ごあいさつ

通信Back number 1990年4月~1991年3月

 

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1991年3月14日No.28

 「この図の中に三角形がいくつあると思う」子供達から「二つ」「三つ」などと答えが返ってきます。図形の勉強は三角形をもとにして考えることが多いからです。こんな風に言うとかっこう良く聞こえませんか。確かにそうなんですが、いろんなことを子供達が答えるのがおもしろくてやっているようなところがなくはありません。複雑な図になると結構難しくて三角形がうまく見付からないことがあります。私より子供の方が先に見付けてしまうことさえあります。時にはあわてて四角形まで数えてしまう子供もいます。ところがこんなクイズのような調子で適当に答えている時、意外な発見が多いのです。例えは扇形を三角形と思っていた子がいたり、一部分が重なっていると気がつかないことが多いということなどです。一本の線で簡単に子供をだますことができるということに気がつきます。私が子供達に説明をするときに注意する点がはっきりと見えてきます。こうした気楽に答える雰囲気の時ほど後の説明がうまくいきます。

 また、三角形はおもしろいことに上下を逆さまにすると違った感じに見えます。子供遠のなかには本を逆さにしたり斜めにして問題を考える子もいます。本はそのままで首を傾ける子供、本も首も両方とも傾ける子もいます。時々本も首も同じ向きに傾けています。それなら何もしなくていいんじゃない、と言いたくなります。しかし本人は真剣にやっていて気がつきません。首が痛くなるんじゃないだろうかなんて思ったりしてしまいます。でも、そんなときの子供達はなかなか魅力的です。

 そして、折り紙は小さいころに十分にやったほうがいいのではないか、きっとそのほうが図形はよくできるんだなどと勝手に感心したりしています。実は私は折り紙が苦手で幼稚園のころから嫌いでした。図形と折り紙とがどうしてかいつも結びついてしまいます。

 

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1991年2月25日No.27

 子供達とおじさんとのやり取りをずっと書いてきました。私にもう少しまめな処があってメモを取っていたら、もっとおもしろいことを書けたに違いない。残念なことをしてしまったと今頃悔やんでいます。後の後悔先に立たず。何度繰り返してもこりない処は子供達といい勝負のようです。反省しなくては。

 このごろは少なくなった会話ですが、印象が強かったものに次のような子供達とのやり取りがあります。

 子供から「これ、なあに?」「”これ”っていう物はうちにはないよ」おじさんの返事です。英語だと日本語の意味を聞いているかそれとも読み方を聞いていることが多いのです。「これの意味だよ」と子供達、「これ」というものは無いとまた私は答えます 「”これ” っていうのが君の家にあるかい?あったら今度ここに持ってきて」このあと「うん、あるよ」と「うん、ないよ」のどちらの返事が返ってくると思いますか?即座に返事をする子供はほとんど「うん、持ってくる」と答えます。「ない」という返事はまずありません。「うん、今度持ってきてね,”これ”でなくちゃんと読めばいいしょせっかく知っているのだから。知っていることも使わないと忘れてしまうよ」

 狭い場所で少ない人数でやっているため、文字を指差して「これ」「それ」「あれ」で間に合ってしまいます。物には呼び名があります、その呼び名から形を思い浮かべたり、また何か他の物を連想したりすることがでます。おもしろいことを連想した時は笑うこともあるでしょう。それからみんなと話が始まって楽しい時を過ごせるかもしれません。だから私はできるだけ「これ」、「それ」,「あれ」を使わせないようにしています。いろんな物や事から,2たくさん連想できるようになりたいと思っています

    ◎私立高校の入試,学年末試験終わる

 いよいよ入学試験の時期となりました。21,22日と二日間の私立の入試が終わりました。そこで,子供達に今年も面接でどんな事を聞かれたか教えてもらいました。今年は昨年と違い「どうして受験するのですか?」という質問が多かったようです。それと今年から光星は面接をしなくなりました。試験問題については、その高校の毎年の傾向とあまり変わっていないようでした。しかし、私立高校に文理コースなど様々な進路が設定されたせいか、受験校が以前とくらべると多様化しているように思いました。

 一・二年生は学年末の試験が終わりこれから結果がでてきます。試験前に一・二学期の成績を考えてどの科目に重点を置くのか考えて勉強をするように話したのですが、うまく勉強ができて良い結果が出てくれれはと思っています。以前にも書きましたが内申点を取ることは子供にとって大切なことです。そのためには全科目というのではななく力を配分して勉強するようにと言っておいたのですが上手に出来たかと気になります。

  ◎クイズ・・・ガラスは何からできているのか?

  a凍った水   b砂   cブラインド

 *人間がガラスを作るようになったのは、今から三千年以上も昔のことだそうです。

  しかし、昔は作るのが大変でガラスはとても大切な貴重品でした。ところが、その後、簡単に作られるようになり、ゴミあつかいをされるようになりました。でも今でもビールやコーラのビンはお店に持っていくと五円か十円で引き取ってくれるはずです。昔。学生時代にコーラのあきビンを拾い集めてお金に換えたことを覚えています。なにしろ貧乏学生でしたから。

 

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1991年1月21日No.26

 「明日、塾あるの?」「うん、あるよ」「えー、明日もあるの」「無くなるとおまんまの食い上げだからね、おじさんがこまるんだよ」、何度も子供違と繰り返している会話です。冬休みなど、普段と違う曜日に来ることが多いときによくある会話なのです。気がつくと、「授業はあるの?」「うん、あるよ」「違う違う、私の授業はあるの?」「ああ、ないよ」、ようやく会話が終わります。何のことはありません、私のちょっとした意地悪でしかありません。わざと違う意味に取って答えているだけです。慣れるまではそれなりに大変なようです。質問をした子供は困ってしまうこともあって、どんな聞き方をしたらよいのか苦労しています。そのそばで慣れている子供はにやにやと「うん、あるよね」などと言ったりします。子供違は混乱しながらどんな表現にすれば良いのか考えます。少し意地が悪いと思いながらも、ついつい「あるよ」と答えてしまうおじさんなのです。

 こんなことは他にもたくさんあります。たとえば「おじさん。見えないよ」「なに見えないって、大変だ眼医者に行かなくちや」「違うよ、ホワイトボードが見えないの」「やっぱり眼医者に行かなくちや」「いいから、そこどいて」といったものです。ところが、この会話の中の私の言葉の1つが子供違を笑わせます。’眼医者’はおかしいと子供達は言うのです。「眼科だよ」とのことです。「歯医者」って言うんだからいいではないかと私は答えるのですが、子供達は「いいやおかしい」とがんばります。札幌では使わない言葉なのでしょうか?それとも子供違の言うように時代の違うせいなのでしょうか? 確か私は子供のころ’耳医者’という言葉も使っていました。しかし、このごろは聞かないし私自身も使わないようです。子供達と色々話ながら言葉のセンスをみがき子供達に最近の言葉事情をおそわっている私です。

    ○冬休み終わる

 お正月をはさむ長い冬休みが終わりました。十六日から平常の授業となっています。中三生は長い講習があり大変でした。しかし、全員あまり休むこともなく最後の頑張りをみせてくれました。入試まで残り少なくなっています。生活のパターンを朝型に変える時期かと思います、また食事など十分注意し体調を整えてくたさい。

 中三の苦労を横目に他の学年はスキーを楽しんできました。中二の参加者が多かったのですが存分に楽しんだようでした。彼等も来年は受験生です、だれもが通る道ですがまだまだ他人事としか彼等は思っていないでしょう。

 冬休みに中学生は何人かの欠席者がありましたがテストを実施しました。全体の印象ですが、一・三年が難しかったようです。特にこの時期は中三は簡単なことが多かったのですが今回は難しい科目が多く。数学はかなり苦労していたようです。しかし夏休みのテストと比べてみるとみんな力がついたと私はみています。テストの結果は私に対する評価でもあります、そういった意味で楽しみであり不安でもあります。

 小学生は最初の授業は あまりやらず、ゲームなどしました。「ウノ」は皆よく知っていてなかなか強い子もいました。小学生はもっと色々な事をやれればいいなと思ってはいるのですが、なかなか思いつきません。何かよいアイデアがあったら教えてください。 

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 1990年12月17日No.25

 前の号に続き、おじさんと子供違の会話から。

子供   「シャープの芯がおれた。」

おじさん 「折れるはずがない・さわりもしないのに折れたら・それこそ超能力だ。それはおったんだ。」

 「ノートが破れた」、「ワークが破れた」,「シャ’‘プがこわれた」、子供違がこんなことをいうと、おじさんは必ず「いや、おまえがやぶいたんた。」、「おまえがこわしたんだ」と訂正します。「おれた」・「おった」などたかがシャープの芯です。どうでもよいことかもしれません。でも、私はかなりのしつこさで、まるでいいがかりをつけるように、こだわって訂正します。子供によっては「いや、折るつもりはなかったから

 おれたんだ」と頑張ります。おじさんは、言葉遊びを楽しんでいるようにも見えます。昔から、しやれや語呂合わせなど言葉遊びは好きでしたからそのせいかもしれません。

 しかし、「おれた」と「おった」では意味が全然違ってきます。ふだん何と無く使う言葉ですが、ほんの少し変えただけで言った人の考えや、聞いた人の受け取りかたが変化することがあります。昔の話しになりますが、「ぜいたくは敵だ」という標語があったそうです。この短い標語のあるところに「す」をいれると意味がまったく違ったものになります。考えついた人は何て頭が良いのでしょう、言葉に対する感覚が鋭いんだな

あと感心させられます。こうした、言葉に対する接しかたや感じかたを私は素敵だと思い、自分にもそうしだセンスが身につけばいいと思っています。ところが、思いとは裏腹になかなかセンスのある言葉が出て来ないで、「おった」ぐらいというところです。英語の訳など子供違のほうが上手なくらいで、自分でがっかりすることもあります。

 暖かい日が続き花につぼみがついたなんてニュースを聞きます。季節感がおかしくなってしまいます。皆様には本年も大変お世話になりました、紙面を借りてお礼申し上げます。良い新年をお迎えください・来年もよろしくお願いします。

 なお、喪中につき年賀上は失礼させていたたきます。   By Moja—————————————————————————————————————————

1990年11月26日No.24

  「きいたからだめ」私が言おうと思っているうちにだれかに言われてしまう。最近は先を越されることが多くって言葉につまろこともあります。ここまでを読んで何のことかわかったとすると、親子の対話がよくあるという証拠になるでしょう。ただし小学生を除きます。小学生にはあまり言ったことがないのでわからないと思います。

 子供達は、私に「もう帰ってもいい?」とか「終わってもいい?」とかお伺いをたてます、私の許可を求めるわけです。そこで、私は最初に書いたように「きいたからだめ」と答えます。最初のころは、どうしたものか困ってしまう子供がいました。しかし、近ごろは、すぐに「もう帰るから」などと言い直して笑っています。慣れた子供になると、私が答える前に「きいたからダメ、でしょ」と先回りをして言ってしまいます。いささか私としては答えに詰まります。「うん、帰。ていいよ」と言う他はありません。

 今年の六月不幸があり大阪に帰るおりに羽田の飛行場であったことです。搭乗前にボディチェックを受けるとき、ガードマンが私に「ボディチェックをしてもよろしいですか?」と言いました。そのとき、私は何となくいつもの天邪鬼が顔をだし、「だめだと言ったらどうするの」とガードマンについ言ってしまいました。そのときのガードマンの顔には、困ったという様子がはっきりとでていました。「だめ」という返答を予想していなかっただろうし、ボディチェックは決まったものであり私が判断するなんて「この人はおかしいんじやないがろうか?」という顔つきでした。ボディチこツクの法律面のことは知らないので置いておくとして、私の判断と無関係に行なわれることであれば、「してもよろしいですか?」と言う尋ねかたはおかしいはずです。せめて「させていただきます。」位の言いかたがあるはずです。どうしてもボディチェツクをするのだったらもっとストレートに言ったほうが分かりやすいのではないでしょうか。

 自分の意志をはっきりと他の人に伝えるということが時には必要なのではないでしょうか。帰りたい時には「もう帰るよ」という方がいいと考えています。自分のことは自分が決めることだということでぼないでレょうか?

 なお、私は結局ボディチエックを受けたのですが、まあその手荒なこと触るというよりもはたくという感じでした。飛行賜ではつまらないことは言わない方が身のためだったようです。

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1990年10月29日No.23

 今月十四日にN中の日曜参観がありました。「見に来て」と言う子と、「来なくてもいい」と言う子もいます。結局は見に行って来ました。N中は割りと新しい中学で校舎の造りが昔の学校とは少し違います。建物は上から見ると「ロ」の字の形に造ってあるのだと思います。そのため、突き当たったから曲がるの調子で歩いていると元へ戻ります。また廊下にはベンチが置いてあり、階段には丸太で作った花を置く台などがあり、昔とはずいぷんと変わったなあと感じさせます。しかし、建物が違っても子供達や授業は特別変わっている訳ではありません。親が来ているのですから教師も子供達もどこかよそゆきのようでした。子供達は皆がきまじめな顔をしているようでした。前から見ることができるとまた違っておもしろいかもしれません。後ろからでは表情がはっきりと見えません、何だか残念なような気がしました。小学生だとよく後ろを向くのでそれも楽しいのですが。二四日にはT中の参観がありました。T中は平日ですから男はほとんどいません。いろんなクラスを回ります、おまけに髭面が目立ちます。学校の教師はどんな説明をしているのか聞いてやろうと思って色々と回ります。今回は理科を聞こうと思い、あるクラスに入りました。偶然そのクラスには私の塾生がいませんでした。教師には気の毒ですが、その教師の説明は塾生がいないこともあって、どことなくおもしろみの無いように感じました。やはり、塾生あっての参観のようです。

 小学生の方は学習発表会があります。低学年の子供ほど楽しみにしているのか、「見においで」と言ってくれます。劇の役などを尋ねてみるとほんの二言三言のセリフなのです。それでも張り切っています、私にはもうそんな元気はないだろうなと子供達に圧倒され、きっと上手に劇をやるだろうと思っています。Good luck

    ワカラナイウイルスの話

 私に同業の友人がいます。その友人の説に「ワカラナイウィルス」というのがあるそうです。このウィルスは感染したときの症状によって何種類かのグループにわかれています。特効薬があり治療が簡単なグループと、特効薬がなく治療に手間の掛かるものもあるとのことです。またおもしろいことに、だれから感染したかによって症状のでかたが違うそうです。それとこのウィルスほど「病は気から」という言葉があてはまるものも珍しいとのことです。

 実は、このウィルスの関数グループに塾生の一部が感染してしまいました。どこから感染したのかたどってみると、先生の「関数は難しい」という言葉が感染源のようでした。最も強烈な症状を表わす感染源で、子供達は気持ちが負けてしまいます。おじさんの頼りない薬では歯がたたずなかなか治療がうまくいきません。「病は気から」ですから、普段は精神論など嫌いなおじさんですが今回はかりは「簡単だよ」と繰り返しますしかし、なかなか思うように治療が進みません。「難しい」なんて言わないでくれればよかったのにと、おじさんがぶつぶつ言っても後の祭りです。ただ救われるのは、時間の経過とともに症状が軽くなるということです。今は、下手に何かするより軽くなってからもう一度治療をやろうと考えています。

 教訓・・・子供達に不用意な言葉を使ってはいけない(私が勉強になりました)

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1990年9月27日(木)No.22

 前回の続きから始めます。「誤り」の効用として、その一、「間違えたためにたまたまよいことが起こった」。その二、「逆境への耐性をつける」という所まででした。その三、「誤りが緊張をやわらげてくれる」。誤りや失敗が許されないと、緊張感から普段出来ることまで間違えてしまったりします、試験などでよくあることです。緊張を続けるのはあまりよくありません。「誤り」が許されることでリラックスし、かえって良い結果が生まれます。その四、「誤り」は、何が正しいかをはっきりとさせてくれます。このことは,説明をする私が最も感じることかもしれません。子供達全員が正解をだしてしまうと言うことが無くなってしまいます。そして、「誤り」を許す雰囲気があると子供達がいきいきとしてきます。間違えてはいけないという雰囲気はぎすぎすとしたものになり、子供達は何もしようとしなくなります。極端になると答えだけを書き写すということになります。これでは何も得るものがありません。自分の手でやってみてこそ、色々なことが理解できるようになるのではないでしょうか。

 「誤り」を許容するということは、教えられることと自分から学んだことの違いになるのかもしれません。人から教えてもらうことは、どこかに正解が用意されています。そのため、問題を解決するときに正解をさがすことになります。自分が知っている、知らないかのどちらかとなり知らないとなると問題を解決することをあきらめてしまうようです。自分から学んだことというのは、正しいかどうかがあまりはっきりとしないこともあります。しかし、成功や失敗したりした経験から身につけたものは、正解をあてにしませんから問題解決の場面では知らないからといってあきらめるということはなく色々とやってみようという姿勢が表われます。

  「誤り」の効用を書いてきましたが、注意しなくてはいけないこともあります。「誤り」をいつまでも続けられると困ります。「誤り」に気づくようにしてやるのがどうやら私の仕事のようです。「誤り」に気がつき他の方法にチャレンジすることによって、より良い結果がでます。私自身を考えてみると自分の間違いを自分で見つけるというのはなかなか難しいことです。子供達にとってもやはヽり難しいことでしょう。誤らせた後どのように気づかせるかが、私の工夫のしどころであり腕の見せどころなのでしょう。

   ★子供達のつぶやき

 中学生にとって内中点はとっても大きな意味を持っています。内申点は九教科の五段階の評価によって決まります。五段階の評価はSSと呼はれる数字によって決定することになっています。

 ところが、子供達の話を聞くとSSに比べ五段階の評価が悪いことがよくあります。その理由というのは、教師の言い分ですと、提出物(プリントやノートなど様々)がよくない・授業態度がよくない・忘れ物などといったことのようです。先日もある子がプリントをしないといけないと言います。提出すれば点数がよくなるというのです。実はこの点数が、私に納得のできないものを感じさせます。子供達の話ではSSに比べ評価の悪いことが多いのです。逆に考えればテストは悪くてもいいということなのでしょうか?

 私にも中学生の子供がいますが、親としては五段階の評価は悪いより良いほうがうれしいのは当然ではないでしょうか? そこで、子供の成績を気にする親の一人として、また子供達のために次のようなことをしてはどうかと考えています。

 子供の成績を上げたいということを,まず最初に教師に言います。それから提出物が悪いということを言われていることもはっきりと言います。子供に提出物の重要性を教えたいということを教師に知らせます。そのあと提出物について細かく、できるだけ詳しく説明をしてもらいます。たとえは以下のようになります。

 *提出物はSSの何点分にあたるのか、3が5になるぐらい効果があるのかなど

 *提出物は一学期に何回あるのか、一回分はSS何点になるのか

 *提出物にも評価がつくが、どのような点に注意すれはよいのか。字がへたなのは減点の対象になるのかなど

 *提出物を出さないときは、一回についてSS何点の減点になるのか

 *期限に遅れたときは出したことになるのかどうか、SSの減点はどれだけか

まだまだあるとは思いますが、この程度のことは聞いておく必要があります。提出物を忘れるなと注意しても、これぐらい具体的に話さないと子供を納得させることはできないでしょう。これは、忘れ物や授業態度などにもあてはまります。

 子供達は何となく割り切れない気持ちを持っています。それが仲間のなかでのつぶやきやぼやきとなって出てきます。せっかくがんはってテストで良いSSをとったのに評価が提出物というよくわからないもので悪くなってはかわいそうです。子供の成績をあげるため是非とも教師に聞いて子供に教えてあげてください。子供に教えるときには、こうすれは成績があがると言ってあげてください。

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 九月十五日に手稲に登ろうと計画をしていましたが、あいにくの天気で中止しましたこのごろは、休みというと雨が多いようで残念です。ウィークデイは秋晴れとはもったいない。今日も仕事をするのがバカらしいような良いお天気です。

                       By Moja

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1990年8月27日 No.21

 長い長いと思っていた夏休みも、もう終わりです。講習も終わります。私事になりますが、この夏休みはとっても大変な思いを致しました。キャンプの帰りに事故を起こしてしまいました。不幸中の幸いと言うか、子供が軽い怪我をしただけですみ、私の車がだめになった程度でした。一つ間違えるとおいしいお酒が飲めなくなっていたところです。ダンプが出てきてよけそこなって起こした事故ですが、判断の甘さがあったということです。こういう、取り返しのつかない事になる誤りは、二度としてはいけないと反省しきりのこのごろです。

 実は、「誤り」の勧めというテーマでまとめようと考えていた矢先だったのです。しかし、「誤り」には二種類あるということの確認には役に立つだろうと思い、敢えて書くこととしました。

 「してはいけない誤り」の代表が、私がやってしまった事故です。他の人に迷惑をかけてしまったし、時によっては命にかかわります。「してもよい誤り」、少し意味が変わるかも知れませんが、「誤り」の効用、間違えたおかげで自分が何か得をするということがないでしょうか? その例をあげますが、これらは講談社現代新書「誤りの心理を読む」 (海保博之著)からの要約です。

 その一、誤ったためにたまたま、良いことが起こった。

 道を間違えたため、たまたますてきなお店を発見した。これは、道を間違えなくてもそのうちに見つけるかもしれません。しかし、何となくもうけたような気分になりませんか。

 その二、「誤り」が逆境への耐性をつけてくれる。

 いつもいつも成功するとは限りません。失敗をすることもあります。失敗をし落ち込んだ時,そのままというわけにはいきません。どのようにしてそこから抜け出すかを失敗することで知ることができます。「奴隷解放宣言」で有名なアメリカの大統領リンカーンは二十二才で事業に失敗、大統領になるまで八回も選挙に落ちています。

 この他にもまだありますが、続きは次回にしようと思います。

 夏期講習が、終わります。暑いつらい日がいつまで続くのだろうかと思いやられました。子供達はもっと長く感じていたに違いありません。しかし、今年もユニークで私を「えっ、こんな考えかたもあったのか」と言わせる名答・迷答がいくつもありました。

 証明の問題など特に意外な所から攻められうなること度々でした。一人だけならともかく、何人かがやってくれます。自分の頭の固さを教えてくれる子供達でした。

 しかし、一方ではヽ正解を書くこと(求めることではありません)にいそがしすぎるという点が気になりました。もっとおおらかに間違いを許し、どうしてそんな失敗をしてしまったのか、どうしたらその失敗を防ぐことができるのか、もっと上手に説明できないものかと考えさせられました。

                    By moja

 

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1990年7月8日No.20

 期末テストが終わりまし。中一の数学は、どの学校もプラス・マイナスのところが試験範囲でしたプラス・マイナスは小学校の算数とは違って数学と名前の変わったことを感じさせてくれるところと言えるでしょう。子供によっては・混乱が始まるところです。「足し算」なのに足してはいけない、「引き算」なのに引いてはいけないという場面ができます。「足し算」 ・「引き算」は、自分で決めることになります。うまくできたり’失敗したりです。しかし、失敗をしながら自分で修正をして上手に計算ができるようになっていきます。ところが、なかなかうまくいかない子がいます。同じようにやって、同じように間違えるのにどうしてうまくいかないのだろうか? 同じように見える間違いですが、実は全然違います。うまくいかない子は,間違いかたに法則性が有りません。間違えてはいけないという気持ちが強すぎるためか、「足す」・「引く」を自分で決めず、まわりを見て多数決で決めたり、前の問題で足して間違えたから今度は引いてみるといった調子です。間違いかたに法則性のある子・自分なりの基準を持ち「足す」・「引く」を決めている子は、。自分の基準を修正する事によって正解を導くことができます。

 何年か前の卒業生に、英語でしたが、彼女なりの基準があり、それをもとにして問題を解いていました。彼女は「先生は違うって言うだろうけれど」 (当時は先生とおじさんと呼びかたがまちまちでした。)と言って自分の基準を話しました。彼女の予告どおり私は物知り顔に「そうではないんだよ」などと言い始めたものです。「そうだね、いい考えかただ、自分で考えついたなんてすごいんでしょう。」とほめるべきでした。そうすることによって、彼女の物の見かたはもっと素晴しいものになったと今は考えています。確かに彼女の基準は完全ではないので間違えることもあったのですが、物知り顔にいうよりは、基準を自分で作ったことをもっと評価し基準を完全なものに近ずけてあげれば彼女はもっともっと伸びたかもしれません。そんなことを思い出しながら、何とか子供達なりの基準を作る手助けができればと思うこのごろです。

*******編集後記********************

 期末テストの大切な時期に休ませていただき,ありがとうございました。以前から入退院を繰り返していましたので、まったく予期しないことではありませんでしたし、身近な人の死に接するのも初めてではありませんでした。しかし、年令の関係もあるのかもしれませんが、今までになく生きかたとか死にかたとか考えさせられました。死ぬということが、気のせいか身近なこととして感じられるようになったようです。

                           By Moja

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1990年5月23日No.19

 ゴールデンウィークがあり働いた日が少ないせいか、五月は短く感じます。いや,年のせいだという、外野からの声がかかりそうです。子供達と顔を合わせる回数が少なかったことになります。子供達は喜んだのでしょうか、少しは残念に思ったでしょうか?

 私の家で教室として使っている部屋には、カレンダーが三つかけてあります。2年位前からなのですが、落書き用として置いています。以前は自分専用として持ってきた子もいました。新しい間は、さすがに落書きはやりにくいようです。しかし、だれかが書き始めると書かないと損をするかのように書きだします。みんながみんな書くわけではありません。「落書きなんて、子供のすること。もう卒業したよ。」なんて言っている子もいますから。落書きの上に落書きを重ね、悪口を書かれると塗りつぶします。私には、だれのことかわからないことも、子供達はわかっています。まあきたないカレンダーになっています。しかし、一つのカレンダーだけは,きれいなものです。子供達なりに、私が言わなくても私の使うカレンダーとして別あつかいにしているようです。昔は落書きをするなと言ったものですが,そんなことに労力を使うより、子供違の落書きを見ているほうがずっと楽しいし、子供違も楽しいようです。子供達はとっても上手に絵を描きます。あだなを書いたりもしてあります。うまく特徴をつかみ、.うーんとうなってしまいそうなのもあります。

 おまけに、この春に掲示板をかねて、廊下にホワイトボードを置いています。これもかっこうの落書き板になっています。この前は、相々傘が書いてありました、今も昔も書くのですね。変わったようで変わっていないものだと感じました。書かれた本人がなるほどうまいものだと感心するような落書きを書いてほしいものです。この落書き板のおかげで、教室のホワイトボードの落書きが減り私はそれを消す手間がなくなりましためでたしめでたしです。

**編集後記**   何とか書けました。ほっとしました。 by Moja

 

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 1990年4月23日No.18

 

 新しい学年が始まり、二週間が過ぎました・スタートを切るという緊張感のある良い時期です。子供達は、クラス替えや担任が替わったりがかなりありました。子供達が教師達の評価を始める時期です。私やおばさんも評価の対象です。いい評価をもらいたいものです。子供達の学校の教師に対する評価は、前の教師との比較が中心となっています。当然ですが、今まであたりのよかった子供にかかるとボロくそです。反対にわかりやすいと喜んでいる子供達もいます。ある中学は、英語の教師が不評をかっています,子供達が声をそろえてですから、相当の教師だと思われます。そんな子供達に、私は「いい教師に当たっだね」と言っています。別に嫌味ではありません。「勉強とは自分でするもの」だと教えてくれているのでしょう。これを言うと子供達も言葉につまるようです。でも、不運を嘆くより自分のバネに変えて欲しいと思っています。中学一年はいろいろと驚いているようです。来るたびに報告をしなければ気がすまないようです。おもしろいことヽおもしろくないこと話すことが一杯有りすぎて、かえって話せないようです。いろいろと感じる時期です、このまま感じつづけてほしいものです。

 評価の対象である私は、少し力が入りすぎているようです。今年から、中学生は一回に英語・数学を四十五分づつに変えたことも関係があります。英語ぼうまくリズムが取れて、われながらうまくしたものだと思っています。しかし、数学はやり残してしまいそうな気がしてあせっているようで、どこか上滑りをしているのではと感じています。

 もし、子供達が何か気にしているようでしたら是非お知らせください。一回に二科目は気分の転換ができるという意味では、うまくいっています。私がもう少しリズムがとれるようになればもっとよくなると思っています。がんばらなくては!                    

   ☆御苦労様でした個人懇談

 お忙しい中、わざわざ私の所まで足を運んでいただきありがとうございました。子供達の違った面や、私の感じかたの見当外れなど勉強になりました。今後の参考としていきたいと思っています。

 懇談は、時間の許すかぎりやりたいと考えています。いつでも構いませんのでお電話をください。いろいろとお話をうかがいたいとと思っています。

   ☆廃品回収のお願い

 以前にもお願いしたことですが、私の大学時代の同級生が「草の実共働サービス」という小規模授産施設を経営しています。次のような設立目的を持つ組織です。

  ○設立目的

   障害のある人も無い人も、若い人やお年寄りもすべての人々が、その人なりに自立した生きかたがができることを目指しています。そのた   め、共に働き、助けあいお互い協力をしながら自立した生活ができることを目的としています。

 草の実の事業の一部として、廃品回収があり、毎月第四金曜日に私の家に来ています

 古新聞・雑誌・一升ビン・アルミ缶などありましたらお願いします。ついでの時に持ってきていただくか、お電話を戴ければ取りにうかがいます。ご協力をお願いします。

***********編集後期************************

 小学生と久し振りにプラバンをやりました・ブラスチックの薄い板に絵を画いてオーブントースターで焼きます。そうすると、くしやくしゃになりどうなるかとはらはらしているうちに、平らになって縮んだ絵ができあがります。絵を画くのも楽しいのですが失敗したと思ったのが、きちんとできあがるという、はらはらどきどきが一番楽しいところだと思いますオーブントースターがあれば、簡単にできます。プラバンは、模型を売っているおもちゃ屋さんに有ります。O.2㎜の厚さの物が適当です。

                    by Mo・Ja

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