ごあいさつ

通信Back number1992年4月~1993年3月

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1993年3月29日No.52

 「ばかの一つ覚え」大阪弁で、「あほの一つ覚え」と言ったと思います。いい意味で使うことはないようです。しかし板倉聖宜という科学者は、科学にとってとても大切なことだと書いています。科学はさまざまな事がらを、ひとつの法則によって説明していきます。問題を解決していくのも、法則を頼りにしていきます。説明も問題を解くのにも、いつも同じように使えるからこそ法則と呼ばれます。いつも同じことをするので、最初に書いた「ばかの一つ覚え」ということになり、「ばかの一つ覚え」は問題解決の有効な方法だということです。

 子ども達のつまずきを見ていると、なるほど「ばかの一つ覚え」が大切だと感じることがよくあります。どうしてかといいますと、例えば、小数や分数が出てくると解き方を変えてしまう子が多いのです。特に分数の場合が極端で、同じやり方ができなくなります。英語でも、知らない単語がひとつでもあると、他が同じなのに、とたんに訳せなくなるケースが目立ちます。違いにばかり気をとられ自分の知っていることを法則として使えません。違うのだから、新しいこととして覚えようと子ども達は考えてしまいます。そのため覚えることがどんどんと増えていき、頭の中が混乱してしまうようです。ほんの少し見方を変えて、「ばかの一つ覚え」を使ってやれば、覚えることは減っていきますから、子ども達は楽になるはずです。「ばかの一つ覚え」とは法則あるいは原理原則を持って問題の解決を考えなさいということをいっているのです。

 よく「応用力がない」ということを聞きます。いったい、応用力とはどんな力なのでしょう。私の考えでは、原理原則をしっかり持ち、それをいつも使っていくという姿勢を持つということだと思っています。いきあたりばったりの、記憶に頼るのではなく、間違えるかもしれない時も、原理原則を押し通していくことが必要ではないでしょうか。うまく行かなくなった時には、柔軟に原理原則の手直しをすることによって、いろんな場面で使うことのできる有効な原理原則になっていくことと思います。こうして、原理原則を身につけることが応用力につながるんだと考えています。

 後は、どのようにして子ども達に原理原則を身につけるようにするかが、私の仕事になります。そのため、私も仕事の上で、子ども達と同じように原理原則を身につけなくてはいけません。

 

 子ども達を見ていると、自分のことがよく見えるような気がします。子ども達が、私に問題点を教えてくれ、問題解決のヒントを与えてくれているのだと思っています。

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1993年3月1日No.51

 今年も、受験シーズンとなりました。私立の受験日に合わせて、各中学では定期試験を行いました。

 テスト前に、内申ランクの話を子ども達にしました。「今度の定期テストで決まるのだから、しつかりと目標の科目を決めて勉強するんだよ」などと、私が言います。一年生の反応は、いまひとつ良くありません。「一年生だからしかたないか」という感じでした。二年生は反応が達いました。「今年から三年生、少しは考えているのだろうな」と思わせてくれました。今年は自分達の番だという思いがあり、ランクのことも真剣に考えていました。

 ただ少し、私の思いとずれていたところがありました。「ランクがないと制服も選べないんだ」とまじめな顔をして言うのです。男の子か女の子かどちらの発言かはご想像におまかせします。「こんなに簡単で分かりやすく、ランクのことを説明する方法があったのか」と感心させられました。「制服などで、高校を選ぶなどもってのほか」といった意見もあるようですし、まじめな私も同じ思いがあります。しかし、子ども達にとってわかりよい言葉を使って話すことが、子ども達を納得させる良い方法です。子ども達が制服に関心を持っていることは、前から知っていましたが、ランクの説明に利用しようなどとは思ってもみませんでした。ずっと、自分がしてきたことのやり方を変えることは、なかなか難しいことです。

 子ども達には、自分なりの考え方や発想がありますから、それを無視して私の考えを押しつけても、うまくはいきません。子ども達の発想を大切にしようとは思っているつもりですが、まだまだのようです。

◎私立高校の試験がありました

 二月二十三・四日に、私立高校の試験がありました。塾生は、普段の実力を発揮してくれたものと思っています。みんなの話を聞いていても、あわてたところもなく、落ち着いていたようです。この調子で、公立も受験すれば大丈夫でしよう。

 

 面接の内容は、例年のように「志望の理由」や「通学方法」といったことから「一日のうち、自分でこれだけはと、心がけていることは」といったものもあったそうです。

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1993年1月25日No.50

 先日、久しぶりに生徒になって、冷や汗をかいてきました。講師も、生徒も大人です。年齢はさまざまでしたが、私くらいの人が多いようでした。半分以上の人が、学校の先生のようでした。しかしその日はみんな生徒で、私のように冷や汗をかいていたのかもしれません。

 私の隣に座った生徒は、一番優秀だったようで、次々と課題を解決していきます。しかも大変にぎやかな生徒さんで圧倒されてしまいました。周囲の人のことを考えて静かにしましょう。などと思ったりしました。

 手作業が必要でおまけにはさみを使うという苦手なことがそろっていて、普段、塾の子ども達に言っていることを自分に言い聞かせながらの悪戦苦闘でした。その上、「小学生でもできるんですよ」などと言われるとますますプレッシャーがかかって頭も手も言うことをきかなくなります。考えてみると、学校で習った

りしたことをするのではないし、大人も子供も関係はないのです。子供の方がとらわれることが少なくていいことだってよくあるのです。などと言い訳めいたことが頭に浮かんだりして、課題の半分も解決することはできませんでした。

 しかし、刺激のある楽しい一日でした予想もしない考え方や、今まで知らなかったことに接することは、何だかとっても、もうけたような気がするものです。それに、刺激を感じているうちは、まだまだ若いんだと思っています。何にも感じなくなったり、新しいものを受けつけなくなったら、老けこんだということで

しょう。いつまでも子ども達に気持ちだけでも負けないように、若さを保っていきたいものです。そのためにも、面倒だという気持ちに負けずに、新しいことにチャレンジしていきたいものです。新しい年を迎え、またひとつ年を拾うわけですが、向かっていく気持ちを大切に、今年もベストをつくすつもりです。

  ◎クイズ

 台所の流しに天ぷら油をお鍋一杯捨てたら、もとのきれいな水に戻すのにどのくらいの水が必要でしょうか?

  ①おふろ四杯分

  ②おふろ四十九杯分

  ③おふろ四九十五杯分

 川の水を汚しているのは半分以上(六十%)以上が家庭から出る汚れた水だそうです。天ぷら油などの油は川の水を汚すだけでなく、処理場で水をきれいにするための微生物を殺したりすることもあるそうです。

 たった大さじ一杯の油でも、魚が住めるくらいきれいにするには、おふろ十五杯分の水が必要だそうです。

 おわんいっぱいのみそ汁を流すと、おふろ六杯分の水が必要だそうです。

 台所は、つまりみんなの家は川や海とつながっているということです。おぼえておいて下さい。

  クイズの答 ③

 

◎冬休み作品集から

     「私は六十五才」

 私は六十五才。私は海の幸を取る仕事をしています。

 私がしている仕事にはいくつかの楽しみがあります。

 第一に、まぁんず初めに、海の幸が取れることだんべ。

 第二に、わすは船が好きだんべ。船はいんべなI。

 第三に、潮のにおいがするんぺ。わしはとても潮がすきんでのーん。海のにおいがとても好きっぺ。

 私が、海の幸を取る仕事をしようと決心したのは四十二才のころでした。

 それまでの私の夢や希望をふり返ってみました。ちょっと聞いてくださいね。

 私は、芸能人になろうとしたが、やっぱこっちの方がいいべ。

 しかし、海の幸をとる仕事をしようと決めてからもいくつかの困難がありました。

 まず、とても朝が早いこと。それからとてもつかれることでした。

 でも、私はその困難に打ち勝って今の仕事につくことができました。すごいな

あ!私は今こう思っています。

 

     「私は三十一才」

 私は三十一才。私は床屋の仕事をしています。

 私がしている仕事にはいくつかの楽しみがあります。

 第一に、髪の毛を切るのがうまいので髪の毛を切ることです。

 第二に、まゆ毛をそると、じょりじょりという音がするので好きです。

 第三に髪の毛を全部切り終って、お金をもらうことです。

 私が、床屋の仕事をしようと決心したのは十五歳のころでした。

 それまでの私の夢や希望をふり返ってみました。ちょっと聞いてくださいね。

 私は、スキーがうまくて、スキーのインストラクターの仕事をしようと思いました。

 しかし、床屋の仕事をしようと決めてからもいくつかの困難がありました。

 まず、床屋でも国家試験に受からないといけないので勉強しないといけません。それから、床屋を作るのにお金がかかるので、お金をためないとだめでした。

 でも、私はその困難に打ち勝って今の仕事につくことができました。すごいなあ!私は今こう思っています。

 

      「私は二十三才」

 私は二十三才。私は全日本プロバスケットボールの選手をしています。

 私がしている仕事にはいくつかの楽しみがあります。第一に、仲間がいる。

 第二に、自分の好ききなことができる。 第三に、いつも動いていれる。

 私が、全日本プロバスケットボールの選手になろうと決心したのは十歳のころでした。

 それまでの私の夢や希望をふり返ってみました。ちょっと聞いてくださいね。

私は、動く事が好ききで、バレーボールの選手にもなろうとしました。 しかし、プロバスケットの仕事をしようと決めてからもいくつかの困難がありました。

 まず、プロバスケにはいるための”テスト”に受からなけれぱ入れないと聞いて、毎日必死にトレーニングをして体をきたえました。それから、入ってからも上下関係が厳しく、殴られたりされた事でした。

 でも、私はその困難に打ち勝って今の仕事につくことができました。すごいなあ!私は今こう思っています。

 

 

 冬休み中に書いてもらった、うその作文の一部です。うそという事で気楽に書けたようなので、文を書くという第一の目的は果たせたと思っています。これを下敷きに「将来の夢」という作文を書いてもらうと、みんな上手に書くようになります。他の作品は次号に載せる予定です。

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1992年12月21日No.49

 何となくつけたカーラジオ、どうしたとか、めったに間かないNHK第一放送が入りました。教育相談の番組で、専門のお医者さんが話していました。「子供たちは、アンテナをいっぱいに広げて情報を受け止め、世の中の変化に柔軟に対応している。ところが大人になるにつれ、そのアンテナは折りたたまれ、様々な変化に対応できなくなっていく。しかし、母親は子供に接する時間が多いため子供たちに引っ張られて、何とか変化についていっている。ところが、父親はというと、職場の関係などから、価値観を変えることが大変で、子供についていけないようだ。」といった内容の話をしていました。一応二児の父親として、とても耳の痛い話でしたし、塾の子供たちとの付き合い方も考えさせられました。

 私は、「誰がしたのか」という犯人捜しはやめて、「良いか、悪いか」を言うようにしたと前に書きましたが、子供たちも「誰が」とか「おまえが、先にやった」など、自分を正当化するようなことは言わなくなりました。私の接し方が変化すれば、子供たちも変わります。納得できれば子供たちは、すぐに反応することができます。大人である私はどうでしょうか、たぶん今までのいきさつやら何やら、うだうだ思うことが多いような気がします。

 私もアンテナを折りたたんでいるのですが、なくなったのではありませんからもう一度広げさびを落とせば、まだまだ子供たちについていけるでしょうか。一方、子供たちはアンテナを折りたたんでいくかもしれません。いつ、何をきっかけにしてかわかりません。勉強などといった方面のアンテナは、すでにたたまれている、それとも、たたみ始めているのかもしれません。そんなことのないように、私のアンテナをしっかりと広げている必要がありそうです。

 

 ◎クイズ 一九九十年に日本で発行された切手の枚数は?

 ①八万七千枚   ②八七億枚  ③八億七千万枚

 使用済みの切手は、どうしていますか。破れたり、汚れたりしていない切手が役に立つことを知っていますか。

 アジアには、病院やお医者さんが足りない国々があります。そうした国々にお医者さんや看護婦さんを送る活動をしている団体があります。その費用の一部として、使用済み切手が利用されています

 もし、家にいらない切手があれば、少しずつためておき、ある程度たまったら送りましょう。 送り先は次の通りです。

  ◆日本キリスト教海外医療協力会〒169東京都新宿区西早稲田2-3-18-23

       ℡03-3208-2416

 「日本の子供たちが地球を救う五十の方法」から抜粋しました。

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1992年11月24日(火)No.48

 

 「酵母菌」という歯の名前を特別に感じないのは、どのくらいの年齢からなんでしょうか。たぶん、私は学校で習ったのが最初だと思います。パン酵母とかビール酵母として覚えたのかもしれません。生活の中で普通にあるものとは思っていなっかっただろうし、今も身近なありふれたものだなどとはとても思えません。さて、中学くらいの子ども達にはどうでしょうか。家庭でパンを作ったりすることもあるようですが、聞いたこともない子のほうが多いようです。酵母菌は中学一年の理科の教科書に出てきます。昔と違い、今の教科書にはカタカナで出てきます。「コウボ菌」と書かれています。初めて名前を見た子どもたちは、何と「ゴボウ歯」と読んだりしたそうです。並び方が違うだけでよく似たカタカナが続くと大人でもよくあることです。

 漢字で書いてあればそんな、間違いはしないだろうというのが我が家での多数意見でした。しかし、身の回りのものに連想が働いたのでしょうから、一度間違えると後はしっかりと覚えるのではないでしょうか。私が思うには、「ゴボウ歯」発言はとても皆にうけことでしょう。爆笑だったのではと予想されます。もし、わざと間違えて読んだとしたら、なかなかの切れ者です。皆の印象に強く残ったことでしょう。私が酵母菌を教えるより何倍もの効果があったに違いありません。さて、私も同じように身近なことを連想させることができたでしょうか、なかなか難しいことです。「子どもたちの発想、柔軟な思考力には感心させられます。いつもの解き方で、慣れたやり方で困ることもなく楽なものです。そんな時に、まるでカウンターパンチのように、私に向かってくる子どもたちの考え方があります。私の知っていることを、私の思いも寄らない使い方をします。四角形の内角の和は三六〇度と一回転が三六〇度ということを組み合わせて解いていきます、二年生で習ったことを三年で利用したのです。「これでいいの」とか聞かれ「ああ、そうだよ」と返事はしますが、すでに私の方が圧倒され内心「まいってしまった」というところです。

 

 柔軟さとしなやかさを持ち続け、知的な好奇心と想像力を失わない限り、子どもたちは大人の私を乗り越えていくことでしょう。

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1992年10月29日 (木) No.47

 「おまえがやったんだ」「いいや、おれじゃないおまえだ」よくある子ども達の口論です。これが始まると面倒なのです。「悪いのは自分ではない」と言い合いになって進みません。私は、ともかく終わればいいということで、「やめろ」とか「どっちも悪い」とか、気の利かないことを言っていました。ところが、先日「私は警察とは違うから、だれがやったとかはどうでもいい。犯人探しは専門家にまかせればいい、良くないことを良くないと言えばいいんだ」と思いつきました。

 だれそれがやったから悪いのだということは、だれそれでなければ良いということなってしまいます。私自身も、すぐに「だれが」ということが気になります。知らないうちに犯人捜しをしてしまうようです。本当は「私がやって欲しくないこと」なんだいうことを子ども達に伝えることが大切なはずです。犯人捜しを始めると「自分は犯人ではないから関係ない、犯人に説教をしているんだ」というように子ども達は思ってしまい私の思いは伝わらないで終わってしまいます。単純に「悪いことは悪い」と言えば、だれもがわかることです。

 実際に「悪いことだ」とだけ言ってみると、子ども達の言い合いも終わりになり、私の思ったように時間の節約になりました。子ども達にどんな方法で話すか、ほんの少し私のやり方が変わると、子ども達は敏感に反応します。反対に、子ども達だって私に対する接し方を変えているでしょう。しかし、私は彼等のように鋭く反応しているのでしょうか。年令が増えるにつれて、ずうずうしく鈍くなっているのではと心配しています。

◎クィズ

 欲しいと言ったわけでもないのに、ダイレクトメールは勝手に送られてきます。本人ひとり当たりが一年間に受け取る数はどのくらいでしょう?

   ア.二十二通  イ.四十二通  ウ.六十二通

 ダイレクトメールはもらっても、すぐに捨てるものが、ほとんどではないでしょうか。私の所にも何やかやと送られて来ます。数えたりしたことがありませんが、二日か三日に一通はあるように思います。中学の子がいますので他の塾からも送られて来ます。これは、比較の対象になるので一応は目を通しますが、まあいらないものです。

 今のことは知りませんが、ダイレクトメールの郵便代は普通の郵便より安いと以前に聞いたことがあります。安いから無駄をするのか、無駄だから安いのでしょうか?どちらにしても、もったいないと思ったことがありました。

 紙は木から作るのですから、ダイレクトメールが減ることは、木を守ることになります。良い方法があるのでしょうか?ただ、ダイレクトメールを捨てないでリサイクルさせることによって、資源の節約はできます。

私の友人は、私と同じように塾やっている人が何人かいます。時々、勉強会ということで集まってはワイワイガヤガヤとやります。アルコールが入ると、いつもにましてにぎやかになります。そんな仲間のひとりに、鳥の調査をやっている人がいます。鳥が大好きで、島の調査の片手間で塾をやっていると仲間内で言われています。先日、調査を見学に行ってきました。鳥を捕獲し、標識をつけ種名や性別を記録します。つかまえた鳥は、限られた時間に放してやらないと弱って死んでしまいます。早朝から始めますから、私は四時に起きて出掛けました。こんなに早かったのに、卒業した塾生が一緒にいきました。彼等は鳥を間近に見たり触ったりするのは初めての経験でした。乱暴に扱うと殺してしまいます、緊張した様子で触らせてもらいました。私も何羽か触りましたが、何だかつぶしてしまいそうでおっかないものでした。そんなことをした後で、一人が「倉橋さん、数学みたいですね。何だかそんな数学が頭に浮かびます」と言うのです。私は意表を衝かれ答えようもありますんでした。小さな生き物と数学が連想される、何とも不思議でしたが、とても詩的なものを感じました。私も生物系の勉強を少しですがしました。その時、数学が必要だと考えてはいました。が、つながった物として考えたことはなかったし、連想など思いもよりませんでした。そんなセンスを持ち合わせていたら、少し違った人生だったかもしれないなどと思った一日でした。

    クイズの答  イ

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1992年9月28日 (月) No.46

 来年から、中学の教科習が変わります。内容も大幅に変わるため、古い参考罰や問題集など使えないものがでてきます。「来春は、大掃除をしないといけない」そんなこと を考えていたら、いきなり「そうだ、かたづけないと困る」と思い立ちました。来年の ことですから、今すぐ に困らないしどうでもよいことなのです。なのに、とても急ぐことのように、すぐにかたずけを始めます。これは、テストの前になると部屋の掃除を始 める子どもの心境と同じなのでしょう。 古いものを整理するためには、あちこちを引っ掻き回し一度散らかさないといけませ ん。昔、子供達に書いてもらった採点表がでてきました。「先生、このごろおこりっぽ いょ」などと書いてありますから、五・六年以上前のものです。授業の内容を五段階で評価をし、あとは自由に書いてもらったりしたことがあったのです。無記名でしたから 子ども達も気楽だったようです。 「おじさんは男前、おばさんは美人だ」などといった訳のわからないものもありました。しょっちゅう書いてもらったのではなく、新しい説明 を思いついたときに、子ども達の評価が気になってやったものです。子ども達の評価イコー ル理解度と考えていいと思います。子ども達の採点は、お世辞があるのでしょうが割によかったと言えます。それなりに自信のあるときを選んでやりましたから当然かもしれません。良い評価はうれしいものです。悪いときは、がっかりですが「工夫しなさい」と子ども達が教えてくれていることになります。 「こんな良いことをいつごろからしなくなってしまったのでしょう。どうしてやめてしま ったのでしょう。 いまさら考えても思い出しもできないのですが、もう一度始めようと 思っています。同じことを続けてやっているつもりでも変わってきているかもしれないし、なにより子ども達は毎年変わります。同じことを続けて良いということにはならない でしょう。教科種が変わって面倒だとばかり考えないで、もう一度自分のあちらこちら を点検する良いチャンスと思い、子ども達を鏡として自分の姿を映してみることも必要でしょう。

 とりとめもなく、こんなことを考えたりしていたものだから、かたづけはいいかげんにしかできませんでした。思いつきでやることですから、どこでどのように脱線するや らわかりません。かたづけどころか、ちらかしたようなものでした。

◎日本では1年間にアルミ缶に入ったものが何個ぐらい売れているでしょう。

 ア.二十億   イ.五十億  ウ.八十億

・たった1個のアルミ缶を作るのに、テレビを4時間半も見ることができる42.2ワッ トの電気が必要です。しかし、再生利用して作るときは3パーセントのエネルギーで間に合います。さて何ワットの電気が必要ですか。

パーセントの計算ですから掛け算です。 42.2x 0.03=1.266ワットになります。 アルミ缶の回収は、資源とエネルギーの両方の節約になることがわかります。

・私の所でもアルミ缶を回収しています。缶の中に紙くずなどを入れないで、缶をつぶ して持ってきてください。 タブは缶の中に入れておいてください。

*このクイズは、グループなごん著「日本の子供達が 地球を救う五十の方法」から抜粋したものです。

クイズの答え…ウ   すごい数ですね

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1992年8月24日 (月) No.45

森毅著「数学受験術指南」という本があります。内容は、大学受験の数学の話ですが、テストのための勉強のすべてにあてはまると思います。何といっても、私好みの内容なのです。「勉強を時間ではかるな」「問題を多くこなす必要はない」「ムダが大事だ」「計算は違ってよい、直せばよい」、こんな目次が並んでいます。森毅という人は、数学が専門で東大を出て京大の教授だった人です。ガンバリズムとは違うところが気にいっています。

学校は「学年+1時間勉強しなさい」「たくさん練習しなさい」と言います。子ども達は「間違えているから書くのはムダだもの」とよくいいます。計算に限らず、間違いは直せばいいのですが、書き直すのが面倒だから書かない。どうも現実は、私の気にいらないことのほうが多いようです。気にいらないついでに、もうひとつ。同じ間違いが多過ぎる。皆が、同じところを同じように間違えること。また、同じ間違いをいつまでも繰り返す。なぜなんだろう、どうすればなおるんだろう?色々とやっていて、「あれ、どうもおかしいな」と気がついた。私が、指示をだし皆がその通りにやっていく。ちょっと見は、感じが良いかもしれません。しかし、学校でも同じことを繰り返しているのなら、皆と同じように言われた通りやっているのなら、同じようにミスをするのも当然かもしれません。自分流のやりかたがないのですから、だれも変わり映えがなくなってしまいます。答を出す方法に、自分流がもっとあって良いと思います。問題に書いてあることを自己流に読み直すことも大切です。自分の知っている他の言葉に直していくとつまらない問題の文章もおもしろくなるかもしれませんし、おもしろくしようと思ってもいいでしょう。そうなると、本当にすてきなのですが。

 

気にいらないからと言って、ぶつぶつ文句を言っているだけではどうにもなりません。どうすれば良くなるのか、誰にどんな事を言ったらいいのか、ともかく解決方法を考えなければ、ただの文句たれです。これはよくありません、ただ文句を言っているだけでは、自分がみじめになるだけではないでしょうか。無駄と思っても、じたばたと何かをやろうと、子ども達を見て思います。

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1992年7月20日 (月) No.44

今年から、テストのSSを子ども達から教えてもらうことにしました。初めての試みで子ども達にSSを記入する表を渡すのを忘れたりしています。そのため、全員のがそろいませんでした。次からは、手順がわかったので、きちんとできるでしょう。

当たり前のことですが、ssが上がれば喜び、下がるとがっかりします。子ども達は本当にがっかりします。思うように点数がいかず、いらいらしたり、気落ちしているのがはっきりとわかります。そんな子ども達の様子の中で、以前から気になっていたことがあります。子ども達は、よく「頭が良い」ということを言い、点数が取れるということを意味します。自分の成績が下がると「頭が悪い」と簡単に言う子が多いようです。あまりにも簡単に、この程度なんだと自分のことを低く、何だかだめな人間のように話したりします。自分のことを「私は頭が良いんだ」などと思い上がるのは感心しませんが、できないなどと低く見ていくと本当にそうなってしまうように感じます。もっと自分の力を信じ自分を大切にしなければならないでしょう。

過大でも、過小な評価でもいけません。失敗は冷静に原因を考え、同じことを繰り返さないようにすれば防げるものです。方法がまずかったのか、練習が足りなかったのかそれとも私の説明や授業の進めかたに問題があるのかもしれません。原因がはっきりとすれば、対策をたて実行するだけです。以前にも書いたことがありますが、人間は失敗をするのが普通です。失敗や間違いをするもの、どうそれをカバーしていくかで、そのあとの違いがでるのではないでしょうか?

 

子ども達の失敗は許されて良いのですが、私となるとそうはいかないでしょう。今年からOHPを導入し、今までとやりかたを変えています。効果の方はまだわかりませんが効率は良くなったと思っています。少々、目に負担のかかるのが欠点でしょうか。新らしいことに挑戦する気持ちは持ち続けたいのですが、つい、まあいいやとなってしまう怠け者のわたしです。気のついたことがあれば、どんどんと言ってください。子ども達の厳しい眼が必要となります。

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1992年6月29日 (月) No.43

六月になってから、期末テストが続いています。子ども達は一回で終わりますが、私は中学の数だけ期末テストがあります。あちこちの中学からたくさんの生徒がきてくれるのは、私にとって良いことに違いありません。しかし、テストの時にはまいります。この時ばかりは、全部の中学が一斉にテストをしてくれると助かるなあと思います。なんでも全部同じにしておくと、とっても楽だという学校の考えに賛成したくなります。

ともかく、今月は何だかテストに追われ、気がつくと月末でした。振り返って見ると六月は、子ども達の顔よりもテスト対策のプリントばかり見ていたような気がします。プリントの他に、夏の講習のテキストを選ぶ時期でもあり、テキストの見本をながめる時間も長かったようです。そのため、子ども達とあまり話をしていないような気がします。本当はテスト勉強ということで、普段より多く来ているのだから、いつもより顔を合わす時間が長いはずなのですが?.

テストの結果もあまり聞いていません。次々とテストが続くせいなのか、単に子ども達が言いたくなかったのか。しかし、少ない話の中にとってもうれしい話がありました。

 

テストの結果を「ひそかに、うれしかったさ」と子ども達が言うのです。どんな感じかわかりますか。私の解釈は、「本当は、とってもうれしい。予想以上の点数が取れけど」という条件がつきます。「だけど」の後は、どうしても他人と比べてしまうから大変だということでしょう。条件付きという点が気にはなりますが、うれしさが伝わる表現だったのです。私の言葉だけでは、うまく伝えられませんが、そんな時の子ども達はとっても良い顔をしているのです。いつも、そんな顔を見ることができるようになりたいですね。

 

六月十五日、お祭りの日にスライムを作って遊びました。今回は子ども達から提案があり、バニラとイチゴエッセンスを入れ、においつきにしました。大量のエッセンスを入れるので、強烈なにおいにまいりました。たくさんのスライムを持って帰った子もいましたから、困った家庭もあったのではと思っています。年に一度のことと許してください。大人の私などでも結構楽しめます。作りかたも簡単ですから、もしよければ、家で子どもさんと一緒に作ってみてください。子ども達はとっても楽しそうに作りますよ。

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1992年5月 26日 (火) No.42

問題の練習をし、私が丸つけをします。不安そうに子ども達は私を見ています。「残念ながら全部あってたよ」と私はよく言います。子ども達は当然、パーフェクトなのにどうして残念なのかと、私に質問します。「間違えていると、私の説明が聞けるけど全部あってたから聞けないだろう」といかにも、私の説明がありがたいかのように話します。

子ども達は変な顔をしながらも「ふーん」とか言って練習を読けます。ところが「おじさん楽でいいでしょう」と、こないだ言われました。確かに説明をしなくていいのですから、私は楽なはずです。皆が間違えずに、すらすらと問題を解いていく。そんな場面を想像し「これだと楽でいいだろうな」と何度も思ったことがあります。しかし、面と向かって子ども達から言われてみると、「どこか違うな」という感じがします。本当に「楽」なんだろうか、喜んでいいことなのだろうかと思えてしかたありません。

子ども達は間違いをします、それは当たり前のことです。「間違いがなければ人間じゃないよ、機械だよ」私は、よく子ども達に言います。どうしてミスをしてしまったのかを知り判断を訂正しながら、子ども達は正しい理解に近づいて行くのだと思います。失敗をどのように活かすことができるかが大切なのではないでしょうか。実は、私は子ども達の間違いを見つけること、特に今まで見たことの無い新しい間違え方を発見することによって自分の説明のまずさに気がつき、色々と工夫をしてきています。つまり、子ども達の間違いは私にとって鏡のような役割をしていると言っていいようです。説明のやり方におかしいところがないかを確かめるための。今の私があるのも子ども達の間違いのおかげだということです。「残念ながら全部あってたよ,私の説明を聞けない子ども達が残念では、ないのです。間違いという鏡に、一番の商売道具である私の説明を映し、説明に磨きをかけていた私が、実は一番「残念ながら」だったということになりました。

スライムを作りませんか六月十五日(月)は札幌祭りで、学校は午前中に終わります。子ども達に前から言われていましたスライムを、この日に作ろうと思います。簡単に作れますから、たくさん参加して下さい。時間などの細かなことは、十五日近くに連絡します。

Oクィズ一分間にどれくらいの熱帯雨林が、地球上から消えていくのでしょう?

   a.駐車場一つ分   b.映画館一軒分   c.フットボール場五十個分

熱帯雨林とはジャングルのことです。ジャングルには世界中の動物や植物の半分以上が住んでいます。それだけでなく、地球の気候や空気に影響を与えています。ジャングルがなくなるということは、動物や植物がなくなるだけでなく、気候や空気が変化して人間にも大きな影避があるということです。

 

様々な理由から熱帯雨林を切り倒しています。ハンバーガー用の安い牛肉を手に入れるため、ジャングルを牧場に変えてしまう。また、材木としても、どんどん切り倒され一ているそうです。材木も安い牛肉もたくさん日本が買っています。(これらのクイズは「子ども達が地球を救う五十の方法」から抜粋したものです。)

 

新学年が始まり、二ヶ月になります。遠足・宿泊・修学旅行・運動会など行事がたくさんあり、太平中などは中間テストもありました。皆、少し疲れ気味のようですが、学校や先生に懐れてきたようです。中一は、その子なりに学校生活のリズムが出来上がってきているようです。部活動が始まり、塾との時間調整など今までと違って大変なことのようですが、それなりにうまくやっているように見えます。

 

塾は選ぶことができますが、担任の先生は選べません。塾はいやなら、やめればいいだけど学校のクラスはそうはいきません。色々と子ども達から出てくる理由でしょう。クラス変えのあった子ども達からが多いようです。皆から良かった、楽しいという声が聞こえればいいのですが、そうとばかりはいきません。しかし、子ども達は楽しいことを見つけたり作り出したりすることは、大人と違いとっても上手です。クラスの雰囲気に慣れてくれば、また、色々と楽しい話をおじさんとおばさんにしてくれることでしょう。

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1992年4月 24日 (火) No.41

御存じの方も多いと思いますが、私は大阪の出身です。自分で大阪弁をしゃべっていることが当たり前と思っています。ですから「大阪弁ですね」と人から言われても全然気にはなりません。ところが、自分では気がついていない癖を、人から言われると、とても気になります。

子ども達への説明の最後に「~なわけ」とつける事が、私にはあります。実は、子ども達が「と言うわけ」などと私のまねをして笑うので、初めて気がつきました。そうなるとどうしてか大変気になり、「~なわけ」と言うと「しまった、言っちゃった失敗した」なんて思ったりします。自分の事なのに、言われるまで気がつかなかったのが何と無く恥ずかしいような気になります。「知らなかった」と子ども遂に言わなければ、子ども達だって、私が気がついていないなんてわかりません。なのに、「言わないようにしよう」などと変に意識してしまいます。他人が注目していると思うからなのかもしれませんが今まで何ともなかったことが、いつも心のどこかにひっかかります。

わかっているつもりでも、本当はよく知らない、自分のことなのに不思議な感じがします。でも、自分の顔を自分で直接見ることが出来ないように、自分のことなのにわからないことがたくさんあるのかもしれません。

子ども達も答えを間違えた時、自分の間違いを見つけるのは難しいようです。同じ誤りでも人のはすぐに気がつきます、それから自分のミスをさがすと、すぐ見つけることができます。「人の振り見て、我が振り直せ」と言いますが、本当にその通りだと感じます。また、人の言うことは、耳の痛いことほど、よく聞かないといけないのだと、子どもらに教えてもらったようです。

しかし、子ども達が私のしかたに注目している、と言えそうですから、私は喜んでいいのでしょうか。それとも、話の中身でなかったのだから問題有りと考えるべきでしょうか。少々、甘いとは思いますが、注目したということでよしとします。

◎ゴールデンウィークについてゴールデンウィークの休みは、次の通りです。.

四月二六日~五月五日の間は、お休みにします。

五月六日から平常の授業といたします。ずっとしてこなかった、親孝行の意味もあり、里帰りをいたします。のんびりしてきますと思っていますが、行き帰りの船の中くらいしか無理かなどと思っています。

◎クィズ…普通の日本人一人が一年間に使う紙を積み上げると、どれくらいの高さになるでしょうか?

   a.乗用車の屋根の高さ   bゾウの目の高さ。   c一階建ての家の高さ

日本人は毎年二千五百万トンの紙を使っています。これだけの紙を作るためには、原料となる木が五億本以上必要だそうです。日本人一人当たりだと百二十三キログラムの紙を使うそうです。必要な木は何本でしょうか?計算してみてくだ

地球からジャングルがどんどんと消えているそうです。紙を使い過ぎることも関係があるようです。紙をどんどん使って捨てていくと地球から木が無くなってしまいます。

 

木を守るため、紙のリサイクルが行なわれています。一度使った紙を新しい紙として生まれかえらせるのです。再生紙と呼ばれる紙がそうです。使った紙は、ごみとして捨てないで廃品回収に出しましょう。空き箱や包装紙も立派な資源なのです。

 

新学年が始まりました。どの学年もざわざわと興奮しているように見えます。特に中1は環境の変化が大きいのでしょう、毎日が大変だろうと思います。張り切って疲れた頃に連休になるのだから、ちょうどいいのかなとも思います。

中2は学校でクラス替えや担任の先生が変わり、塾でもメンバーに入れ換えがあったりで、子ども達の情報交換などに忙しそうです。おじさんやおばさんにも話すことがたくさんあるようです。教科の先生が変わったりしています、一年の時の先生と比べて良いと思えたならいいのですが、反対の時は愚痴がたくさん出てくることと思います。お父さん、お母さん子ども達の愚痴をしっかりと聞いてあげてください。「ああ、そうなの」と聞くだけでも子ども達は落ち着くとのことです。言うだけ言ってしまうと、すうーとするのでしょう。

中3は、良く言えば落ち着いています。悪く言えばしらけています。メンバーに変化があまりなかったことも関係があるかもしれません。月曜日に特別に呼び出したりしているので、それなりの緊張感があります。まだまだ受験生といった雰囲気にはなりきっていませんが、自分の位置など意識してきているようです。私達から受験についての情報を伝えていく予定です。自分の置かれている位置は、よく知っておいてほしいし自分で判断が下せるような材料だけは、そろえたいと思っています。

小学生は四・五年生に新人が入りました。人数は去年とあまり変わりはありません。今年こそは、物作りなど色々やろうと考えています。いつも計画だおれなものですからあまり期待しないでください。去年やろうと思って道具をそろえながらやらなかったことは、是非やれればと思っています。勉強をしないといけないのですが、楽しくいろんなことからにチャレンジしましょう。

 

◎クイズの答え…c

 

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