ごあいさつ

通信Back number 2017年4月~2018年3月

 

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2018年3月28 日(水)No.352

受験シーズンが終わるころかと思います。中3は無事志望校に合格しました。何年ほど前からでしょうか,難関校といわれる高校の倍率が高くなっています。以前は1.2倍もあれば高倍率といわれましたが,最近の難関校は1.3倍だと低めで1.6倍などとなることもあります。挑戦する受験生が増えたのは,私立高校が様々なコースを設け教育内容を充実させ人気を集めているということかもしれません。公立を不合格になっても私立に行ってという考え方が普通になってきているのでしょうか。私立高校に対する評価が高くなったといえそうです。

別の理由として,通知表の5がつくのは100人のうち7人と決まっていた相対評価から,全員が5がつくこともある絶対評価に変わったこともあるようです。ランクが関係しているように思います。相対評価のころにはほとんどいなかったAランクの子が,絶対評価になってからずいぶん多くなっています。南高・北高などを受ける子の大半はAランクを持っているようです。高いランクがチャレンジする気持ちを後押ししているのかもしれません。

そして,受験が終わったということは受験が始まったということになります。新しく中3になる子ども達は来春に,そして中1になる子ども達は遠い先の話のようですが,ランクは中1からついてきます。

中1のスタート時のランクは315点満点(中1・2の持ち点が各90点,中3は135点)から1点も失っていません。持ち点315からのスタートです。中1の学年末の通知表に一つ4がつくと2点の減点です。ランクは減点法ですから,失った2点はもう取り戻せません。

このような仕組みのランクですが,子ども達には普段あまり身近なものとして感じられていないようです。ランクが現実的なものとして子ども達の目の前に現れるのは受験校を決めるときです。子ども達には先のことですからやむを得ないのかもしれません。

小学校はランクといった煩わしいものがありませんからゆっくりと自分のペースの勉強ができます。しかし,中学校の小テストや定期試験といったスケジュールの中,自分のペースを作り上げるのは大変かと思います。小学校から中学校ほどではありませんが新学期はクラス替えがあったり担任が変わったりと色々と変化するときです。

環境が変わりますからストレスは当然大きいと思います。子ども達は愚痴をこぼしたり何かに,例えばペットとかに,あたったりといったことがあるかもしれません。ペットは自分から近寄らなくなると思いますから大丈夫でしょう。そして,愚痴に対しては何も口だしせずに「そうなの,そうなの大変だね」と聞いてあげてください。口に出し聞いてもらうだけで気が晴れるようです。下手に口を挟むと愚痴を言わなくなるかもしれません。愚痴は貯めるとろくなことはないかと思います。少しづつ吐き出していれば問題はないと思いますが,下手にため込むとどこかで爆発するかもしれません。

ぜひとも子ども達のこぼす愚痴をよく聞いてあげて下さい。

私も「そうか,そうか」と心がけるつもりです。

 

 

    • イモリ…久し振りに餌を食べました。しかし,留守の間は餌があたっていませんでした。気がつくとメダカがいなくなっていました。 

2018年2月27 日(火)No.351

問題を解いている子ども達の手元をよく見ます。子ども子どもした小さい子から大人とそう変わらない体格の子までいます。鉛筆やシャーペンを握る指は細く,見るからに柔らかそうです。そして,時折自分の手と指を見ます。子ども達に比べれば大きな手ですが,子ども達と同じように,少しも節くれだったところがありません。力仕事なんてしたことが無い手だなと,奇妙な物に見えたりします。力仕事といえば,アルバイトの土方仕事くらいでしょうか。茶碗より重いものを持ったことがないと言えそうな経歴です。私が子どもだった頃,周囲の大人の手はどんなだったのでしょうか?父親は節くれだった手をしていたように思います。

ところで,皆さんが行きつけのお医者さんの手はどんな手をしていらっしゃるのでしょうか。私の行きつけのお医者さんの手は私と同じような感じです。ですからお医者さんは華奢な手をしているものだと思っていました。ところがある時ごつごつとした手のお医者さんに会いました。そのお医者さんは毎日のように手術をしている方でした。一つの手術は立ったままで何時間もかかるそうですから,結構な力仕事のようです。そのお医者さんに会ってから手が気になるようになりました。

手といえば,中学生どころか小学生もマニュキアを塗ったりします。お洒落のつもりと大人の気分を味わいたくてしているのだと思います。マニュキアは単なるお洒落だと思っていたのですが,その昔はステイタスシンボルだったそうです。このことは新聞で知りました。手の爪に色や柄など装飾を施すということは水仕事をしない,つまり家事をしていないということを示しているそうです。台所仕事をしなくてもよい身分であることを表していたそうです。

爪に色を付けるなんて,健康にいいのかなあなどとくだらないことに注意がいく私でしたが,身分や地位と関連があるとは思いもよりませんでした。スパイ映画で女のスパイが修道女になりすますのですが,爪をのばしていたことから偽物であることがばれるというシーンがありました。確かに爪をのばしたり色を付けていては水仕事や力仕事はできません。

爪一つでもいろんな見方があるものだと思いました。

今の八十,九十代の人が子どもだった頃は井戸やポンプが普通にあった時代で,水を手に入れるにもそれなりの力が必要だったと思います。その頃はごつごつした手をした子どももいたのでしょうか?こんなことを言うと,手の持ち主に失礼かもしれませんが,手を見るとその人のほんの一部分ですが,推し量れると思います。

そういえば,卒業生で家具の職人をしている子がいます。帰省した折に顔を出してくれるのですが,さすがに職人さんといった手をしています。塾に通っていた頃の手は覚えていませんが,その当時から立派な職人さんの手をしていたはずはありません。手は彼の人生の一部分を示しているのだと思います。

私の手に節くれはありませんが,子ども達と同じように以前はペンだこがありました。字を書いた頃があったのです。今は字を書くことはあまりなく,ペンだこはほとんど目立たなくなってしまいました。どんなことをしているのかが手に現れることの一つでしょう。

小さな柔らかい子ども達の手先を見て,この子たちは将来どんな手をしているのだろうか,とふと思うことがります。どんな職業につくか,職業にあった手になっていくというか,自分の手を作っていくのでしょう。みんな良い手の持ち主になってほしいと思います。

     • イモリ…餌はあげていません。水草がどんどん減っていきますから食べているのでしょう。いつから餌をやるのか思案しています。 

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2018年1月26日(金)No.350

 今の子どもはとよく言われます。昔と違うということのようですが,私が思うには,子ども達を取り巻く環境,特にスマホに代表される情報通信などの世界を大人が変えていったためにそう見えるのだと思います。そうしたことを除くと,塾を始めた年以上前と今の子ども達はそう変わっていないと思います。 私が子ども達によく言う「書いたものを消すな」,「間違えてもいいからやってみること」,「一度にやろうとしないで,順序良くていねいに」,「筆算しなさい」などなど少しも変わっていません。

 世界のことは知りませんが,日本では失敗や間違いはとてもいけないことでありあってはいけないことになっているようです。人間は神ではありません,間違うからこそ人間なのです。特に経験や知識の少ない子どもほど失敗は多くて当たり前です。というか失敗を重ねそこから学んでいくというのが普通の姿だと思います。私が「消すな」と言うのは,子ども達に間違いときちんと向かい合ってほしいという思いがあるからです。何をどう間違えたかを確かめることが同じミスを防ぐことになります。最初からやり直していては自分の間違い方のパターンを学ぶことはありません。同じ間違いを何度も繰り返すことになり,自信を失くすことになってしまいます。

 子ども達が間違いの個所をあわてて消す姿から,不祥事をこそこそ隠す大人の世界が思い起こされます。隠すどころか,原発事故など想定外だから失敗ではなかったと強弁し,そこから学ぼうとしない大人の世界です。子ども達が消しゴムに頼り,学ぶところがないのもやむを得ないのかもしれません。

 間違いと向き合わないことよりももっと困ることは,何もしないことです。「間違えるくらいなら何もしないでおこう」という考え方で,間違いを消すよりも消極的な姿勢です。間違えたにしてもそこには何かしら考え,自分で判断を下しています。答を消しても,判断を間違った事実があり,今までとは違った判断の基準を考えるかもしれません。そのことが正解に一歩近づくきっかけになるやもしれません。「何もしない」,つまり現実に向き合い何とかしてみることがないのですから,そこからは何も始まりません。ただただ,失敗を恐れなにもしないだけです。どうなんだろう,どうしたらうまくいくのだろうと生き生きと考えることもなく上の空になり,はた目にも元気のない子どもに見えてしまいます。そんな子どもにはなってほしくないものです。

 学校の勉強のような人に害を与えることがほとんどない失敗は,小さな失敗といえます。そんな小さな失敗を重ね大きな失敗に備えるようになることが大切ではないでしょうか。間違えろとは思いませんが,手を動かしてやってみることから今までとは違ったものが見えてくるかと思います。

 失敗ばかりでは確かにめげてしまうかもしれません。しかし,成功体験ばかりで,子ども達は経験や知識を豊かにしてけるのでしょうか。これはありえないことですし,あってもそこから豊かな知識が身につくとは思えません。失敗に学び成功し,これの繰り返しなのだと思います。問題に向かい合い,どうすれば解決できるのか試行錯誤することで子ども達は成長するのだと思います。

 こんなことを書いてきていますが,子ども達が間違えた時にどう接すればいいのか,一人一人異なる子ども達です,わからないことが多すぎます。でも,どこでどう間違えたかを気付かせ,どんな練習をすれば間違えないで済ますことができるのか,こんなことを考えることから子ども達との接し方も見えてくるかと思っています。

 しかし,私も人です。正直同じ間違いを繰り返されると,イラっときてしまいます。まだまだ修行が足りません。

 遅くなりましたが本年もよろしくお願いいたします。

 久し振りに中学生と一緒にスキーをしました。お天気には恵まれたようで少し雪がちらついただけでした。このところ,一度行くか行かないといったシーズンが続いていましたが,今シーズンはすでに3度も滑りました。3回目で体が少しなじんだのか,一本滑るといつも痛くなる膝が,帰る少し前まで痛まなかったのです。でも明くる日にはしっかりつけがまわって腰などが痛みました。中学生と同じ調子で滑ること自体無理な年齢ということでしょう。

 イモリ…たくさんあった水草が少なくなって,水槽の中がよく見えるようになりました。肉類があたっていないイモリは少しスリムになったようです。草を食べてダイエットしたのでしょうか?

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2017年12月25日 No.349

 12月になると新聞には今年の十大ニュースといった言葉が見受けられます。道新だと道内や日本,世界といった分類が行われているようです。さて,塾に大ニュースというほどの出来事はありませんでしたが,この一年を振り返ってみるのも悪くないかと思います。

 塾の一年の始まりといえば講習の最中で,受験対策というあまり楽しそうにないことから始まります。楽しい受験勉強をし,受験が待ち遠しい早く受験したいとなれば合格間違いなしでしょうが,そうはうまくいきません。苦しみながら勉強していましたが,その分,合格の喜ぶが大きいといえるのかもしれません。今年の受験は全員志望校に合格でしたから喜ばしいニュースでした。

5月に小学生と一緒に円山動物園に,動物園に何年ぶりに行ったのでしょうか,子ども達と楽しんできました。そして7月の末には小中学生と長沼にブルーベリー狩り,子ども達がブルーベリーを採っていたのはほんの少しの時間でした。子ども達の相手をしてくれたのは,荷物運びなどしてくれた卒業生の連れてきた柴犬の旭でした。旭はその後かまわれすぎて自家中毒になったのか少し体調を崩しましたがすぐ元気になったそうです。

 遊びの間に中学生の一学期の定期試験がありました。11月には二学期末の試験,みんなよく勉強してくれました。試験前のにわか勉強ではありません,普段から自由参加の日にも塾に来て積極的に勉強していますから,ゆっくりとですが成果が表れるでしょう。

 中学生の勉強は受験に影響する内申点の関係から教科書に合わせることがほとんどです。そのため手製のプリントを使うこともありますが,既成のテキストやプリントが中心になります。

 それに引き換え,内申点を気にしなくてもよい小学生は手製のプリントをよく使います。国語だけでなく算数も文を書くプリントを作っています。文に慣れ字に親しんでほしいと考えて作っています。納得がいくようなプリントにはまだまだです。今年は昨年に比べ新しいプリントを作ることや作ったプリントのバージョンアップがあまりできませんでした。今年の大きな反省点です。

 この一年いろいろとやろうと思ったことの何分の一ができたのだろうかと考えさせられる年の瀬です。

 試験や遊びに行ったことは子ども達とのかかわりの中心ではありません。中心は当然ですが,普段の決まった曜日と時間に来る子ども達と勉強するときです。私の考えはきちんと子ども達に伝わったのか,私は子どもたちの思いをどの程度わかったのだろうかと考えさせられます。どのように子ども達と接することが最善なのか,一人一人違いますから,AさんでうまくいったからBさんでうまくいくとは限りません。成功よりも失敗の方が多いのかもしれません。「失敗は成功のもと」と言いますから,失敗から学んできたとは思いますが完全ではありません。今も失敗を重ねているのだと思います。しかし,子ども達との付き合いでは失敗は許されないというのが本当かもしれないと思います。緊張感をもって日々子ども達と接していきたいと思います。

 また,来年は手製のプリントを,子ども達に力がつくように少しでも充実させたいものです。しかし,ネットで調べたりして作ることもあり,いらぬ方に注意がいってしまったりしてどの程度できるものかと心配なこともあります。でも子ども達が真剣に取り組んでくれればとてもうれしいことです。そんな事を思い描きながらなんとか作りたいと思っています。

 齢のせいもあると思いますが時間のたつのが速く感じられます。気がつけば今年も残すところわずかとなりました。今年一年いろいろとお世話になりましたが,新しく迎える年もよろしくお願いいたします

 先月,定期的な検査のために血を抜きました。検査の結果,気になる項目の数値が前回と比べよくなっていました。喜ぶべきは私ですが,それよりもお医者さんのご機嫌がよかったこと。私がお医者さんの期待に応えたことがよかったのでしょう。まあ,子ども達の試験の点数がよかった時の私と同じような心境でしょうか。

イモリ 元気なのか元気がないのか,エサは食べていません。この冬を越し丸4年目を迎えられるのでしょうか。でも,今までも大丈夫かと思わせられましたが,何とか乗り切ったイモリです。期待したいと思います。

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 2017年11月27日 No.348

 久しぶりに舞鶴から小樽までフェリーに乗りました。以前は30時間ほどかかりましたが,今は20時間と少しに短縮されました。船が速くなり便利になりました。速いことから,連想したことがあります。良いことなのかどうかわかりませんが昔に比べ世の中の変化も速くなっているのだろうということです。その変化についていくのは私などには大変です。そもそもついていく必要があるのかどうかは疑問なところはありますが。

 世の中の変化が速いせいかどうかはわかりませんが,メールの返信のように,何かにつけ速く速くとせかされるような気がしてなりません。みんなの様子を見ていても,メールでもラインでも急いで返信するような内容のものはあまりないのではないでしょうか。

 まあ,メールなどはそれほど問題があるとは思いませんが,学校で問題を速く解くようにせかされていないかと心配しています。みんなの様子を見ていると,落ち着いて問題に取り組むというよりは,なんだかバタバタとあわてているように見えることがよくあります。小学校の九九なども速く唱えるように練習させられいます。その他の計算も速くできるように言われているようです。計算を速くするためにか,割り算のように順序を追ってするとできるのに,一度に答を出そうとしてかえって時間がかかってしまうようなことも見受けます。確かに,試験は限られた時間内に終わらせなければなりませんから,速く解くことが必要なのかもしれません。しかし,自分のペースを乱してしまうと良い結果が得られるでしょうか。あわてたせいで,つまらない間違いをしてしまうことも多いのではないでしょうか。のんびりとは思いませんが周りを気にせず,自分の調子で取り組んだ方がいい結果を得られるのではと思います。

 周りが問題になるのかもしれないですね。問題を解くのが早い子もいれば遅い子もいます。様々なのですが,限られた時間の中で勉強を進めていきますからいつまでも時間をかけていられないというのが本当なのでしょう。ですからある程度のスピードは身につけた方が自分のためになるでしょう。ただ,速くするためにどうすればよいかというのはなかなか難しいことだと思います。

 一つ思うこととしては,しっかりと手順を身に着け,その手順を練習することで少しは早くできるようになるということです。ただし短期間で身に着くといったものではないと思います。時間をかけ毎日のように少しづつ練習する必要があるでしょう。速く身に着けようというのは少し無理があるように思います。

 人に言われたとおりにすると速く解けるかもしれませんが,なかなか身につきません。ナビの言うとおりに運転して目的地に着くのは早くて楽には違いありませんが道を覚えることはないようです。それと同じように,行きつ戻りつかもしれませんが自分なりの手順を確立することがよほど大切でしょう。

 速いということはあまり悪く言われることは無いようです。速さを競うことはスポーツをはじめ多いように思います。速いのはいいことかもしれませんがゆっくりもいいことはあると思います。

 新幹線はとても早く便利ですが,トンネルが多く景色を楽しむのには向いていないと聞いています。初めに書いた船旅も飛行機などに比べると遅いのですが,なかなか難しいのですが,時間があればのんびりと過ごせていいものです。 速く速くとせかされるような世の中ですが,自分なりの時間感覚でゆっくりと物事を見ていきたいと思います。 

 

  イモリ もう1週間以上餌を与えていません。もうそろそろ餌をあげないとと思いますが,はたして食べるのでしょうか。メダカは3匹になってしまいました。イモリに食べられたのではありませんでした。教室の裏手に埋めたのでもう土にかえったでしょう。

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2017年10月26 日(木)No.347

「おじさん知らなかったでしょう」と中学生に言われました。北朝鮮のミサイル発射のことでした。テレビを見ませんから中学生に教えられるまで全く知りませんでした。新聞は読みますがテレビを見ません。新聞と違って,テレビは速報性に優れた情報源として重要な役割を果たしているのでしょう。

速報性といえばラジも優れていると思いますが,ラジオを聞く中学生は少ないようです。やはり視覚に訴えるものがないせいでょうか。速報性といえばネットがすごいのかもしれません。篠路の駅前の市営住宅の火事の時など,たくさんの写真などがリアルタイムでアップされているようでした。これなどスマホが普及し,写真や動画を撮りすぐにアップロードできるからでしょう。

火事の写真などは話題になってすぐに忘れ去られるだけのことで特に何かに支障が起きるわけではありません。しかし,話題によっては,はた迷惑な情報もあります。先日,中学生に「A高校は今年から裁量問題になる」といううわさがあると言われました。LINEで広がっている話だったそうです。A高校のホームページにも書いてあるといわれ,早速高校のホームページを見てみました。しかしどこにもそんなことは書いてありません。間違った情報だったのです。

なぜ間違った情報が流れたのか,ここからは私の推量です。高校のホームページには受験の情報も載っています。その中に必ず「学校裁量」という言葉が出てきます。この「学校裁量」という言葉は,選抜方法,例えば面接を実施するかしないか,それこそ「裁量問題」と「標準問題」のどちらを採用するか,また推薦入試をするしないなどを高校が選ぶことができるという意味です。そうした意味で「高校裁量」という言葉がホームページに必ずあります。誰かがその言葉を見て「裁量問題」と思ったのではないかと想像しました。しかも,今年の春から裁量問題を採用した高校が実際にありましたから,噂に信ぴょう性があったかもしれません。

特に悪意があって間違った情報を流したのではないと思います。しかし,志望校を決める時期にある中3生には迷惑な話です。

何年か前にも他の高校で同じような噂が流れたことがありました。その頃は今ほど中学生がスマホを持っていませんでしたから,ホームページを見ているとは思いつきませんでした。

ホームページを閲覧したり何でもすぐに調べることができるスマホは小さなパソコンと言っていいのでしょう。とても便利ですが本当のことが書いてあるかどうかはわかりません。だれが情報を提供しているのかわからないことが多いようですから,嘘か本当か複数の情報を見てみることも必要なのでしょう。便利なネットですが,情報の真偽には注意しなければいけないという身近なお話でした。

♥子ども達は怖い話が好きなようです。今もやっているかどうか知りませんが「本当にあった怖い話」というテレビ番組は人気がありました。番組内容が事実か作りものなのか私は知りませんが,子ども達は「テレビでやってたから本当のことだ」と思っているようなところがありました。しかし,この時代,技術が進歩し特撮どころかCGを使って画像などいくらでも加工できます。実際子ども達はスマホを使って写真を加工して遊んでいます。それなのにテレビ番組をあっさりと信用してしまうのはどうしてなのでしょうか。テレビは製作者などがわかりますからまだましですが,ネットになると何が何だかわかりません。「ネットにあったけど本当だろうか」と子ども達が立ち止まって考えるようになってくれればいいと思います。便利になっていいのですが,光があれば影が必ずあります。影の部分は当然のように目立ちません。思わぬところに落とし穴が待っているかしれません。私も注意しなければと考えさせられました。

♥「学校裁量」に「裁量問題」と似たような言葉です。事情がよくわからない人が勘違いしても無理もないかもしれません。お役所の文書ですから,よくあることかもしれません。お役所というところはわかりやすい言葉を使おうという意識があまりないのかもしれません。

わかりやすく勘違いすることのないように言葉を選んで使ってくれればと思いました。

♥イモリ…やはり寒いせいか,イモリはあまり食欲はないようです。懲りずにまた,メダカを買ってきました。今のところ健在です。時期によってサイズが違うのか,今回のメダカは小さいような気がします。何とか生き延びてくれ ればと思っています。

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2017年9月28 日(木)No.346

何気なく使っていますが,「集合時間」・「集合時刻」のどちらを使うのでしょうか?私も「塾の始まる時間」などと使っていますが,バスの時刻表とは言いますが時間表とは言いません。言葉の意味からするとこれはおかしいかもと思い,辞書を引いてみました。

時間: ①ある時刻と他の時刻との間の長さ。ある長さをもつ時。

        ②時の流れの中の、ある一点。時刻。とき。

時刻: 時の流れにおける、ある瞬間。連続する時間の中のある一 点。

とあり,「集合時間」・「集合時刻」はどちらも正しいようです。私の「塾の始まる時間」も間違ってはいませんでした。でも,「時間」に時刻と同じ意味があるとは知りませんでした。

最近,小学校3年生の算数で「時刻と時間」の区別を勉強しました。時の流れを直線で表すと,一直線上の一点が時刻で,二点間つまり時刻と時刻の間の長さが時間と習います。ということは算数ならば「塾の始まる時間」は間違いということになります。

算数のような勉強は言葉の意味をきちんと定義して使うのが普通です。そして辞書は日常使われている言葉の意味を書いているのでしょう。ですから,こうした違いがあるのだろうと思います。

日常生活では,算数のような区別をせずに,「時間」を①と②の意味のどちらにも使っていることになります。聞き手がどちらの意味で使っているかを間違えることはほとんど無いようです。おそらく,前後の関係からどちらの意味で使っているのかがわかるので,何の混乱も起きないのでしょう。しかし,前後の脈絡がない算数の問題になると,難しいようで,時刻と時間の区別を間違えることもあります。

ところで,算数・数学では,時刻と時間に似たこうした言葉の約束が出てくることがよくあります。時刻と時間は一直線上のことでわかりやすいのですが,数学や理科では平面となり,縦・横の二本の直線を見なければなりません。

例えば,数学に出てくる,座標平面があります。座標は2つの数字を使って一つの点の位置を表します。時刻に当たります。もう一つの点があると時間に当たるものが当然あります。ここで厄介なのが,点を表すのにx座標・y座標という二つで一組になっている数を使っていることです。そのため,時間に当たる数も二つで一組になっています。時刻から時間を求めるには一回の引き算ですが,座標平面ではx座標・y座標でそれぞれ2回の引き算が必要です。おまけに時間に当たる言葉が「xの増加量・yの増加量」と言ったり「xが3増加しyが4増加」などと変わり,時刻と時間の混乱が起きます。

これと同じようなことが理科にも出てきます。こちらは時間と距離が多いようです。時間と距離ですから数学よりもわかりやすいようにも思いますが,思わぬ落とし穴があります。時間も距離も2点間の差で求められるものです。理科の問題では2点を指定してくれていることはめったにありません。グラフや表を見て2点を自分で決めなければなりません。言葉の約束からしても時間と距離ですから,2点が必要です。しかし,子ども達は自分で決めることや言葉の約束を考えるといったことにに慣れていませんから,つい一つの点だけで解こうとして間違えてしまうことがよくあります。

小学3年生の時刻と時間の勉強でしたが,こんなことを考えさせてくれ,私にも本当に勉強になりました。

もう一つ気がついたことですが,時刻は,午前8時と日常で使うとき,忙しい朝の一瞬の時を表し,同時に午前零時,一日の始まりから8時間を経過したこともわかります。始まりの0時は24時間たつとリセットされて0時に戻ります。時刻と時間は一直線に表すことができるのですが,日付は違い同じではないのですが一直線上に何度も0が出てきます。そのたびにリセットされ新しい一日が始まります。新しい始まりあるのはいいことなのでしょう。そして,一年という節目で,また大きくリセットするのは人間の智慧でしょうか,よくできています。時刻と時間は楽しいことを考えさせてくれました。

また,子ども達がこれからも何か新しいことを気づかせてくれるかもと楽しみにしています。

♥イモリ…食欲不振,涼しくなったせいかガツガツ餌に食いつかなくなりました。でも太っているといわれています。飼い主は太っていませんが,ただいまダイエット中です。イモリは私におつきあいをしてくれているのでしょうか。

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 2017年8月25日(金)No.345

小学生が使っている辞書で「間(ま)」を調べてみました。名詞で次のようなものがありました。他に助数詞として「二間」のように部屋数を数えるのにも使う例がありました。

①物と物との間。あいだ。「すき間から光がさす」。②ひま,時間のゆとり。「忙しくて,休む間がない」。③ちょうどよいとき。ころあい。「間をみはからって,話を切り出した」。④部屋「日本間」。⑤音楽や演劇で,音やせりふなどがとだえた時間。「間の取り方は難しい」。

ネットの辞書には他に⑥畳の大きさを表す名称。「京間」「江戸間」。⑦話の中に適当にとる無言の時間。「話は間が大切だ」⑧その場のようす。その場のぐあい。などとありました。

何気なく使う言葉ですがこんなに意味があるかと感心させられました。主に空間と時間に関係して使われる言葉のようです。

子ども達が問題を解いているのを見ていて思うことです。

問題を一通り見たかと思うとものすごい勢いで解き始める(②や⑦の意味)。どう進めるか何を利用するかを考える,「間」がありません。

かなり手間がかかりすぎていても,一気にやってしまおうとする(②の意味)。方針がおかしくないか「間」を取ればと思います。

答合せもせずにがむしゃらに先に進む(③や⑤の意味)。正しいか誤っているかも確かめず,しゃにむに先に進むのはどうでしょうか。やはり「間」をとる,リズムが欲しいですね。

②,⑤や⑦の「間」は何もしない時間と言えます。②はわかりませんが⑤と⑦は例文にあるように「間」は大切なものとして使われています。ただ,三つには何もしない時間だという点が共通しています。そして,何もしない⇒無駄⇒よくないこと,時間を無駄に過ごしている。子ども達の勉強振りを見ているとそんな連想をしてしまいます。

そして,連想は続きます。何もしない「間」があると時間がかかることになります。速いは良いことですが,時間がかかるのはどうでしょうか。世界陸上がありましたが,短距離走でもマラソンでも,そして運動会の徒競走も速さを競います。速いことはほめられることです。

学校の勉強でも,やり続けることや速さが要求されます。時間内に終わらなければならない試験などその代表かもしれません。九九をよどみなく早く唱えたり,問題数が多い中学の定期試験もみかけます。古文の暗唱などでも時間内になどという制限があったりするようです。せっかくの名文ですからゆっくり味わえばと思ったりします。嫌味な言い方をすれば,休まずにかつ速くと,子ども達に要求する勉強はブラック企業のようなものかもしれません。「間」などあってはいけないようです。

確かにずっと何もしないのは困るのですが,全体を見たり少し手を休めたりといった「間」は必要です。一息入れて科目を変えたりし,気分と目先を変えることも勉強には必要です。

忙しくあわただしく勉強をするのはどうかと思います。それこそゆとりをもって,丁寧にやると時間がかかるように見えても能率がいいと思います。「急がば回れ」とはこのようなことかと思います。

ただ,⑤の例文にあるように「間の取り方は難しい」と思います。どのタイミングでどの程度の時間の「間」がふさわしいか本当に難しいと思います。こうして通信を書いていても,うまく書けないと休憩をと思いますが,休憩の合間に仕事をするなんてことになりかねません。

そして,③はもっと難しいと思います。子ども達に間違いを指摘したりヒントを言ったりするタイミングです。自分で間違いに気がつくのがベストですし,ヒントなしで解ければいうことはありません。うまくいけば,子ども達には達成感が大きいと思います。そういつもうまくいくわけでもありませんから,どこかで指摘しヒントを言うことになります。いつ言うかはとても難しいものがあります。

「間」とか「いい加減」と口にするのは簡単ですがいざ実行となると難しいものだと感じさせられます。

 

小,中学校は2学期が始まりました。しばらくリズムが取れるようになるまでは,「間」をとりながらあわてずゆっくりと構えてください。また2学期は,学習発表会や学校祭といった行事も多く忙しいと思いますので,体調には気をつけてください。

♥イモリ…20日に水替えをしました。春先を思えば,水がぬるいので楽でした。水が汚れることもあって,餌は控えめにしていますが,どの程度の量が適切なのかわかりかねます。様子を見ながら与えるしかないのでしょう。そして,丸のみですから適切な餌の大きさを考えています。

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2017年7月29日(土)No.344

今更ながら「塾の売りは?」と聞かれ「うーん」,何と答えればよいのか,私には困った質問でした。実は塾生募集のチラシの内容を考えたりする時にもっとも頭を悩ませる問題です。立派なキャッチフレーズが思い浮かびません。他の塾のチラシを見ますが,歯の浮いたようなきれいごとを書いてあるように思えてなりません。交流のある塾のチラシも見せていただくのですが,こちらは立派な活動をしていて,その活動内容に脱帽するばかりで,私にはあまり参考になりません。

振り返ってみれば,中学生に教えるくらいのことはできる,塾は食っていけそうな仕事らしい,「食うため」まさに生業として始めたのです。理念とか,そんな大層なものはありませんでした。

塾をやっているとはいえ,私は勉強が嫌いだったし,大学生の頃は怠惰な学生で,ろくに講義も受けず,就職が決まっていなければ留年だったでしょう。お情けで卒業させてもらったようなものです。まあ,先生方にすれば留年させても意味がないから追い出したということかもしれません。

そんな学校生活でしたが大学受験の時の1年数か月と就職試験と卒論でそれぞれ数か月は勉強しました。卒業してから思えば結構楽しい時間でした。受験勉強は良くわかないけれどもテクニックをマスターして問題を解いていたのだと思います。まさにゲーム感覚だったと思います。さすがに卒論は好きなことだったこともあり,苦痛だった英語の論文も読みました。その割に中高での不勉強のせいで英語の実力はつかなかったようです。また,子ども達に教える必要があり,多少は本を読んだりして科学や数学の不思議さに触れ面白さを感じたりしました。

ですから,点取りゲームの面白さや,不思議な世界を知ってもらえればと思います。そして,少しでも勉強が面白くなってくれればと思ってはます。こう書いてくると何か私が教えているようですが,子ども達と問題を解いていると,今まで気がつかなかったことや何となく覚えていただけのことが結びついて筋道だったものになるということがときにあります。つまり,子ども達を通して勉強や学校,そして世間を見ていると,そこにとても楽しいものがあります。

子ども達はできるようになりたいと思っています。ちょこっとそれを手助けし,できるようになった子ども達が点取りゲームに上達し面白さを感じ,私と一緒に楽しく過ごしてくれればと思います。

あまり楽しくない勉強をする場所が塾です。ですが,子ども達が勉強を通して楽しく過ごせる場所であってほしいと思っています。

とはいうものの思うようには簡単にはいきません。できない子ども達にイライラする私です。自分の説明のまずさには思い至りません。年を取り少しは我慢をするようになったとは思うのですが,どうでしょうか?子ども達に聞いてみてください。後になってイラついたことを反省し,どこがまずかったか考えます。ですから,できない子がいるから説明の仕方を考え工夫するということで,イライラするなんてもってのほかです。本当は感謝しなければいけないのでしょう。

それから,塾を始めてから子ども達を見ていてずっと感じていることは遊びきっている子が少ないということです。「よく学び,よく遊べ」と言いますが本当のことだと思います。昔に比べ危険が多いせいもあって,大人が子どもに干渉することが多くなり,子ども達の世界が狭くなっているように感じます。そんな思いもあって子ども達とカードゲームやモノポリーをしています。当たり前ですが子ども達と楽しく過ごします。

結論としては子ども達と一緒に楽しく過ごせる場でありたいということになるでしょうか。でもキャッチフレーズになりそうにはありません。

そこでお願いです。皆さんに尋ねるならば「子供が通っている塾の良いところは?」となりますが,どう答えるのでしょうか?考えてみてください。いい答えがあればぜひ教えてください。よろしくお願いします。

♥中3学力テスト対策…講習後,土または日曜に対策勉強を行います。 

 

♥イモリ…先月6月23日で丸3年が過ぎました。暑くなり食欲は旺盛で毎日のように食べます。食べたことのない鶏肉もしっかりと食べ,大きいかと思う肉も一気とはいきませんが丸呑みしています。

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2017年6月26日(月)No.343

「はなまるの花びらは5枚がいい」「いや, 9枚のほうがいい」子どもたちの会話です。枚数は何が基準になっているのかは不明です。少なくとも植物学的なこととは無縁でしょう。

さて,当然のことですが,「はなまる」,はなまる寿司のことではありません。子どもたちの答案用紙に書かれる「はなまる」です。出来が良い答案であることのしるしといっていいでしょう。さて,答案用紙に「はなまる」がついてくるのは何年生くらいまででしょうか。確かめたことはないのですが,中学生になるとさすがにないかと思います。小学校は4年生から高学年になりますから,この辺りが境目でしょうか。

どの子にも共通するとまでは言えませんが,小学校の低学年ほど「はなまる」を喜びます。私が○をつけていると「はなまるにして」と言われることもあります。自分で○つけをしているときは「はなまる」にするのが楽しみなようです。「○だけで十分なのに」などと私は思ってしまいますが,子ども達にとってはどんな○かも大事なことなのでしょう。旗も立てないといけないのかもしれません。

○か×かは子どもたちにとってはとても大切なことでしょう。

そういえば「はなまる」は満点のテストにしかもらえないのかもしれません。一問の正解に「はなまる」というのはないのかもしれません。「はなまる」=満点なのでしょうか。子ども達にとって「はなまる」は勲章なのかもしれません。しかし,学年が進むにつれ×のない○だけのテストは少なくなっていくのが普通です。言い換えれば○の価値はだんだんと大きくなっていくとも考えられます。まして「はなまる」の値打ちはと考えてみると,たかが○とはいえないのかもしれません。

高学年の子に対して,私は答えのチェックをしても○さえつけないことがよくあります。〇をつけるのはチェックしたかどうかの目印程度の意識でした。でも,こう考えてくるとおろそかに○つけをしてはいけないのでしょう。テストに限りませんが,子ども達にたくさん○をつけてあげることはやはり大切なことなのでしょう。

高学年になると,どんな○かは気にしないのかといえば,そうでもないようです。最初に書いた「花びらの枚数」は中学生の会話でした。やはり誰もが「はなまる」が欲しい気持ちに変わりはないのでしょう。体が大きくなり生意気なことを話すようになっても変わっていないのでしょう。これからはせっせと○つけをすることにします。

♥「はなまる」だけではありません,子ども達はプリントにいろいろな落書きをします。これは,難しくて解けなくなった合図のようなものです。書きだすとそちらに関心がいって書き終わらなければ納得がいかないようです。上手に書ければ,いえ失敗しても誰かに見せなければいけないようです。その挙句に,おしゃべりしたりという場面になったりもします。集中が続かないということもあるようですが,合いの手をいいタイミングに入れて問題に引き戻すのはなかなか難しいものがあります。

「はなまる」をコミュニケーションとして上手に使ったりしながら,子ども達と楽しくやっていければと思います。

♥中学生個人懇談♥懇談を希望される方は同封の用紙に都合の良い日時を記入し提出して下さい。時間があえば,三者で懇談したいと考えています。

7月には学校の懇談が実施されますから,その懇談が終わってから塾に来ていただければと思います。なお,学校側がもし教えてくれるようであれば次のようなことを聞いていただくとよいかと思います。

評定は多数の項目の評価を基に算定しています。今後のため,どのような項目を頑張る必要があるのか,具体的に「単にテストの点数がよくない」のか「ワークの内容に問題があるのか」といったことを聞いていただくとよいかと思います。今後の勉強の進め方の参考になるかと思います。

 

♥イモリ…元気よく,ほぼ毎日のように豚肉を食べています。薄切り肉1㎠もありません。足りているのか足りないのかわかりませんが,やせているようでもないので大丈夫なのでしょう。イモリは元気ですが,メダカはいけません。残り1匹になりました。また買ってこようかと思っています。

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2017年5月25日(木)No.342

前にも書いたことがありますが,小学生の教材として四コマ漫画をつかっています。3編の四コマ漫画をバラバラにしたものを,正しい順番に並べ替えるというものです。文を書かせる問題に比べ,子ども達には人気があります。私が思うには,ストーリーが分かりやすく文を書く問題よりも簡単にできるからでしょう。

問題は手造りしているのですが,まず漫画を選ぶことから始めます。題材は子ども達にわかりやすいものという基準を設けていますが,きっと私の好みが入っていると思います。漫画を3編選び,配置を変えるためバラバラにします。こんな手順のなかで,漫画をきちんと見ていると自分では思っていました。ところが,そうでもないようでした。

漫画の一つに,次のようなものがありました。

お母さんと居間でお客さんが話していましたが,主人公(小学生の女の子)がのぞくとお客さんはいませんでした。お客さんが帰ったと思った主人公はお母さんにお客さんのお土産が食べ物かどうかを尋ねます。ところが席を外しただけで帰っていなかったお客さんはそれを聞いて「お菓子だから食べてね」と主人公に言います。帰ったと思っていた主人公がバツの悪い思いをしたという落ちになっています。

さて,お客さんが席を外していたと書きましたが,なぜお客さんは席を外していたのでしょうか。私は問題を作ることに夢中で,そんなことを全く思いもしませんでした。

しかし,子どもは目ざとく見つけていたのでした。一人の子が「トイレにバッグを持っていくのは変だ」と言うのです。セリフの吹き出しにはトイレという文字はありません。私が「何も書いてないのにどうして」と尋ねたところ「だって,ザ~って書いてあるもの」と返ってきました。その通りで「ザー」と書いてありました。そして絵をよく見ると手を拭いていました。私は「席を外した」と書きましたが,「トイレに立った」と書くのが本当でしょう。ストーリーを追い問題を作ることが忙しく,見ているようで見ていなかったということでしょう。

子ども達に「よく見ろ」と言いながら,ろくに見ていない私と,よく見ている子どもでした。

♥手作りの問題は,あってはいけないと見直してはいますが,どうしても誤字脱字といった間違いが出ます。子どもたちに指摘されることも当然あります。しかし,場面を見落としていたとは少々参りました。もっとよく見るようにしなければと反省させられました。他にも教材を手造りしています。ミスが出るかと思いますがご容赦ください。

手作りはパソコンを使っていますから,目のつかれるのが欠点です。しかし,今まで知らなかった機能に気がついたり,パソコンの使い方は上手になっていると自分でも感じます。でも,子ども達のゲームの腕前と同じで世間の仕事には役立たないのだろうと思っています。

♥円山動物園に行ってきました。少し肌寒く,小雨がぱらつきましたが,行ってきました。適当にグループに分かれた子ども達はあちらこちらと好きに見て回ったようです。私は30年位前に子どもと行ったように記憶しています。でも当時の様子をほとんど覚えていませんから,初めて行ったようなものでした。動物園というと建物があまりないような気がしていたのですが,建物がたくさんあり,その中の動物を見てきました。雨が降ったらと心配しましたが,動物は建物の中にいるし,屋根のついた休憩所があって昼食や集合場所に何の不便もありませんでした。天気が悪く,すいていたのでゆっくり動物を見れたのかもしれません。

♥動物園に爬虫類館というのがあります。爬虫類だけでなく両生類も展示してありました。矢毒カエルなど鮮やかな色のカエルがいるかと思えば,どこにいるのかわからないヘビやトカゲの仲間もいました。イモリは展示していませんでしたが,両生類の説明には登場していました。そこに寿命について書いてありましたが,驚かされました。イモリの寿命は20~30年とあるではありませんか。飼育下では10年とネットで見ていましたがその2倍とは驚きでした。イモリは暖かくなり食欲旺盛です。

本当に20年も生きたらどうしようかと心配になりました。

♥人は変わる…おしゃべりな子がいれば無口な子もいます。塾で声を聞いたことがないという無口だった卒業生が何人かいます。そんな一人の子がパン屋さんを始めました。お客さんと接する商売,予想外なことでとても驚きました。人は変わるといういい例かと思いました。

 

お店は篠路1条4丁目,以前は「ぼっちゃん」というおもちゃ屋さんだったところです。お店の名前はフランス語で

「Boulangerie coco de chou chou(ブーランジェリー ココ ドゥ シュ シュ)」。

「バゲット」がおすすめだそうです。生地のしっかりした,おいしいパンでした。機会があれば味わってみてください。

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2017年4月24日(月)No.341

子ども達の会話の中に「かわいい」とか「イケメン」といった言葉が出てきます。容貌や体型といったことが気になる年頃,特に女の子は気になるのでしょう。

自分のことを「かわいくない」といったりする子がいれば,「かわいくないといっていると本当にかわいくなくなるよ」と私は言います。「かわいいと言えばかわいくなるとは保証できないけれどね」と付け加えます。

こんなやり取りの後,21日の朝刊に香山リカさん(精神科医)の「まずは自分を好きになって」というコラムがありました。

一部を引用させてもらいます。

『「見た目」が気にならない、という人はまずいない。顔だちやメーク、髪形、服装、体形などなどを、私たちは日々、鏡や写真でチェックしている。「身だしなみに気をつける」というのは、大切なマナーであることはたしかだろう。しかし、中には見た目を気にしすぎて、心のバランスを崩してしまう人もいる。 …中略… まずは自分で自分を好きになることが大切だ。「私はちょっとぽっちゃり体形だけど、これがけっこう魅力だと思う」とちょっと自信過剰になるくらいでちょうどいい。そうすると表情が明るくなるので、まわりの人も「ステキな人だな」と思ってくれるはず。』

私が子どもに言ったことはそれほど間違いではなかったようです。まずは自分の魅力を思うことが大切なようです。自分だけでなく親や友人など周りの人の誉め言葉も必要だとありました。誉められるのはうれしいことです。少し違うかもしれませんが本人の自覚と周囲によって人が変わっていく例として「地位が人を作る」という言葉があります。お相撲の「横綱」は自然に「横綱」になるのではなく,本人が「横綱」の地位を自覚し周囲は「横綱」として遇することにより「横綱」になると読んだことがあります。自分がそう思い周囲もそう接することにより人が変わっていくということでしょう。

子ども達の会話によく出てくる,「頭がいい」とか「頭が悪い」にも同じことが当てはまるかもしれないと思います。自分で「頭が悪い」と言い周囲も「頭が悪い」と言っていると本当に頭の悪い子どもになりそうです。「頭が良い」と言っただけで良くなるものではないでしょうが,「頭が悪い」と本が思っていると良くすることは難しいのだろうと思います。

子ども達が言う頭の良し悪しは,子ども達とっては重大なことですが,単にテストで点数が取れるかどうかといった意味で,私に言わせれば,ちょっと複雑なゲームの上手下手のような感じです。物の見かた文の読みかたといった訓練は多少必要ですが,上手に点数を取ろうと工夫すれば取れるようになっていくと思います。「頭を良くしよう」と思ってくれれば大丈夫です。

♥子ども達が容姿などを気にするのはとうぜんですが,おしゃれとはいえない私でも,それ相応の年になり,これからがおしゃれに気を使わなければならないかと思ったりします。年寄り臭いと言われるのは今一つですし身だしなみには気をつけなければと思っています。

♥高校入学したばかりの今春の卒業生が集まりました。それぞれ楽しく高校生活をスタートさせたようです。全員が違った高校に進学したこともありそれぞれの高校の話で盛り上がっていました。

始まったばかりで本当に高校生活になじむまでにはいましばらくの時間が必要なようですが無難な船出であったようで安心しました。

 

♥冬は食べないとは聞いていましたが,あんなに餌をやらなかったのにイモリもメダカも生きています。何とか越冬したようです。もうすこし暖かくなったら水替えをしなければなりません。

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