ごあいさつ
通信Back number 2017年4月~2018年3月
2018年3月28 日(水)No.352 受験シーズンが終わるころかと思います。中3は無事志望校に合格しました。何年ほど前からでしょうか,難関校といわれる高校の倍率が高くなっています。以前は1.2倍もあれば高倍率といわれましたが,最近の難関校は1.3倍だと低めで1.6倍などとなることもあります。挑戦する受験生が増えたのは,私立高校が様々なコースを設け教育内容を充実させ人気を集めているということかもしれません。公立を不合格になっても私立に行ってという考え方が普通になってきているのでしょうか。私立高校に対する評価が高くなったといえそうです。 別の理由として,通知表の5がつくのは100人のうち7人と決まっていた相対評価から,全員が5がつくこともある絶対評価に変わったこともあるようです。ランクが関係しているように思います。相対評価のころにはほとんどいなかったAランクの子が,絶対評価になってからずいぶん多くなっています。南高・北高などを受ける子の大半はAランクを持っているようです。高いランクがチャレンジする気持ちを後押ししているのかもしれません。 そして,受験が終わったということは受験が始まったということになります。新しく中3になる子ども達は来春に,そして中1になる子ども達は遠い先の話のようですが,ランクは中1からついてきます。 中1のスタート時のランクは315点満点(中1・2の持ち点が各90点,中3は135点)から1点も失っていません。持ち点315からのスタートです。中1の学年末の通知表に一つ4がつくと2点の減点です。ランクは減点法ですから,失った2点はもう取り戻せません。 このような仕組みのランクですが,子ども達には普段あまり身近なものとして感じられていないようです。ランクが現実的なものとして子ども達の目の前に現れるのは受験校を決めるときです。子ども達には先のことですからやむを得ないのかもしれません。 小学校はランクといった煩わしいものがありませんからゆっくりと自分のペースの勉強ができます。しかし,中学校の小テストや定期試験といったスケジュールの中,自分のペースを作り上げるのは大変かと思います。小学校から中学校ほどではありませんが新学期はクラス替えがあったり担任が変わったりと色々と変化するときです。 環境が変わりますからストレスは当然大きいと思います。子ども達は愚痴をこぼしたり何かに,例えばペットとかに,あたったりといったことがあるかもしれません。ペットは自分から近寄らなくなると思いますから大丈夫でしょう。そして,愚痴に対しては何も口だしせずに「そうなの,そうなの大変だね」と聞いてあげてください。口に出し聞いてもらうだけで気が晴れるようです。下手に口を挟むと愚痴を言わなくなるかもしれません。愚痴は貯めるとろくなことはないかと思います。少しづつ吐き出していれば問題はないと思いますが,下手にため込むとどこかで爆発するかもしれません。 ぜひとも子ども達のこぼす愚痴をよく聞いてあげて下さい。 私も「そうか,そうか」と心がけるつもりです。
• イモリ…久し振りに餌を食べました。しかし,留守の間は餌があたっていませんでした。気がつくとメダカがいなくなっていました。 |
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2018年2月27 日(火)No.351 問題を解いている子ども達の手元をよく見ます。子ども子どもした小さい子から大人とそう変わらない体格の子までいます。鉛筆やシャーペンを握る指は細く,見るからに柔らかそうです。そして,時折自分の手と指を見ます。子ども達に比べれば大きな手ですが,子ども達と同じように,少しも節くれだったところがありません。力仕事なんてしたことが無い手だなと,奇妙な物に見えたりします。力仕事といえば,アルバイトの土方仕事くらいでしょうか。茶碗より重いものを持ったことがないと言えそうな経歴です。私が子どもだった頃,周囲の大人の手はどんなだったのでしょうか?父親は節くれだった手をしていたように思います。 ところで,皆さんが行きつけのお医者さんの手はどんな手をしていらっしゃるのでしょうか。私の行きつけのお医者さんの手は私と同じような感じです。ですからお医者さんは華奢な手をしているものだと思っていました。ところがある時ごつごつとした手のお医者さんに会いました。そのお医者さんは毎日のように手術をしている方でした。一つの手術は立ったままで何時間もかかるそうですから,結構な力仕事のようです。そのお医者さんに会ってから手が気になるようになりました。 手といえば,中学生どころか小学生もマニュキアを塗ったりします。お洒落のつもりと大人の気分を味わいたくてしているのだと思います。マニュキアは単なるお洒落だと思っていたのですが,その昔はステイタスシンボルだったそうです。このことは新聞で知りました。手の爪に色や柄など装飾を施すということは水仕事をしない,つまり家事をしていないということを示しているそうです。台所仕事をしなくてもよい身分であることを表していたそうです。 爪に色を付けるなんて,健康にいいのかなあなどとくだらないことに注意がいく私でしたが,身分や地位と関連があるとは思いもよりませんでした。スパイ映画で女のスパイが修道女になりすますのですが,爪をのばしていたことから偽物であることがばれるというシーンがありました。確かに爪をのばしたり色を付けていては水仕事や力仕事はできません。 爪一つでもいろんな見方があるものだと思いました。 今の八十,九十代の人が子どもだった頃は井戸やポンプが普通にあった時代で,水を手に入れるにもそれなりの力が必要だったと思います。その頃はごつごつした手をした子どももいたのでしょうか?こんなことを言うと,手の持ち主に失礼かもしれませんが,手を見るとその人のほんの一部分ですが,推し量れると思います。 そういえば,卒業生で家具の職人をしている子がいます。帰省した折に顔を出してくれるのですが,さすがに職人さんといった手をしています。塾に通っていた頃の手は覚えていませんが,その当時から立派な職人さんの手をしていたはずはありません。手は彼の人生の一部分を示しているのだと思います。 私の手に節くれはありませんが,子ども達と同じように以前はペンだこがありました。字を書いた頃があったのです。今は字を書くことはあまりなく,ペンだこはほとんど目立たなくなってしまいました。どんなことをしているのかが手に現れることの一つでしょう。 小さな柔らかい子ども達の手先を見て,この子たちは将来どんな手をしているのだろうか,とふと思うことがります。どんな職業につくか,職業にあった手になっていくというか,自分の手を作っていくのでしょう。みんな良い手の持ち主になってほしいと思います。 • イモリ…餌はあげていません。水草がどんどん減っていきますから食べているのでしょう。いつから餌をやるのか思案しています。 —————————————————————————————————————————————————— |
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