ごあいさつ
通信Back number 2021年4月~2022年3月
信天翁通信No.400 2022年3月22日(火) ★この時期になると「追われる勉強,追う?勉強。今年こそは追われる勉強をやめよう」と思います。定期試験はまだしも,子ども達は小テストだやれ単元テストだと追われています。追われていると子ども達は,小テストは前の日の一夜漬けで,単元テストといっても狭い範囲だから丸暗記で間に合わせてしまうのではないでしょうか。一夜漬けや丸暗記という勉強は時間と労力の割には身につかない,コスパのとても悪い勉強ではないかと思います。 落ち着いて少し先を見て勉強ができればいいと思いますが,少し先とは何を指すのかが難しい。受験生には来春の受験などが設定しやすい「先」になりますが,その他の子ども達には少し遠すぎるかもしれません。基準として使えそうなのは,学校の進度でしょうか。子ども達は別として,私としては追われない勉強にしようと思っています。 ところで,試験に追われることは150年以上前の明治維新から始まったそうです。秋田魁新報という新聞のコラムに『当時の小中学校は毎月末の「小試験」の点数で席順を決めていた。「定期試験」では進級の可否を決定。「大試験」は全課程の修了を認定する卒業試験だ。』とありました。塾で成績順に座らせるといったことを聞きますが塾のオリジナルではなく国が率先してやっていたのです。席順で成績がわかるというのは酷な気がしますから学校で成績順に座らせるのはどうかと思います。しかし「小試験」が月に一回であれば試験の回数は今の中学生の方が多いかもしれません。 秋田魁新報によれば,小中学校で試験の成績で席順を決めた理由は,明治新政府が「士農工商」の身分制度を廃し「四民平等」の理念を掲げたことだそうです。平等を示すため身分とは関係のない試験の成績だけで席を決めたそうです。 何事にも目的があるということでしょうか。では今の中学の試験は何のために試験をしているのでしょうか。試験は子ども達の学習の到達度を知るために行われているのだろうと思います。その他には「成績をつけるため」というのがあるようです。以前小学生から「学期末になると試験が多くなる」といったことをよく聞きました。試験無しで成績をつけることは難しいというか,試験の結果で到達度を測り,その到達度で成績をつけるのですから当然かもしれません。 しかし到達度を測るために試験で追い回す必要はないように思います。成績をつける教師だって採点したり集計したり,観点別という仕組みで単純な得点集計ではないはずですから莫大な労力が必要なのではないかと想像します。教師は忙しいというのはこうしたことも関係しているのかもしれません。追われるのは生徒だけではないようです。追われていい仕事ができるとは思えません。
子ども達と良いお付き合いをするためにも追われる勉強はやりたくない,少し落ち着いた勉強をしたい。こんなことを考えていても,子ども達の「小テストだ,単元テストだ」に追われそうな気がします。 ★大雪で大変な冬でしたが良い春になりました。受験生は全員が,少ない人数ですが,志望校に合格しました。雪掻きやZoomの疲れを癒やしてくれる朗報でした。子どもたちに感謝です。
★No400…ゼロが二つになっただけでもすごいと思っていましたが,百が四つになるとは。一人感心しています。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.399 2022年2月18日(金) ★北海道新聞に「悩みごとナビ」という欄があります。いつも読んでいる欄ではありませんが,「数学を学ぶ必要性感じません」の語句が目につきました。高校1年生の相談ごとでした。相談の内容は「高校で学ぶ数学は将来役に立たない内容がほとんどだし,文系に進むので数学の勉強をする気がおきないし必要性を感じない。文系でも数学の知識が必要か。」ということでした。回答者は様々な受験や大学での勉強の実情を述べ「文系でも数学の知識が必要になる。」と書いていました。書いてあることはごもっともなことなのですが,何だか違和感を覚えました。違和感は単なる私の天邪鬼かもしれません。 以前,国会議員が「LGBTの人達は生産性がない」といった内容の発言をしました。人間を「何か役のに立つ・役に立たない」という見方で区別する考え方は厳しく批判されたと覚えています。 しかし,こうした「役に立つ・役に立たない」という考え方は色々なところにあると思います。数学に限らず,例えば,小中高の英語の勉強も役立つ使える内容にすると言われています。また,大学入試共通テストの国語の問題に実用文を用い小説がなくなるとか言われています。高校入試の国語にさえ,実用的な行事の案内のような文章が出題されるようになりました。 しかし,どのような観点や基準で「役に立つ・役に立たない」が区別されるのでしょうか?例えば,子ども達にはとても大切で必要なゲームですが,私にはなんの役にも立たないしなくなってもまったく困らないものです。私が興味や関心のないスポーツなども同じことが言えます。いったい,基準を誰がどのように決めるのでしょうか。何だか好き嫌いというレベルとそれほど違わないような気がします。まして,人間の築き上げた文化である文学や数学などを誰が「役に立つ・役に立たない」などと区分けできるのでしょうか。 人間を「役に立つ・役に立たない」という区分けの仕方,人間の築き上げた文化である文学や数学など学校で学ぶことには「役に立つ・役に立たない」が大切であるかのように言われます。 ところが東京オリンピックの開催される前に,オリンピックの責任ある地位の人が女性蔑視のの発言をしこれも非難されました。社会は性別や人種,性的志向,傷害の有無などといった差別をなくす方向に進もうとしているはずですが,文科省は「役に立つ・役に立たない」という基準で教育内容を選別しようとしています。学校現場では男女別の出席簿を男女混合に変えたりして区別をなくす方向に進めていることを思うとなんだか不思議な気がしてなりません。 こうしたことはマスメディアにも言えると思います。新聞では差別をなくすような記事や特集をよくみますが,学習内容の「役に立つ・役に立たない」という差別扱いについて書かれた記事を見た記憶はありません。これは偏差値教育で序列をつけるのは良くないといった記事をよく見ますが,大学入試センター試験(昨年度から共通試験でしたでしょうか)で全国的に受験生に序列をつけることについては特に触れないことと似ているのかもしれません。 そして,「生産性がない,役に立たない」などと言った代議士は自分が年老いるという事実を認め,年老いた自分の姿を想像することができない人なのでしょう。そんな想像力のない人が政治家であるとは不幸な社会だと思います。
嫌いでも相性が合わなくとも存在するものは存在します。いやなものとどうお付き合いするか。人のおつきあいで例えれば,あいさつ程度で済ます人なのか親しくおしゃべりをしたい人なのかのようなものだと思います。 ★イモリ…時々,豚肉を食べています。元気がないようにも思えますが,冬を越し6月になればまる8年になります。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.398 2022年1月24日(金) ★何とか続けている視写の宿題です。必ず読むようにしています。読ませてみて気付いたのですが,意外なことに平仮名の,「は」「が」「の」といった助詞の読み間違いが多いのです。漢字はというと人名や地名そして普段使わない熟語など読めないことはちょくちょくありますが,読み間違いは平仮名に比べ少ないように思います。 平仮名も漢字も同じように読み間違えているのだけれど,「平仮名だから間違えないだろう」という私の思い込みがあって多いように感じているのかもしれません。助詞の間違いは,例えば「A君が描いた絵」の「が」を「A君の描いた絵」に変えても意味や内容は同じようなものです。変化がないこともあります。「A君を描いた絵」の「を」を「A君に描いた絵」にすると意味合いが変化してしまいます。たかが平仮名一文字ですが,バカにすることはできません。一文字一文字大切に扱ってほしいと思います。 一方で「意味が変わらないのであれば間違えてもいいじゃないか」という声もありそうですが。英語の文で「This is my pen.(これは私のペンです)」と「This pen is mine.(このペンは私のものです)」とは日本語の意味としてはほとんど同じですが,英語の試験では「これは」のthisと「この」のthisをしっかり使い分けなければ点数になりません。小さな違いかもしれませんが「一事が万事」といいますから,常に文字に注意を払うようにしてほしいものです。 子ども達はスマホをにらみよくゲームをしています。ゲームの画面は静止していないと思います。私などゲームの画面を追うのは大変だと思うのですが子ども達は苦もなく画面を追っているようです。あれだけ動きがあるものを追えるのですから、静止している文字を見るなどたやすいことのように思うのですがどうなのでしょうか。おそらく動画と紙面では注目の仕方が違うのだろうと思います。静止している紙面より動きのある動画の方が目を離せないのかもしれません「文字から目を離すな」と私は子ども達によく言います。例えば野球などの球技では「ボールから目を離さない」でしょうし他のスポーツでも「対戦相手から目を離さない」のが当たり前だと思います。同じように勉強では「文字から目を離すな」となります。 文字を見,そして追うためには「習うより慣れろ」が重要だと思います。毎日のように何でもいいので文字を追う練習が必要と思います。面白くはないだろうけれど教科書を読むのは成績を考えれば役立つと言えそうです。続けるには自分の興味のあるもの,ゲームの攻略本や漫画でもいいのかもしれません,毎日のように読む,ほんの少しの積み重ねが大切なのだろうと思います。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.397 2021年12月17日(金) ★何人かの子ども達に片足立ちをやらせてみました。片足は足首を持ちお尻につくまで持ち上げて立ってもらいます。私と違って若いですから片足立ちなど楽勝です。次に目を閉じて同じように片足立ちをしてもらいます。視界がなくなると立っていられない子がほとんどで,立っている子はふらつきながら何とか立っているという状態です。バランスをとるためには視覚情報が大切ということです。 子ども達に「問題をよく読め,見ろ」と普段から言います。言っただけでは実感が伴わないと思い,片足立ちをさせてみました。こんなことで問題をよく読むようになってくれれば楽なのですが,しないよりはましと思いやってみました。何か感じてくれればいいのですが。 何度か書きましたが何とか視写の宿題を出し続けています。文章をただ書き写すだけですが,正確にはなかなか難しいようです。書く前に必ず音読をします。学年によっては読めない漢字があるのですが,読み間違いは意外に平仮名の部分にあります。文末で読み間違いが多いように感じます。文章は書き言葉で書かれていますが,普段使っているていねいな話し言葉になってしまうのではないかと思います。意味の上では変わりはないので,内容を理解する点では何も問題はありません。でも,文字にある通りに読めないのは文字から目が離れるように思い,どこか私の気持ちの上でしっくりきません。 目が離れるのは複数で読んでいるときに目立ちます。人が読んでいるときに文字を追っていない子が多いのです。私は人が読んでいる時こそしっかり文字を追うことが大切だと思います。音読は読むことに神経がいき内容についての注意が少しおろそかになるようです。また人が音読しているときに黙読すればよく内容を考えることができるように感じます。学校の授業中であれば教科書の文字を絶えず追うことで有効に時間を使うことができると思います。また,文字を追う習慣を身に着けると正確に早く内容を理解できるようになると思います。 目が離れる理由として,子ども達が関心を持てるような文章というよりは私が独断と偏見で文章を選んでいること,そして,内容的には少し難しい読んだことのない文章だといううのも理由の一つかと思います。しかし,無味乾燥なお役所の文章ではないのでほんの数分ですから我慢して文字を追ってくれればと思います。 読む方でこんな調子ですから,書く方でほぼ間違えることのない子はほんの少しです。「て,に,を,は,の」等の助詞が抜けたり,読むときと同じように話し言葉になったりが多いようです。漢字の間違いは似たような文字を書いてしまう,偏や旁が同じ文字を書いてしまうといったことが多いようです。 また,あわてて書いてくるため間違いが多いのでしょう。あわてる理由は,視写の宿題をしてこないと居残りをしないといけないからです。居残りが嫌で塾に来る直前に時間ギリギリで書いてくるせいでしょう。あわてて書くと内容を考えず,書くために書くだけになってしまい,ただの作業になってしまうのがとても残念です。 視写をするのは教科書には無い色々な文章に触れ,世界には様々なことがあることを知って欲しいということがあります。また,文字を追わないで出来る試験はありません。文字に慣れ正確に早く追うための訓練でもあります。一朝一夕に効果が現れるものではありませんし効果がないかもしれないと一抹の不安もありますが,根気よくやり続けようと思っています。 ------------------------------------------------------------ |
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信天翁通信No.396 2021年11月22日(月) ★「試験では字をきれいに書こう」11月16日付道新の「まなびのひろば ぐんぐん」の記事にありました。高校入試はマークではないので文字を書かなければなりません。その文字がきれいは良いことなのですが,「読める字を書く」でいいのではないでしょうか。 答案用紙は「私はこんなに出来るんだ」ということを採点者に見せる一種のパフォーマンスだと私は考えます。それでは,何をもって「出来る」と採点者が判断するのでしょうか。正しい答を書けばよいのです。「きれい」である必要などありません,但し読めない字・判別しにくい字はパフォーマンスとしては最悪です。✖にされても仕方ありません。✖は,自分を見せることに失敗しています。 答案のパフォーマンスは記号や語句を答える問題ではさほど目立ちませんが,語句の説明などの記述の問題・数学の証明や計算式を書く問題では採点者が採点しやすい答案かどうかはあるように思います。 説明する問題などで文を書く時,「できるだけたくさん書く」派と「できるだけ少なく書く」派があるようです。「できるだけたくさん書く」派が多数派のようですが,私は必要最低限・重要なことだけを書くという「できるだけ少なく書く」派です。さて,採点者にアピールするのはどちらでしょうか。 子ども達によく「捨てなさい」と私は言います。たくさん書けば書くほど何が重要ポイントなのかがぼやけていきます。勉強でいえば何が大切なのか絞っていくということです。覚えることを減らし事柄の関連性に目を向けることが大切だと思います。 これから中2の数学は「図形の証明」という分野になります。問題集や参考書を見た私の印象では,昔に比べ形式にこだわり必要のないことまで書かせるような気がしています。記号の学問である数学に不要な言葉を持ち込んでいるような気がしてなりません。本筋の証明からはあまり重要でない言葉なのに,子ども達の注意が言葉にむいてしまい証明に必要な基本的な定義や定理が置き去りにされるように思えます。まあ,書くことが嫌な私の偏見かもしれませんが。 試験に限らずノート提出などを考えれば,きれいにな必要はありませんが,見やすく丁寧に書く練習はしておく必要はあるのでしょう。 ★同じ道新の記事に,試験の解き直しをするようにとありました。高校に在学中の卒業生から「問題集を2周した,3周した」といったことを時折聞かされました。それと同じように試験の問題をもう一度やると書いてありました。間違えた問題を解き直すのはわかりますが全部やり直す必要があるのでしょうか。基本的な計算など反復練習が必要な事柄もあると思いますが,量に対する信仰のように思えて気に入りません。面白いことに同じ紙面に違う人が「多様な問題に触れよう」と書いてありました。これは来春の高校入試が変わることを踏まえ,出題形式が変わり「見たことがない」と思わせる問題が出題されるかもしれないので,様々な問題に触れてあわてることのないようにということでした。同じ紙面で面白いなと思いながら読みました。私は多様な問題に賛成です。 ★北海道学力コンクール主催のセミナーに行きました。
道コン受験者に占めるAランクの割合は昨年よりも高くなっていました。ランクを持っている子どもが増え続けています。そのせいかどうかはわかりませんが難関といわれる札幌南・北・西・東の志望者は昨年よりも増加しています。難関校を受験する理由として,私立校が大学受験やスポーツなど様々なコースを設け特色を打ち出していることや私立校の授業料の無償化などもあるようです。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.395 2021年10月25日(月) ★昨年まで,11月は定期試験の月でした。塾生の通うどの中学でも定期試験がありましたが,今年は実施しない中学があります。試験の回数を9月と2月の2回に減らした中学や定期試験そのものをなくした中学があるからです。東京の中学が定期試験をなくしたということはスマホの記事で知っていましたが,身近なお話になるとは思ってもみませんでした。考えてみると横並びだった学校が,中学ごとに色々な試みをするようになったということかもしれません。多様性という観点からは良いことなのでしょう。 定期試験の有る・無しは子ども達の勉強にどのようにかかわるのでしょうか。気になるところで,私の勝手な憶測を書いてみます。 ★定期試験なし…成績をつける資料として定期試験の成績が結構な重みをもって使われてきました。その代わりになるものとして小テストや単元テストが使われるのでしょう。小学校と同じように単元が終わるごとに試験をするのでしょう。また,小テストなどが多くなるのでしょうか?定期試験に比べ範囲の狭いテストをするとなると当然回数は増えることになるのでしょう。日ごろまじめにやれば,そのままテスト対策になるので普段から勉強しなさいということでしょう。 ★定期試験の回数が減る…3回が2回に減る。これを聞いて,まず思ったことは「試験範囲が恐ろしく広くなるなあ」,次に「成績に占める定期試験の重みはどうなるのだろうか」。子どもによれば単元テストの回数が増えるようでしたから重みは減るのかもしれません。定期試験の範囲が広くなるので,ワークは普段から少しづつしなければ面倒なことになります。やはり日ごろから勉強しなさいのようです。 いずれも単元テストや小テストが成績の資料として使われ重みが増します。定期試験に比べ狭い範囲の勉強の積み重ねになります。内申点を取りやすいかもしれません。あくまでも私の憶測です。実際のところは懇談の折にでも学校に聞いてみるしかないでしょう。 ★試験は様々…学校の試験には五段階評定と結びついていない学力テストがあります。代表的なものは中3の学力テストです。これは評定には関係しませんが入試でどのくらいの点数が取れるかの目安とされ,志望校を決める資料として利用されています。試験範囲は1年生からと広く,範囲の狭い小テストのような一夜漬けという訳にはいきません。そのせいか,学力テストになると点が取れない,などといったことが起こります。志望校を決める資料ですから,受験勉強として早くから復習をする必要があるといえます。普段の五段階評定のための試験,そして学力テスト。こんなことを考えていて,なぜか「主体的に学習に取り組む態度」という評価基準の字句を思い浮かべました。試験と成績に追われ何かと大変な中学生です。はたして「主体的に学習に取り組む」余裕があるのでしょうか。 ★国語の宿題と居残り…文を書き写すだけの宿題です,「視写」というそうです。やってこないと居残って書かせています。居残りは小学生が毎回,中1・2は5時30分から始めるときだけです。居残った子ども達を見ていると20分もかからずに書き終えています。ただ,早く帰りたいのでしょう,とても雑に書くことになります。誤字,脱字,ひどいものになると行がすっぽり抜けていることもあります。わずかな時間に終わらせることができますから,落ち着いて家庭でするようにしてほしいと思っています。また,書き終わったら自分の書いたものを一度読むようにするとよいと思います。 ★子ども達が視写をしたものはチェックするため目を通します。内容のあるいい文章ですが同じ文章を何度も読むことになり,結構つらいものがあります。自分の蒔いた種ですからやむを得ないのですが。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.394 2021年9月27日(月) ★オリンピックが終わりパラリンピックも終わりました。どちらも大きく新聞の記事になっていました。他のメディアにも大きく取り扱われたと思います。パラリンピックはメディアだけでなく今年度の新しい教科書にも取り上げられています。公民の教科書は改定前から「国際化」や「多様性」,また「バリアフリー,ユニバーサルデザイン」などの言葉が出ていましたが,中学の英語の教科書にも「車いすテニス」や「バリアフリー,ユニバーサルデザイン」の話が載っています。中学だけかと思ったのですが高校の教科書にも「車いすテニス」の話がありました。世界的にも多様な2人々がいて,それぞれを尊重するという流れが出来上がっているということなのでしょう。 しかし,天邪鬼風に言うと,メディアが「多様性」を大きく取り扱うということは,「多様性」が当たり前ではない,身の回りは「画一的」だということだと思います。実際,街に出れば車いすや白い杖を持った人を時折り見かけますが,小・中学校では見ないのではないでしょうか。目が不自由だと盲学校,耳だと聾学校に行くのでしょう。公的な機関が多様な人と接する機会を奪っていると言えるのかもしれません。ですから,多様な人と接する機会が身近にないのは当然かもしれません。 私の一番身近かな中学生の勉強を例にとると,学校のワークなどの一律な扱いが気になります。中学生の実力はみな違います。しかし,できる子もできない子も一律にワークをしなければなりません。極端な例ですが,自分の氏名に含まれる漢字であっても,決められた回数その漢字を書かなけれず,やる必要のない練習をしなければなりません。ワークが評価の対象に含まれるため,皆に同じことをやらせ決まった物差しで評価しますからやむを得ないのかもしれません。いずれにせよ,中学校というところは同じ服装で同じ昼食を摂っているところですから,教科書にはいろいろと書かれていますが「多様性」という言葉とは縁がないところかもしれません。 ★慣れる…腕時計を,時折り忘れますが,身に着けています。左腕にする習慣です。ある時ひょんなことから右腕に時計をつけました。「えっ,腕時計ってこんなに重かっただろうか」とその重さに驚かされました。すぐに左腕に付け替えてみると,「重たい」とは感じませんでした。おそらく,右腕は普段と違う「重さ」を感じ,左腕は「時計の重さ」を覚えていて特に重いと感じなかったのではないでしょうか。筋肉に記憶力などないだろうに不思議なものだと思い,体が覚えているとはこんなことなのかもしれないと思いました。また,私の世代は英語の筆記体を習っています。筆記体は単語を一連の動きで書くせいか手がスペルを覚えているような感じがします。今でも筆記体を書いて綴りを確かめることがありまず。数十年前に書いた感触がかすかだけれど残っているのでしょうか。何年も自転車に乗っていなくてもちゃんと乗れるなど,体の記憶は馬鹿にできないし,「習うより慣れろ」なのでしょう。 ★文字から想像する…一次関数の勉強をしています。y=ax+bという式から何を想像するか?色々あるかと思いますが,問題を解くことと関係が深いものと言えばグラフの形でしょうか。一本の直線を想像するだけです。フリーハンドで座標軸を書き線を引いてもらいます。これが意外に難しいのです。 スマホを使い視覚情報に慣れている子ども達は文字情報を視覚化することに慣れていないのでしょうか。私が子どものころテレビばかり見ていると文字から想像する力が失われるといったことが言われたことを思い出します。
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信天翁通信No.393 2021年8月15日(日) ★あまり関心はなかったのですが,オリンピックが終わりました。新聞だけは毎日読むのでメダルをたくさん取ったこと程度は知っていました。その記事の中に気になる言葉がありました。その時に不覚にもメモらなかったので記憶があいまいです。古い新聞や記事検索をしても出てこなかったので記憶違いの可能性があります。でも,確か「不覚の銀メダル」と見出しにあったように思います。ググってみると ①常からの心構えが不足なこと。特に、油断して、し損ずること。 「―を取った」 ②思わず知らず、そうなること。 「―の涙がこぼれる」 とありました。②は「前後不覚」など意識がはっきりしないといった意味で使われるようですから,新聞で使われていたのは①の意味だと思われます。「心構えが足りない,あるいは油断したため銀メダルだった」と読んでいいのでしょう。「油断した」などと選手を責めるようなことを書かなくてもいいのではないかと思います。それよりも金メダルを取った勝者に対してとても失礼ではないでしょうか。「本来は勝てなかったけれど」と言外に言っているように思えてなりません。勝者に対する敬意が感じられません。 また,「心構えが足りない,油断した」など精神面が原因で負けたのであれば研究や技術といった面には問題がなかったのでしょうか?ひょっとすると技術面の弱さを隠すために不覚などといった言葉を持ち出しているのではと勘繰りたくなってしまう私です。 普段から「惜敗」といった言葉に違和感を感じます。僅差で負けようが大差で負けようが負けは負けです。「惜しかったあと少しで勝てた」では本当に負け惜しみという感じがし,勝者に対する敬意が感じられません。また,「惜しかった」は負けを受け入れている言葉なのだろうかと思います。負けを負けとして受け入れなければ,どうすれば勝てるのかと次につなぐ考えができないように思えて仕方がありません。 単なる言葉遊びかもしれませんが,子ども達が「計算はあってたけれど,プラス・マイナスを間違えて惜しかった」と言うのをを連想してしまいます。子ども達がプラス・マイナスの符号を計算に比べとても軽く考えているように思えてなりません。「惜しかった」と言っている間は符号の間違いは続くのでしょう。今日8月15日を「終戦記念日」と言い慣わしている国だから仕方ないのかもしれません。でも,次を担う世代の子ども達ですから,間違いをしっかりと受け止め修正する力を身に着けてほしいと思います。 ★中学生に「英語を聞くように」とうるさく言っています。入試の配点が100点満点中の30点があるというのが理由の一つです。それよりも指導要領が変わり英語が格段に難しくなり,今まで以上に,取り残される子が増えるだろうと思わずにはいられないからです。先日行った道コンの英語も特に1・2年の問題が難化したと思います。 私たちは日常的に英語を聞いたり話したりすることはほぼありません。しかし,今年の英吾の教科書にはQRコードがあり,それを読み取ればいつでも教科書の本文を聞くことができます。「英語を聞くこと」に限れば日常的に接することが簡単にできるようになっています。言葉の勉強ですから,慣用句やリズム・口調など「習うより慣れろ」といったことがあります。QRコードを積極的に利用するしないで格差はとても大きくなると思います。
教科書ですから内容が面白いお話を期待するのは無理でしょうから,どの程度の子ども達が利用するかはわかりません。しかし,教科書1ページ分の英文を聞き声に出すのは毎日数分とはいえ,積み重なれば大きな差が付くと思います。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.392 2021年7月28日(水) 夏休みに入る前に受験生はその過ごし方について学校から色々と言われるようです。受験生にとって夏休みをどう過ごすかは大切に違いありませんから,「夏休みは勉強を頑張らなくっちゃ」という子が結構でてきます。それを聞くと不謹慎かつ申し訳ないのですが,つい笑ってしまいます。「普段は勉強していません」と言っているようですし,「夏休みだけなの」と嫌みの一つも言いたくなってしまう私です。 確かに,学校の授業がなく時間が十分にあります。そのうえ中3はあまり意味のなさそうな宿題もありませんから,自分のペースで勉強することが可能です。しかし,力が入りすぎるのもどうでしょうか。オーバーペースになれば早々とダウンすることになりかねません。 学校の授業は6時間授業ですが,子ども達が机に向かって問題を解いたり自分で考えている時間は実質どの程度のものでしょうか。勉強を継続的にするためには,塾での勉強時間を含め一日にどの程度の時間が適切かを考えて勉強を進めてほしいものです。また,続けている間に時間を少しづつ時間を増やしていくことはそう難しいことではありません。2月末まで続く長丁場です。無理なく,むらなくです。 むらなくといえば,一日に特定の科目だけ,好きな科目だったり苦手科目を克服するといった偏った勉強は避けた方がよいでしょう。英語などは毎日少しの時間でも接するこすることが大切です。 勉強を進めるには目標があるとやりやすいでしょう。わかりやすいのは入試の目標点数です。合計だけではなく科目ごとに設定することが必要です。高得点を目指す科目,そこそこでいい科目があるはずです。自分の普段の点数から考えれば良いと思います。 しかし,受験は他人より1点でも多くとればいいという点取りゲームです。傾斜配点がなければ,どの教科で取るかは関係ありません。好きな言葉ではありませんが効率よく点数を取ることを考えてみることも必要です。点を取りやすい科目や短期間に点数を上げることの可能な科目は何かを考えることも大切です。長丁場と言いましたが時間は限られています。私の経験では,点数を短期間に効率的にあげることがやさしいのは理・社だろうと思います。理・社は分野がいくつかあって一つの分野が苦手でも他の分野で補うことが可能です。特に英・数が苦手な人にはお勧めです。 もう一つ大切なことは,高得点を目指す場合には難しいですが,捨てることでしょう。目標点数を設定をするということは,失う点数を考えることでもあります。どの科目,分野を捨てるのかを考えることで効率よく勉強をすることができると思います。 捨てるなど本来の勉強を考えればおかしな話ですが,点取りゲームに勝つ方法と割り切ってやっていくのがいいと思います。 ★夏休みに入り,すべて対面の授業とし,Zoomはお休みにしました。2学期以降もやむを得ない場合を除き対面でと考えています。 ★平年より5~6℃気温が高い日がもう10日以上続いています。まだ厳しい暑さが続くようです。熱中症にならないよう水分補給をこまめめに行ってください。水やお茶など持たせてもらえればと思います。 ★卒業生が遊びに来てくれ昔話に花がさきました。その子が大学生の頃に会って以来でした。おっとりとしてマイペースの子でしたが,落ち着いた良い雰囲気の社会人になったようでした。 ★イモリ…30℃を超える日が続いています。イモリには厳しい暑さのようです。水道の水がもったいないのですが,風呂場に水槽を置きかけ流しにして水温が上がらないようにしています。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.391 2021年月28日(月) 定期テストが終わりました。定期試験がない中学があり,何だか妙な試験勉強だったのと,今までと違いどこか消化不良のような感覚がありました。試験がないだけでなく予想よりも試験範囲が広い学校があったからかもしれません。試験範囲が広かったり,狭かったり何だか今までとは少し違う感じでした。 理・社は中学校によって進め方が違うので範囲が違ってもさほど気になりませんが,英・数で目立ちました。英・数は年度初めでどの中学も同じようにスタートしたと思うのですが,教科書の内容が増えた事から今までよりも進度を早めている中学がある一方,従来と変わらない中学とがあるようです。新しい教科書をどのように進めるか,迷うところが教師間にあるのでしょう。私としては今までより少し進度を早めないといけないかと考えています。 この春から指導要領が変わりそれに伴って教科書の内容が増え,さらに来春の受験までがかわります。そうした変化の影響が試験範囲というか授業の進め方に現れたのかもかもしれません。 中1は新しい教科書でのスタートですから子ども達に戸惑いはないと思いますが,英語の教科書を見て私が驚いています。 小学校の教科書は昨年度から新しくなり教科として成績がつくようになっています。小学校の新しい5,6年生の教科書には様々な文や単語が出てきているようです。現行の5年生の教科書今の中1は使っていません。しかし中1の教科書では,既習のものとして扱われているため,小学校で習ったことになっている単語がたくさんあります。昨年までの英語の教科書に比べ単語や文の種類が格段に多くなっています。まだ子ども達に英語の平均点を聞いていませんが今までよりは相当低くなるのではないかと思います。 他の学年でも英語は習っていないにもかかわらず,既習のものとなっている文法事項があります。文法事項は今までと文法の学年による配列が変わったためで,今までにも教科書がかわるとこうしたことはありましたが,今回は特に目立ちます。会話表現が多くなっているのは今までと変わりませんが,単語数をはじめ覚えることが多くなっていることは間違いありません。普段から慣れておくために教科書を読むなどがより必要でしょう。 ★お詫び…前回に書きました定期試験のことですが,太平中で変更があったと書きましたが変更はありません。 子ども達から「年4回の定期試験」と聞いたのですが,この定期試験の4回のうち1回は「音楽,技・家,保・体」のみの試験が含まれています。「国,数,理,社,英」の定期試験は従来通りの年3回でした。入試の五教科が年4回になったと私が勘違いしたものでした。音楽など入試にない科目を無視するという私の偏見ですね。 人の話を自分だけの基準で判断してはいけないと反省しました。 ★ワクチンを接種します…先日1回目の接種を受け,7月16日に2回目の接種の予定です。接種後,中学生を対象に個人懇談をしようと考えています。詳細は改めて,連絡をいたします。
★イモリ…気温が上がり元気なようです。今月で丸7年になりました。水槽に指をつけてゆっくり動かすと目で追います。視線の先に肉を持っていくと上手に食べます。餌をやるコツがわかったようです。
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信天翁通信No.390 2021年5月24日(月) 昨年の今頃はコロナによる学校の休校が終わる時期でした。コロナは休校だけでなく,高校入試の範囲の縮小など様々な影響をあたえました。影響の一つとして,今春の小・中学校でのタブレットの配布が早まったことがあるでしょう。 生徒全員がタブレットを手にするのですから,私には大きな変化があったのだという思いがありました。ですから,子ども達から色々な話がでてくるかと思っていました。案に相違して,私が尋ねると話してはくれますが、子ども達の方から話が出ることはありませんでした。ほとんどの子がスマホを持っていますから,いまさら,タブレットを渡されたからといって特に感慨がないということでしょうか。 どう使ったかということも話してはくれますが,子ども達の口ぶりは「自分達は当たり前のことをしているのに,おじさんは何を聞きたいんだろうか」といった感じです。私一人だけがすごいことが起こっていると思っているようです。私の世代はスマホの機種代金の何倍もするパソコンの出はじめでした。値段は高かったのですが,性能は何十分の一でしょうか,ひょっとすると何百分の一よりもっと悪かったでしょう。アプリなどあまりなく自分でプログラミングをしたりといった時代です。当然インターネットなどまだなく,今のように簡単に検索などできませんでした。私にすれば隔世の感ですが,子ども達には無縁のことでしょう。私にすれば時代が変わった感じです。コロナ後も含め,これからどのように変わっていくのでしょうか。楽しみなような不安なような不思議な感じを持っています。 ★指導要領が変わり,それに合わせて教科書がかわりました。道の入試も来春から新指導要領に合わせたように変更されます。そうした流れと関係があるのでしょうか。中学にも様々な動きがあるようです。 大きな変化は,福移中学は定期試験を廃止したことでしょうか。福移中は特認校で1学年の定員が20名の小規模校ですから他の中学校とは異なるかもしれませんが,随分と思いきったものだと思います。評定をどのようにつけるのかなど変更することが多く大変だろうと思います。その一方で,太平中学は定期試験が年4回と増えました。ところが篠路中学は年2回と減らしました。
まるでコロナで生活様式に変化があったことと合わせたように,中学が動き出したみたいです。今後どのような変化が表れてくるのかわかりませんが,中学校で今までとは違った動きがあるように感じます。少なくとも,今のところだけかもしれませんが,横並びではなくなったようです。変化は中学だけではないのかもしれません。 ★イモリ…水を換え,水草も新しくしました。見やすくなりました。暖かくなりましたが餌は時々しか食べません。「足るを知る」のでしょう,人間のように満腹でも食べるということはしないようです。 ------------------------------------------------------------ |
信天翁通信No.389 2021年4月22日(木) 学校は新学期が始まり授業も進んでいるようです。今年からタブレット,Chromebookが一人一台貸与されることになりました。すでに手渡され,本体の操作をした学校もあるようです。子ども達の話では,「持ち帰ることはできない」そうですが,持ち帰ることもできるようになるかもしれないような雰囲気ではあるようです。
どの教科でどのようにタブレットを利用した授業が行われるのか,また,家庭に持ち帰ることができるのであれば,課題や家庭学習の内容などが変わりそうな気がします。私としては早く知りたいのですが本格的に使うようになるのは連休明けあたりなのでしょうか。 タブレットの導入だけではなく,中学生の教科書が新しい指導要領に準じたものにかわりました。ざっと新しい教科書を見た印象です。 英語の教科書は大きく変わり勉強方法が今までとは相当違ったものになりそうです。教科書のあちらこちらのページにQRコードがあり単語や本文の読みを聞くことができます。パソコンでもURLを入れると見ることができます。少し見てみると単元によっては動画があり,場面に合わせた会話を聞くようになっています。また,前の教科書には少なかった読ませる文章,長文,が多く掲載されています。入試を考えると読むスピードも要求されそうです。スマホでQRコードは読み込めますから,家庭で新しい指導要領の「聞く・読む」の練習が,今までと違い誰もができるようになったということです。学校の授業でどのように利用されるかまだわかりませんが,日々の家庭で練習ができるのですから,家庭でどのように利用するかは成績に直結しそうに思えます。 理科の教科書にもQRコードがついていて説明の動画などを見ることができます。しかし,すべてを見たわけではありませんが,塾ではあまり使えそうにないというのが私の印象でした。また単元の配列が変わり学習する学年がかわりましたが,出来が悪かった単元を後に回したといった感じで特にポリシーを感じさせるものではないようです。 数学は資料の整理に新しい事柄が入り,習う順番が少し変わりましたが,これらを除けば内容が大きく変わったようではありません。 塾の教材にも,こうした変化の流れがあり,英語のテキストを中心に音声や映像を見ることができるものが増えました。この流れはかわらないのでしょうが,始まったばかりですから,試行錯誤を繰り返し内容はどんどん変化していくように思います。何よりも機器やソフトが猛スピードで進化するでしょうから,それに合わせ学び方も変わって行くのでしょう。子どもより私のような大人がついていけなくなりそうです。それでも,どう変わるのか見てみたいものです。 ★コロナの感染がおさまらない大阪では「小・中学校の授業をOn lineで行うことも」と新聞記事にありました。私ですらZoomを使っているのですから,みんながタブレットを持てばOn line授業も可能でしょう。上手に使えばOn lineもいいのではと考えZoomを利用していますが,これだけでどうにかできるとは正直思えません。学ぶ側の一人一人に対応するには対面でなければ見えてこないものがあるように思います。確かにOn lineの良さはあるのでしょうが,何かが失われることは間違いないでしょう。何かが何なのかうまく言えませんが。
★イモリ…水を変えなくてはと思いながら,まだ冷たいだろうなと思い放置しています。中が良く見えいせいか子ども達も見てはいないようです。天気のいい日にやらなくては ------------------------------------------------------------ |