるために書いた本に書か

れていることだったように記憶しています。覚えるために語呂合わせをすることはよくあります。What time is it now‘?のことです。「ターザン」て英語でどう書くのとおばさんに尋かれ、「zかなarそれともerかな、どうたったかな」と考えながら、中学の教科書にターザンなんて出てきたかな変だなと思っていました。そうしたらthousandのことだったのです。おばさんと私は大笑い、でも子どもの方は何のことと言いたげでした。

 

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1995年8月28日 (月) No.81

  今年のキャンプは三日間ずっと雨にたられました。おととしの台風のときでさえ、外で焼き肉ができましたが、今回はためでした。子ども達が火をおこす様子を見れないのはなんとも残念でした。ニセコ町のプールに行ったぐらいで、ペンションで、ゲームをしたり卓球やビリヤードをしたり、結構楽しそうに過ごしていました。予定していた山歩きがなくなって喜んだ子もいたように思います。今年でキャンプも十回ほどになりますがここ三年ほどはお天気に恵まれません。ずっとペンションの中だと、子ども達は退屈かと心配したこともありました。しかし、大人が心配するよりも、子ども達は自分達で何かと見つけては遊んでいました。やはり遊ぶことについては子供たちに任せておけばいいということでしょう。下手な大人の浅知恵など子ども達には邪魔なのかもしれません。子どもの好きなようにさせておくというのは、なによりも引率の大人に好都合なのです。私達も自由な時間ができてのんびりと過ごすことができるからです。

 そんな中で少し気になったのは、おじさんやおばさんに「~してもいい?」と何度も尋ねる子供がいることです。キャンプの最初に、「キャンプ中は、人に迷惑にならなければ何でもしていい。居場所が大人にわかるようにしておくことと一人で外に行かないこと」を子ども達に言ってあります。小さい子ならともかく中学生がと思える内容のことが多いのです。まるで、誰かから許可をもらはないと安心できないかのようです。子ども達の生活環境は規制があまりにも多いことと関係があるのかもしれません。つまり許可をもらったことは、怒られないという彼らなりの生活の知恵ではないかと思えます。何だか寂しい気がしませんか。 もう一点は、「○○が、~した」という報告です。私には○○の部分は余分なことだと思えてしかたがありません。体調が悪いときなどを除くと。この部分があるため告げ口になってしまいかねません。まるで、「自分には責任がないのだから、後始末なんか手伝いません」と言っているようで嫌な感じになることもあります。「ごみが落ちているよ」と言うと、「私(僕)知らない」と返ってきます。おじさんは「ゴミを捨ててほしかった」のですが、子ども達はまず「犯人探し」と受け取ると言うことです。いつもそんな調子で子ども達に話しているつもりはないので、とても残念に思えます。 しかし。多少の愚痴が出ましたが今年も楽しいキャンプで、けが人もなく無事終わりほっとしています。

▼個人懇談をいたしました。

 塾には楽しく来ていると言っていただき、うれしいような困ったような何とも妙な気持ちになりました。結論として後は成績を上げるだけという当然のことになったようでした。 懇談で気のついたことの一つに、合計のSSについては皆さんだいたい覚えていらしたようですが科目別になると怪しい方が多かったようです。合計も必要ですが定期テストの科目別のSSは勉強をする上での目安としてもっと大切です。得点通知表が戻って来たら、メモをするかコピーをしておくと良いでしよう。それから、提出物の期日は定期テストと合わせてあることが多いので覚えておいて下さい。また期日は厳守し。一日でも早く出す方が印象が良いようです。

 

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1995年7月17日 (月) No.80

 久しぶりに「ガリ勉」という言葉を子ども達から聞きました。昔と同じようにあまり良い意味では使われていないようです。「ガリ勉」には、成績が良くても「点数を取ることだけを必死にやっている」という感じがあって私はあまり好きではありません。一方、子ども達は「○○は頭がいい、いつも遊んでるのに」といかにも尊敬したように言います。そんなとき、私は「授業中に教科書を読んでいるかい。誰かがあてられて読まされているときに目で読むと同じところを三回は読めるよ」とか「英語の単語を授業中に書いてスペルや意味を覚えようとしているかい」などと子ども達に聞いてみます。授業時間中をどのように過ごしているか、何を考えているかなど見ただけではわかりません。いつも遊んでいる子は授業時間を有効に使っているだけなのかもしれません。小学校の一年生からだと莫大な時間の勉強を授集中にしていたことになり他の子と差がつくでしょう。というようなことを子ども達に言うと「単語なんか書いていたら怒られる」と言われました。時と所をわきまえなければいけないのは当然ですが、英語の時間に静かに自分なりに英語の勉強をしていて怒られるというのは私にはショックなことでした。よく聞いてみると、ノートを取っていても怒られるといった極端なことまであるようでした。「ノートをとる」という指示をしていないというのが理由だったそうです。私はあまりノートをとらない生徒だったと思います、自分で大切だと思ったことを書くだけですし、矢印やイコールといった記号もよく使ったように覚えています。要は自分がいかに理解するかが大切なのですから、自分なりにノートを作るのは当たり前と思っていました。しかし、どうも子ども達の話を聞いていると私の当たり前がぐらつきそうです。授業中は自分で工夫することなど、よけいなことをしていると見られてしまうようです。どうしてこんなことになっているのでしょうか。子ども達に問題があるのでしょうか、それとも大人の方でしょうか。一つ間違いがなさそうなことは、退屈な授業を何とか聞かせようとしている大人の姿が見えます。授業の内容よりも、何の根拠もない大人の権威で子ども達を自分の思うように動かせると考えているように私には見えて仕方がありません。もっと子ども達に自由にやらせてあげればと思っています。しかし、まあ私もえらそうなことは言えません。「さあ、大切なところだからしっかり聞いて」などと言うのですから。

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1995年6月26日 (月) No.79

 「何点だった」「○○は何点だった」といった話題が子ども達の間でよく話されます。6月は期末テストのシーズンです。点数や順位といったことは、少しでもよい方がうれしく、なぜか人のことが気になるものです。他人の点数を知ったところで自分の点数が上がったりするわけでもありません。それなのに、つい「何点」とたずねてみたくなります。それと、自分の点数を相手に知らせないで相手の点数だけを聞き出そうとすることが多いようです。自分の点数は言いたくないが人の点数は知りたい、気持ちは分かりますが、アンフェアでいただけません。しかし、子ども達にとってはそれ位微妙な事柄だということでしよう。 他人と自分の順位を比べて一喜一憂する、子ども達に限ったことではありません。私も自分の子どもの成績表を見るとやはり、比べてはいけないと思いつつ同

級生と比べたりしてしまいます。比べたところで自分の子の成績が上がるわけでもありません。比べられる子どもの方はいい迷惑でしょう。しかし、何故か他人と比べることで妙に安心してしまうのは事実のようです。特に自分よりも下がいるとか、あまり変わらないとなるとほっとしてしまいます。試験の後で「人と比べるとあまりよくないけど、自分としてはよくできて満足している」という意味のことを言った卒業生がいました。他人と比較するのではなく自分なりの基準でその子は自分を評価し判断していたのです。その子は他人と比較している子よりも満足感や達成感が大きかったのではないでしょうか。また、次のテストにむけても意欲が持てたように私は見ていました。

 自分の外側にある基準で考えるより自分の基準で自分を測ることが大切なのではないでしようか。子ども達は、先生や親の目といったことを絶えず意識していることと思います。大人はどうも、何かどの子どもでも測ることができる物差しが特別にあると思いこんでいるのかもしれません。子ども違は本当は一人ずつ性格や生活環境など違っています。ですからその子その子にあった尺度が必要なのではないでしようか。

▼クイズ▲

 一円玉の直径をご存知ですか。ちようど2りヨです。一円玉を縦10㎝、横16cmの長方形の中に並べると、一列に8個づつ5列の40個がきちんと入ります。この40個の一円玉を並べ換えて、長方形の中にもうひとつ一円玉を入れて下さい。長方形からはみ出したり、一円玉を割ったりしないで41個の一円玉が納まるようにして下さい。長方形の枠を書いて実際に並べてみると簡単にできると思います。

▼今月はテスト続き。せっかく気候のよくなるときに、何もテストをやらなくてもいいじやありませんか。遊びに行けません。修学旅行だって梅雨に行かなくてもいいのに。何だか八つ当たりです。

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1995年5月25日 (木) No.78

 今年のゴールデンウィークは帰省のついでに能登半島に行ってきました。お天気に恵まれいい旅行でした。輪島では高価な輪島塗りに驚かされ博物館でその工程の多さにまた驚いたり、知らない土地に行き色々なことを見聞きするのは楽しいことです。

 能登に七尾という町があり青柏祭というお祭りの日でした。重要無形民族文化財に指定されている「でか山」という山車で有名なお祭りだそうです。でか山はわら縄と藤のつるで釘を一本も使わず組立ててあるそうです。でか山は全部で三台あって、それほど大きくない町の中を引っ張って歩きます。電線や電話線は引っかからないようにお祭りの間は下に垂らしておくとのことでした。でか山を引っ張る人は二・三十人でしようか、スピードがつき過ぎないようにブレーキをかう役がいます。でか山には子ども達が二・三十人乗っていて、でか山が動くたびに高い所がゆさゆさと揺れますが子ども達はこわがりもせず、高い所にいることが自慢そうでした。三台のでか山は地区ごとに作り、出来栄えを競っているのでしよう。県の事務所の駐車場を開放するなど町を上げてのお祭りといった雰囲気でした。札幌のように他の地域から人が移り住み大きくなった町では考えられないことだと思いました。このお祭りには都会に出ている人達も帰ってきてお祭りに参加するということでしたが、なるほどと思わせられました。

 都会になるほど人は速く歩くそうです忙しくしています。それに較べてお祭りの時間は随分ゆっくり流れているように感じましたた。ゆっくりした時間の中でずっと暮らすことは難しいと思いますが私や子ども達がのんびりとしたそんな時がもてたら素敵だしとっても必要なことことではないでしようか。

▼内串点について②▲

 先月に続いて内申点についてです。今月は内申点の中身について書いてみます内申点の内容は、

ⓐ定期テストⓑ実技点(作品)©平常点

の3つからなっています。この3つの割合はおおよそ次のようになっているようです。

*国・数・理・社・英は

 ⓐ定期テスト:ⓑ平常点 = 2:1

*音・美・技家・保体は

 ⓐ定期テスト:ⓑ実技点:©平常点 = 1:1(2):1

となっていることが多いようです。定期テストのない科目では実技点が2になっているようです。

 次に平常点の内容です。

・ノート、ワーク等の提出物・小テスト・忘れ物・授業態度などがあります。平常点はそれなりのウェートがありますが、平常点で成績が上がると思わない方がいいでしよう。提出物や授業態度などはそんなに差のつくものではありません。下げられないようにきちんとしておくということになると思います。

 なお、ここに書いたことは平均的な話で中学によって、また教科担任によって異なります。詳しいことは担任や教科担任に相談されるとよいでしよう。

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1995年4月20日 (木) No.77

 今年の中1は長子が少なく、ほとんどが下の子です。中学入学といっても、兄ちゃんや姉ちゃんから話を聞いているせいか、あまり緊張感がないようで、変にストレスがなくていいように思っています。塾では、小学校から続けてきている子ばかりで全員が顔見知りということもあってリラックスしている面もあるようです。ただ、勉強時間が長くなったのと終わる時間が遅くなったため、リラックスしているといっても、とても疲れるようで「眠い、眠い」という子が目立ちます。生活環境が大きく変わったのですから、慣れるまでしばらくかかるのは仕方のないことでしょう。体が大きいとか中学生といっても、まだまだ小学生気分は抜けていないのですから。

 それに較べ中2は大人に見えます。長子が多かったこともあり、去年の今頃はとても子どもっぽく見えたのに、背もぐんぐんとのび、1年間の大きな変化は驚かされます。いつどんなふうにといったようにはっきりとわかりませんが、ふと気がつくとずいぶん大人になっていたという感じです。心身ともに発育の盛んな時期ということを実感させられます。学校ではクラス替えがあり担任が変わったりしているため、全体に今の時期は少し興奮している様ですが、学校の様子や教師のこともわかっているのですぐに落着くでしよう。中3は、特別な事情のない限りクラス替えがありませんし、やはり1・2年と較べ大人ですから落着いています。またこの学年も下の子がほとんどで、お兄ちゃん・お姉ちゃんの受験がすんで親の方が経験済みのせいか、何となく情緒的に安定している感じがしますこれからの一年は初めての経験でもあり,それなりに大変かも知れませんが、いい雰囲気で勉強をやっていけるのではないかと予想しています。

 小学生はほとんどが中学生になり、新しいメンバーが多くなりました。慣れない子が多く緊張しているようでとても静かで私の方が緊張していささか落ち看きせん。子ども違がなじむまでもう少し時間がかかりそうです。

▼内甲点について▲

 公立高校の入試は、当日のテストの点数と内甲点とで合否が決められます。当日のテストはその日の出釆にかかっていますから一発勝負といえますが、普段から蓄えた実力がものをいうことになります。またはっ・きりと点数として現れますからとても分かりやすいものです。一方、内甲点は中学の5段階評価と思ってほぼ間違いないでしよう。入学試験と違って五段階の評価はテストの点数だけでつきません。また科目によっても基準が違ったりして、わかりにくい面があるようです。よくわかつていない子どもがいようなので、私の知っている範囲で説明してみることにします。

 内甲点の対象になるのは

ⓐ9科目全部の五段階評価です。

 国・数・社・理・英の入試5科目だけでなく音楽・美術・技家・保体の4科目も含みます

学年末の五段階評価です。

 学年末の五段階評価は一・二学期の成績も含めた評価となっています。ですから、一・二学期から学年末はだいたい予想できます。一・二学期に3がついて学年末に5がつくことはほとんどないといえます。一学期からぼんやりしてはいられないということです。

 

 

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