ごあいさつ
通信Back number1994年4月~1995年3月
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1995年3月16日(木)No.76 数学にアルゴリズム(Algorithm)という言葉があります。辞書によると、問題解決のための一連の計算の手順ということだそうです。代表的な例としては、割り算の計算があります。割り算は①商をたてる②かける③ひく④おろすという四つの手順を繰り返します。同じ手順を繰り返すことによって、同じタイプの問題が解けるということです。 子ども達を見ていると、同じ手順を使うことは余り易しいことでもなさそうなのです。例えば、まったく同じタイプの問題なのに、整数が分数になると全然違うように思う子が多いようです。分数を嫌がる子ども達が多いせいもありますが違う問題と思われると説明がとてもしにくくなります。英語でも、規則的に四つの単語を並べておきます。最初の単語が読めると、残り三つの単語も同じ手順で読めるようになっています。その単語を読ませると、子ども達はその手順を覚えるよりもたった四つの単語ですから、四つの単語を丸暗記してその場をしのごうとします。手順を覚えて、これから利用しようとはなかなかなりません。漢字でも旁や偏が同じだと読みや意味に共通点のあるものがたくさんありますが、どうも子ども達の漢字の勉強の話を聞いていると丸暗記が多いようです。ともかく覚えることがやたらに多いというのが私の感想です。 なぜ、手順や意味といったことを考えずに丸暗記しようとするのかという理由は何なのでしようか。ひとつには、間違えてはいけないということがあると思います。漢字の書き取り・英単語の書き取りなど、その時できればいいといったことが多いと考えられます。 子ども達はゲームがとても好きです。負けると勝つためにどうすればいいかと考えます。カードゲームですとカードを出す手順など真剣に考えます。負けた失敗を生かそうとします。子ども達には手順を考えたり失敗を生かす力をもっているということの現れだと思います。そうした力を勉強の面で十分に発揮してくれるようになってくれればと思っています。言い換えるならば勉強もゲームのように楽しくできるようにすればうまくいくということなのでしょう。 ▼草の実の廃品回収にご協力いただきありがとうございます。いろいろな方から新聞紙・古雑誌・段ボールやアルミ缶などお持ち頂きました。現在、草の実は授産施設建設を目指して活動中です。ますます資金が必要な時期のようです。これからもよろしくお願い致します。 ▼ここ数年高校受験で目だつことは、私立高校のコlスの多様化と推薦入学や専願の増加です。また公立に合格しても私立に進む子も増えています。大学進学を考え、付属の高校を受験するといったことなどが背景にあるようです。しかし付属に入学したからといって、皆がそのまま大学に進めるわけではありません。付属からたくさん合格する大学と、厳しい所とがあるようです。付属の中での競争が待っているということです。公立に進むのとどちらがいいのか、それぞれの判断ですが、いろいろな選択肢が増えるということはいいことだと思います。 --------------------------------------------------------
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1995年2月20日(月)No.75 小学生の英語は学校の成績と直結していません。学校の進度などを気にしないで色々なことができ、私には楽しい時間のひとつです。しかしこの時期になると中学の英語が気になります。中学に限りませんがテストは字を書かないと点数になりません。英語を書く練習もと、やはり私は思います。テキストの英文を丸暗記して書かせ、自分で間違えたところを赤ペンで直させます。その直したものを私がチェックします。目につくのは間違えているのを丸にしたり、赤ペンで直したつもりがまた間違えて写しているといったことです。 落ち着きが無い、集中力が足りないとか色々の理由があると思いますが、子ども達は自分で答え合わせをするという習慣と、答え合わせの大切さがわかっていないように思えます。正解の数だけが気になるようで、答え合わせイコール点数つけのような感じでしょうか。間違いを見つけ修正していくことの練習ということが忘れられているように思えます。間違えば怒られることが多いと思いますがご家庭ではいかがでしょうか。間違いはいやなことと結びついています。いやなことはできるだけ早く通り過ぎて忘れてしまいたいのが人情というものではないでしょうか。子どもも同じ思いを持つでしょう。消しゴムを使う速さがそのことを証明しています。 「勉強の仕方がわからない』ということをよく聞きます。勉強は点数を向上させたり、何であれよい方向に持っていくために行います。失敗を向上のチャンスと思うことはなかなか難しいのかもしれませんが、失敗の原因をよく調べることが勉強にとって大切なことではないでしょうか。また、正解を書けば終わりといった子どもも多いように思います。目的が何かということがわかっていないのです。私の説明の仕方ということも当然ありますが、漢字の書き取り練習のように意味も考えずに十回書けばいいんだとか3時間勉強すればいいんだといった、ノルマをこなせば許されるといった雰囲気を私は感じます。目標とそのために何をするのかといったことを、しっかりと子ども達に知らせることが必要なのではないでしょうか。
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1995年1月26日(木)No.74 今年も例年のように塾生とアンヌプリにスキ|に行ってきました。あいにくのお天気で初日はゴンドラが動かず、二日目も風がおさまらず地吹雪の中を滑っているような状態でした。塾生は元気の良い男の子ばかりだったので、そんなお天気にもめけずにおもいきり遊んだようでした。私とおばさんが、いえ私が一番参ったようでした。夜も私が一番の良い子で真っ先に寝てしまったほどです。ナイタースキーをした子ども達はいったい何時に寝たのでしょうか。部屋でモノポリlなどゲームをする子、地下室で卓球をする子、居間でも何かゲームをしていたようでした。晩御飯は定番でカレーと決まっています、夜中におなかがすいてそのカレlを温めて食べた子もいました。 いつものことですが、子ども達のエネルギーには驚かされます。夏は二泊しますが、子ども達の睡眠時間は合わせても五・六時間ではないでしょうか。冬もスキーをして疲れていると思いますが元気なものです。そのかわり帰りのバスの中はみんなよく寝て引率のおぱさんはとっても気楽なようでよく眠れるとのことでした。 やはり、自分たちの自由な時間と空間が保証されると子ども達は張り切って疲れを知らないようです。大人の干渉が無く自分を発揮することができることが楽しくて仕方がないのでしょう。また干渉が無ければ自分たちで様々なことをコントロールしていく力を発揮するように見えます。私やおばさんを含め引率の大人はうるさくいわないように心がけ、大人もそれなりに楽しむことにしています。それでも今までたいしたトラブルも無くやってこれたのは、子ども達にそれなりの力があるからだと思います。 あるよその国の話ですが、子どものためのアスレチックのような遊戯施設に大人を入れないそうです。その理由は保護者の大人がいると子どもがけがをするからだそうです。大人がいる方がけがをするというのは不思議なような気がしますね。その理由は、子ども達は自分の力量を良くわかっていて本当に危険なことはしないのですが、親達が「そんな危ないことをするな」などと干渉すると反発し自分ができるということを親に見せようと危険なことを無理をしてもしてしまうからだそうです。 大人は子どもによかれと思っても「小さな親切大きなお世話』ということでしょうか。ある人に言われたことで「子どもが問題に立ち向かっている時、その問題を親が解決してしまうと、子どもは成長しない」そうです。「子どもは自分の問題を自分が解決していくことで自立していく」とのことでした。親の役割というのはなかなか難しいようです。
◎いよいよ入試が間近になりました。入試対策として勉強が大切なことは当然ですが、当日に十分な実力が発揮できるように体調を良くしておくことも大切なことです。インフルエンザがはやり、市内でも学級閉鎖が出ているそうです。規則正しい生活と、栄養の面には十分な気配りが必要でしょう。私の息子も受験生で親としてできるのはこれくらいのものかと思われます。あまり親など周りが大騒ぎするのも、本人にとって妙なプレッシヤーになりどうかと思います。緊張感の中にもリラックスできる状態が一番いいのではないでしょうか。
▼数学パズル▲ 六本のマッチ棒で正三角形を四つ作って下さい。三角形四つの辺の数を考えると簡車です。 答…正四面体を作るのが正解です。正三角形が四つで、辺の数は十二になります。六本では平面に作るのは無理で立体になります。 -------------------------------------------------------- |
1994年12月19日(木)No.73 子ども達から何度も「この椅子、ぐらぐらだよ」と言われていた椅子がとうとうこわれました。とうとうといってもまだ3年も使っていないはずで品物の選び方がまずかったと反省しています。椅子はこわれましたが座っていた運の悪い子どもにけががなかったのが幸いでした。私は新しい椅子を買うのに、今度こそは失敗しないようにと、安くてこわれにくい椅子を捜しました。先日からその椅子を使い始めましたが、なかなか丈夫そうな椅子で今度は簡単におかしくならないだろうと思っています。新しい椅子はスチールパイプ製で、こわれた椅子は木製でした。 こわれることと材質の違いとから連想したのが食器のことです。ずいぶんプラスチックのものが増えたようで、駅の立ち食いそばの丼もそうでした。落としてもこわれなのは取扱が便利でいいことなのでしょう。思うに、身の回りにあるものは、私が子どものころに比べてこわれなくなったようです。小さくて軽い、いわゆる軽薄短小で丈夫になったのでしょう。でも考えて見ると、こわれることも必要で大切なんじゃないかと、その時ふと思いました。子どものころ、おちゃわんを割ったり、時計やおもちゃを分解して壊したりしました。乱暴に扱って壊してしまうことはほめられることではありませんが、そこから学ぶことがあるのではないでしょうか。こわれないものを力を加減したり丁寧に扱う人がいるでしょうか。こわれるという思いがあれば取り扱い方を考えるようになるでしょう。 経験から学ぶということは、特にものを壊したりという失敗は経済的な損失があって大変ですが、言葉で知識としてだけ知っているのとは違うと思います。痛みが伴ったことはなかなか忘れないのが人間ではないでしょうか。小さな失敗から大きな教訓を学ぶ、普段のちょっとした失敗をどう思うかによって、大げさに言えば、人間が変わってくるのかもしれません。 --------------------------------------------------------
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手前味噌になりますが、小学生の英語は、英単語の意味を覚えながら英語の読み方の法則性を身につけることを目標にしてやっています。しかし、法則を教えることは簡単ですが、忘れないように身につけることは容易ではありません。そのためには、自分で法則に気がつくことが必要です。また、すでに知っている事を使うことや何か規則性がないかと注意する事が必要です。こうしたことを自分のものにしていくと勉強も少しは面白みのあるものになるのではと思いながらやっています。 ところで、私はあまり中学生の英語の勉強を見る事がありません。たまに、英語の授業をすると数学などとは違った楽しみがあります。英語の読み方はなるほどと感心させられるからです。例えばcase(ケイス)をカスとかgo to bed(ゴウトウベッド)をゴートーベッドと読んだりします。聞いていて楽しい間違い方です。「かす」だとか「強盗」とか読み方もおもしろいのですが、ローマ字と同じ読み方やすでに習った単語の読み方を利用して間違えたもので、その子なりに知識を使って読もうとしているところがすばらしいと思います。英語のつづりは不規則で覚えにくいように見えますが、読み方の法則があり中学で学習する単語の7割程度は法則通りに読むことができます。残念な事に英語の教科書には、その法則について何も書かれていません。そのため子ども達は英語を読むのに苦労しています。そんな中で自分なりに読もうと工夫しているところがすばらしいとは思いませんか。自分の知識を使って間違いながら正しい事を身につける事によって自分で法則性を身につけることができれぱ、その法則を忘れる事もないでしよう。そんなふうに子ども達にヒントを出すことができるようになれれぱいいのにと思っていますがなかなかうまくいかないところが頭の痛いところです。
特に中3は受験校を決める三者懇談があります。受験についてのデータは中学にたくさんあるはずです。疑問に思っている事や、わかりにくい事はしっかりと質問して教えてもらうようにして下さい。私なんかもそうですが、相手は毎年変わる事を忘れて、自分が毎年のように同じ事を繰り返していると当たり前で特に説明する事もないように思えてきます。そのため、質問されないと説明をしないですましてしまうといった事も起こりかねません。子ども達は当然初めての経験です、わからなくて普通です。しっかりと聞いてあげて下さい。このことは1・2年生でも同じ状態だと思います。何でも質問し、疑問がないようにしておくのが大切だと思います。
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1994年10月24日(木)No.71 「学校でどのへんをやってる。もうここは終わった。」私は学校の進度を子ども達によく聞きます。T年間に何をどれだけ勉強するか決まっていますから、進度が気になります。私としては年内に終えればいいと思う科目もありますが、できれば早い目に終わりたいと思っています。特に中三は教科書をさっさと終えて入試対策に的を絞りたいのが本心です。私の気持ちとしてはできるだけ早く進みたいという気持ちがあります。私に限らず学校の先生にも同じような気持ちが働いているように思えます。 どうしてかといいますと、子ども達の会話の中に「今、どのあたりをやっているか」というやり取りが結構多いのです違うクラスの子だけでなく、ほかの中学の子にも聞きます。小学生・中学生とか学年とは関係なく同じ会話があります。そして、進みかたが早いか遅いかによって子ども達の評価が行われます。早いと遅いではどちらが評価が高いか、皆さんも予想できることだと思います。子ども達の評価は早い方が高いのです。おもしろいことに。時には自慢のようにさえなります。徒競走ではありませんから早ければいいというものではありません。本当に大切なのは自分がどのくらい理解したかということなのに、このへんがやはりまだまだ子どもということなのかも知れません。 しかし、子ども達が早いことがいいと思っているということは、じつは大人がそう考えているということを示しているのではないでしようか。忙しい世の中です。私を含め早く早くと大人が言うのを子ども達が聞いているのでしよう。こんな事を書いている私が「もっと早くやるんだよ、試験の時間は決まっているんだからね。」と言わないといけないのですから。現実を知ってどう対応するかという事と、こうあってほしいという願望とはなかなか折り合いがつきません。もっと時間と気持ちに余裕があればいいのにと思ってなりません。
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1994年10月3日(月)No.70 「おじさん、月謝袋返してもらったっけ」、「まだもらってないよね」たくさんの子ども達から言われました。「そうなの、だからお金がないの」と答えた私です。書くことのネタがない、それが第一の理由ですが、ネタがないということはこの一月何を見てきたんだろうということです。いろんなことがあったはずなのに何も浮かんでこない、これはマンネリ化、はたまた老化して何にも感じなくなってきているのだろうか。 子ども達は親から「袋はどうした」と言われ、「もし、なくしていたらどうしよう」という不安な気持ちになったに違いありません。いい迷惑なのは子ども達です。しかし、私もお金が入ってこないのですから早く書かなければと気持ちの上ではあせっています。ところがこんな時にかぎって、十数年ぶりのお客が来たりして通信を書く予定がつぷれてしまいます。 言い訳になりますが、九月は月初めから中間テストが始まり中3の学カテストまでテストに追われたまま終わった感じです。学カテストは例年と変わらない日程ですが、中間テストは一校を除き、昨年よりも一か月早くなりました。そのため、試験範囲が狭かったり、一学期のテストと範囲が重なったりとか、学校側がうまく対応できていないのかもしれないと思えるところもありました。テストが終わるとすぐに学校祭の準備で子ども達がそろわなかったりして落ち着いてできない日もありました。テストの時は、子ども達はいつもより多く来たりすることがあるのですが、私もテストに追われているのか、子どもたちの顔がよく見えていないのかもしれません。マンネリになったり、追われたりいろいろとありますが子ども達の顔が見えるように気持ちを切り替えを上手にやらなくてはいけないようです。 先月に宿題の事を書きましたが、先月の24日の朝日新聞の夕刊に「宿題は教育の不平等につながるから小学校の宿題は廃止する」というフランスの記事がありました。賛否両論があるようですが、ねらいはフランス語教育の建て直しだそうです。学校の役割と家庭の役割という面からの評論も載っていました。 また、同じ新聞の違う面に「内申『攻略本』売れてます」という日本の記事も載っていました。内申書をよくするためにはといった内容の本がよく売れているという話です。「ごまをする」というようなことではないようですが、いかに自分を先生にアピールするかという内容のようです。内申というとわかりにくい点があるためこんな本が売れるんだろうと思います。内申の中身を公開して分かりやすくすればこんな心配も無用になるんだと思います。しかし、内申とか先生とか言うからなんか変な感じですが、世の中に出て、人とつき合っていく時には自分をアピールすることは大切なことではないでしようか。フランスと日本のお話でした。国が違えば、考え方や制度に違いがあります。何が良くて悪いのかいろいろな角度からの見方があることと思います。いろいろな見方ができるようにはなりたいと思います。しかし、何よりも通信をしっかり書くことが先なのかもしれません。 -------------------------------------------------------- |
1994年8月22日(木)No.69 あまり宿題は出さないのですが、講習中は何度か出しました。みんながそろってきちんとやってくれば問題ありませんが、やってこない子どもがいると少々困ります。時には全員がやっていないということもありますが、足並みがそろっているため、私はまあ仕方がないかと思いそのままになってしまうことが多いようです。時々「やってこないやつは、罰当番で部屋の掃除かな」などということもあります。部屋の掃除は私がすることになっています、しかも子どもたちは掃除を嫌がっているようですから、ついそんなことを言うようです。罰として使うくらいですから、掃除を人はあまり喜ばないようです。 実は、私が大学に入って感心したことのひとつに教室の掃除をしなくてもいいということがありました。くだらないことに感心したものですが、高校までは必ず掃除当番があって掃除をさせられていたのですから、大学っていいところだと思ったように記憶しています。どうして高校まで掃除当番があって大学でなくなるのは、高校と大学では基本的な何かが違うからでしょうか。 掃除が好きという人もいるようですが学校時代に掃除を喜んでした人はあまりいなかったようなのに、どうして掃除当番というものがあったのでしょうか。学校の先生たちが積極的に手伝ってくれたこともなく、生徒のする仕事ということに決まっています。自分たちが使ったということならば大学も同じだと思うのですが、大学は特別なところのようです。昔は大学生というのは何かと特権的な地位だったようですが、掃除も特権のひとつなのでしょうか。小さい小学生は掃除をして大人の大学生は掃除をしない、何だか不思議に思えます。子どもたちと話していて昔を思い出したどうでもよいことでした。昔話をするようになると年だということですから、私も気をつけないといけませんね。 暑い暑い夏でした。大変な大変な講習でした。去年とは大違いでした。しかしおかげでお米は豊作だとか、米騒動の心配はないようです。しかし、暑い中、3年生は頑張りました。予定もだいたい消化できました。1・2年生は、英語のゲームがやはり好評でした。普段はなかなか時間が取れないのが残念です。3年生もいろいろとできる余裕があればいいのですがついついテストに追われてしまいます。何にしても、みんな良くがんばりました。ほめてあげて下さい。 -------------------------------------------------------- |
1994年7月18日(月)No.68 塾に来て間のない子は一般的におとなしく、慣れるにつれてにぎやかになっていきます。緊張が取れ段々とリラックスして、私にも慣れてきたということでしょうか。ときには、最初の日からにぎやかな子もいます。たまに、今までおとなしかった子が突然おしやぺりになったりすることがあり「おやっー」と思うこともあります。私が持つ、この子は活発であの子はおとなしいなどといった子ども達のイメージは、塾で見る子ども達の様子から作られます。ところが、塾と学校とで様子がまったく違う子が結構いるようです。「あの子は学校だとおとなしいよ」、反対に「学校だとにぎやかだ」といったことを子ども達が言います。 塾にいても、早く来てしまって一人のときとほかの仲間がいるときとでは子どもの様子が違います。仲間が同性か異性かでも違うようです。何も子どもに限らず、私だって子どもと対するときと大人に対するときとでは言葉使いから違います。今まで身につけてきた人との接し方の中から相手やその場にふさわしい方法を知らず知らずに取っています。大人だと使い分けることはあたり前のようですが、子どもが使い分けると「かわいげがない」とかいろいろ言われるように思います。そんなことを言う大人に接すると子ども違は「無邪気な子ども」を演じて大人に合わせることができるようです。 子どもにとってどんな場所なのかによって様子が違って見えて当然なのでしよう。私のところではリラックスした顔を見せてくれていればいいんだけれどと思っています。また、人の顔を正面から見るのと横顔とでは印象の違うことが良くあります。それと同じことなのでしよう子ども達は相手によってどっちを向けるか考えているのでしよう。私が見ているのは正面なのか横顔なのかそれとも後姿なのでしようか。 ▼SSについて▲ 一学期の期末テストの得点通知表を御覧になったことと思います。一年生の中には初めてSSを見て、何だろうと思う人もいるのではないでしようか。単純にいうと、SSは高い方がいいという意味ではテストの点数と同じです。しかし、∬は点数と違った意味を持っています。 例えばSS50は平均点を表しています。ですから、もしテストの点数が90点でもSSが50だと平均点が高い簡単なテストだったということになります。反対にテストの点数が悪くてもSSはいいということもあります。また、SSは五段階評価の目安にもなっています。 ・SS65以上・・・5 ・SS55~64・・・4 ・SS45~54・・・3 ・SS35~44・・・2 ただし、テストだけで成績をつける場合です。実際には提出物や課題の成績が加わりますからこのとおりにならないこともありまう。また実技のある科目は実技の成績で決まる部分が多いようです。 -------------------------------------------------------- |
1994年6月20日(月)No.67 先日、小学生に計算の練習をさせていたとき、ちよくちよくするのですが奇数番号の問題をやらせていました。一つ間違えるとペナルティとして問題を一つ増やすというのもいつものことでした。これは慎重に計算をするようにということです。しかし、その時なんとなくフェアでないような気がして、計算のあとを消さないで間違いを自分で見つけたらペナルティなしにすることにしました。何となくしたことでしだが思わぬ効果がありました。子ども達はいつもと違って、必死になって間違えた所をさがします。自分がどこでどのように間違えるのかを知ることは、次に問題を解くときにとても参考になるからです。しかし、それよりも私がフェアでないと思ったことの方がもっと大切なことだと後になって思いました。間違えると罰として問題が増える間違いをしてしまうとそれをやり直したり取り返したりするチャンスがないということです。自分のやった過程を見直すという大切な機会を奪ってしまうことになります。間違いから学ぶという姿勢の大切さを口では言いながら、そのチャンスを与えないというのはよくないことです。間違いから学ぶことで人はりこうになるのではないでしょうか。 小学校から高校まで、英単語や漢字の書き取りがあります。間違えると十回とか二十回とか書かされることが多いようです。小学校は計算の練習でも同じように何題も計算をやらせているようです。これはたくさん練習することが必要だという考えもあるようですが、間違えるとだめだぞ、こんなに大変な罰が待っているぞという意味が大きいのではないでしょうか。間違いをとても厳しく罰っして子ども達に間違いはいけないんだと強く思わせようとしているようです。間違いは許さないということでしようか。ところが子ども違に漢字や単語を覚えさせたり計算をマスターさせるのに、この罰はあまり効果がないようです。子ども達はどこで間違えただとか注意するところはどこかということよりも、ただ能率よく量をこなすことだけに集中しています。間違えないためにはどんなところに注意すればいいのか、自分の間違えたところを意識しないとまた同じ間違いをしてしまいます。どうすれば間違えなくなるかということを教え、間違いから学ぶことを知ってもらうことが必要です。間違えたことを上手にいかせる子どもがりこうな子どもではないでしようか。 -------------------------------------------------------- |
1994年5月26日(木)No.66 「難しいからできない」と子ども達は言います。子ども達は自分の「実力」では解けないと思ったときです。ところが私から見た子ども達の「実力」だと解けるはずだというときがあります。こんな時、私はいらいらしてしまいます。私と子ども自身の「実力」の評価が食い違っているときです。 「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」という言葉があるくらいですから自分の「実力」を自分で知るということは困難なのでしよう。まして子どもにとってはかなり難しいことだと思います。子ども達は勉強をする中、たえず他人と比べた自分の位置を意識しています。子ども達の表現で「誰それは頭が良い」「悪い」と言います。「頭の良い子」が解けた問題は「頭の悪い」自分には解けないという気持ちがあるように思えて仕方ありません。子ども達は他人と比べた自分の位置を「実力」として考えます。私は目の前の問題を解くために必要な事柄を知っているか、足りない知識ないかと 考えます。必要な知識を全部持っていても、使い方を知らないというケースもあります。そんなことを全部まとめて「実力」と考えます。 しかし、「実力」がいくらあっても頭が悪いと思っている子供は、自分の力を低く見ていますから問題が解けないということになってしまいます。私の見る実力が正しいという保証はありませんから私が実力を高く見過ぎているのかもしれません。しかし、野球や相撲などでは、地位が人を作るということがあるそうです。4番打者や横綱・大関として今のところ実力が足りなくても、4番打者・横綱・大関の地位につくことでそれらしい実力を身につけていくということです。本人の自覚が必要なことは当然ですが、だめな人間として育てていてはせっかくの素質が花開かないでしよう。一流の人間として育てることによって一流になっていくのだということでしよう。自分で頭が悪いなどと思っていては解ける問題まで解けなくなってしまいます。 ・修学旅行や宿泊学習などさまざまな行事が組まれています。体調を崩さないように気をつけて楽しい旅行や宿泊にして下さい。 ▲クイズ▼ 今月はアルミの話の続きです。アルミ新地金1トンを作るのに一般家庭の7年分の電気が必要ということが先月のクィズでした。さて、回収アルミ缶などを利用するアルミ再生地金の製造に必要なエ ネルギー消費量は新地金の何パーセントでしよう。 ⓐ50% ⓑ15% ©3% 新地金1トンを作るのに必要なエネルギーおよそ2万1千キロワット時に対して、再生地金1トンを作るために必要なエネルギーは590キロワット時だそうです。ちよっと計算してみて下さい。 アルミ缶リサィクル協会によると、アルミ缶を回収し再生するリサィクル率は日本では53.8%で十年前より14%増えたそうです。しかし、アメリカでのリサイクル率は68%近くと日本より高くなっています。リサイクル率が上がるとエネルギーの節約にもなります。 (答ⓒ) -------------------------------------------------------- |
1994年4月21日(木)No.65 ★ 新学期が始まりました。スタートはできるだけスムースに、調子よくいきたいものです。スタートのつまずきは後々に響き、取り返すのが大変です。新しいメンバーが入ったりで、おぱさんに無神経だといわれる、さすがの私でも神経をつかいます。しかし、今のところどの学年も雰囲気は上々、みんなも新学年ということで緊張しているのが感じられます。ただ、例年のことですが、中1はとっても疲れているように見え、長時間の勉強は大変なようです。中学という新しい環境に慣れるまで親も子も大変ですが、張り切り過ぎということもあり、もう少し肩の力を抜くといいのかもしれません。 新しい生活環境ということで、小学校の生活パターンと違うため、新しい生活パターンができ上がるまで少々苦労でしょう。中学になったからといって、皆が同じ生活パターンになるわけではありま せん。その子その子のパターンがあるはずです。しかし、親も子も良くわからないことがあると、つい他人が気になります。みんなと同じようにしていれば、何となく大丈夫だろうというふうに思いがちではないでしようか。そんなことから他人に合わせようとして無理がかかって余計に疲れがたまるように思います。自分なりのパターンを早く身につけてほしいと思います。 実は自分なりのパターンというのは生活だけでなく勉強の面でも大切です。人に合わせて問題を解いていても、うまく身につきません。自分なりにどんな手順で解いていくのかを考える必要があります。成績が良いと手順が良いというのはイコールと言っていいと思っています。特に数学などは、手順が大切だということを勉強する科目じやないかと思ったりします。順序が逆になったり、とぱしたりすると間違いにつながることがたくさんあります。しっかりした自分の手順を身につけるように、私も説明の手順をしっかりと身につけるようにしましよう。 ▼クイズ▲ アルミの原料はボーキサイトという鉱石です。ボーキサイトからアルミを作るためには大量の電気が必要です。このためアルミニウムは「電気の缶詰」といわれています。アルミ新地金1トンを作るのに必要な電力量は一般家庭の電力使用量のどのくらいでしよう。 ①7年分 ②1年分 ③3ヵ月分 アルミ缶リサイクル協会によると、原料のボーキサイトから1トンのアルミ新地金を作るのに必要なエネルギーは、電力換算でおよそ21000キロワット時だそうです。ぴんとこない数字ですね。ちなみに、北電によると北海道の1カ月の一般家庭の電力使用量は、だいたい220キロワット時位だそうです。ちよっと計算してみてください。 石油ショックの時に電力料金が高くなったため、1977年の119万トンをピークに、アルミ新地金の生産は激減しました。92年の生産は19000トンにとどまっています。新地金に代わって増えているのが、アルミ缶などのリサイクルで作る再生地金です。アルミ連盟によると、77年に57万トンだった生産量が九十二年には97万トンに増えたそうです。 アルミ缶は大切な資源なのです、ぽい捨てはやめて、塾に持ってきて回収にご協力下さい。(クイズは朝日新聞の記事からの引用です)
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