ごあいさつ
通信Back number 1989年4月~1990年3月
1990年3月19日No.17 十五日は、中学の卒業式。十六日には公立高校の合格発表がありました。私には毎年同じことの繰り返しですが、生徒の顔ぶれは毎年違います。何となく、今年の卒業生と今までの卒業生とを比べてしまいます。この仕事を始めて、最初の卒業生から順々に思い浮かべて行きます。おばさんと二人で話します。思い出せる位ですから、たいした人数ではないのですが、当然ですが年と共に人数は増えてきています。話す時間は、毎年長くなっているはずです。子供達は、おじさんとおばさんに必ず話題を置いていってくれるのです。現在の一・二年生や小学生は、これから何かを置いていってくれるでしょう。いえいえ、すでにそうした子供もいるに違いありません。 中学一・二年生は、新しい仲間が増えています。人数の少なかったクラスはにぎやかになってきました・仲間と一緒に来ることにした子もいます。全然知らない子も交じっています。クラスのメンバーが変わると、雰囲気が少し変化します。好い方に向かってくれるようにと思いながら説明したり話したりのこのごろです。 先月の通信でお願いしましたが、何人かの方から御紹介いただいたおかげです。ありがとうございます。新しい子供達は私達に今までとは違う刺激を与えてくれます。そうした新鮮な思いを忘れないよう、感覚をいつも鋭くしておきたいものです。
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1990年2月26日No.16 私立高校の受験が、二十一日に行なわれました。二十三日の三年生の授業は、おたがいの報告会のようなものとなりました。「数学は難しくてぜんぜんだった」、「英語の文がとっても長くて、やっているうちに頭がぼーとしてしまった」、「面接で笑わしてしまった。だめだろうか」とか、緊張していた様子がうかがえました。ところが、「全部かけたし、記号だったからよかったよ」、「面接は、たいしたことも聞かれず、すぐ終わった」とか、緊張していたのに、はぐらかされたような面もあったようです。試験のでき具合については、苦手とする科目について話す子がほとんどでした。かなり気にしていることがわかります。一応、試験が終わり、こんなものかといった経験になったようです。これから、まだ公立高校の試験があり、その経験が生きると思います。 試験前に子供違が気にしていたことは、作文の課題と面接の質問でした。作文は大谷高校では毎年書かせています。今年は「私と友人」でした。ついさっき、昨年のことも聞いてみると、「中学時代の思いで」というようなことでした。中学時代の思いでは、面接で聞かれた子もいました。面接の質問は、公立の受験校を、皆が聞かれたようでした。部活をしていた子は、部活についての質問が多いようでした。’意外と少ないと感じたのは、高校を受験した理由については半分くらいの子のようでした。つきたい職業についてたずねられた子もいました。それと、面接の時間の長短です。二・三分から長いのは十分近い子までさまざまです。時間が短いのは、問題がないからすぐに終わってしまったのでしょう。長いのは、気にいったのでいろいろと尋ねてみたかったのに違いありません。 もう少しで、受験生には春がきます。卒業であり、別れの時、実は新しい出会いの始まりです。順送りで、二年生が受験生となり、私は、一回りを終わり、もう一度スタートについたわけです。 —————————————————————————————————————————
1990年1月25日No.15 冬休みは、講習に始まり、講習に終わった感じです。外野からはスキーに始まり、スキー,に終わったんじゃないのとの声がしそうです。何か、楽しみがないとだめですよと言い訳してしまいそうです。 三年生は、最後の追い込みですから、なかなか熱のはいった勉強ぶりでした。生まれて最初の入試ですから、かなりのプレッシャーを感じているはずですが、そんなプレッシャーに負けず、頑張っていました。その結果は、最後の日に行なったテストの成績に表われたと思います。テストは、数学が少し難しかったため、点数的に今一つと感じられる所は有りましたが、全体的に良くできていました。後、残す所は少しですが悔いのないよう、自分の持てる力を全部出せるように過ごして欲しいものです。 一・二年生は、さすがに三年生のような緊張感は有りませんが、和気あいあいのなか苦手な分野に取り組んでいました。苦手意識が先になって、大変なようでした。子供達は、豊かな想像力を持っているし、また、すぐれた感覚も持ち合わせています。しかし大人が上手に、子供達の感覚にうったえ、色々なイメーージをふくらませるように説明が出来ないと子供達は想像力を働かせません。もっと、もっと工夫の余地があり、私の課題が毎度のことですが、残されました。 おばさんのスキー奮戦記
雪崩に出会わずに、スキーから全員無事に帰ってきました。「スキーなんて絶対できるようにならない」とあきらめていたおばさんは、一昨年の冬、大決心の末、スキースクールを受講しました。スキースクールでは、ワースト四の下手さかげん。でも、さすが、スクールの講師はブロですね。プルークボーゲンで斜面を降りれるようになったのです。そして、その数日後、張り切ってニセコヒラフに行きました。さて、リフトに乗らなければいけません。実は、リフトに乗るのもおっかなかったのです。何とかリフトには乗ったけれど、斜面を見るとスキーをはいては降りれそうもありません。リフトで降ろしてもらおうと、リフトのお兄さんにお願いしましたが、「あちらにゆるやかなスロープがありますから」と言われてしまいました。行ってみると、おばさんにとっては恐ろしい斜面でした。だけど、もう降りるしかありません。スキースクールでおそわったように「はい、ここで回転!」と自分に言い聞かせ転びながら降りました。 今でもスキースクールでおそわった言葉を思い出します。「恐ろしいと思っても、スキーのヘッドを下に向けると上達が早いですよ」恐ろしい、できないのではと思って鏡のような所をすべり続けていると、恐ろしい思いはしません。しかし、色々なコースを楽しめるようにはなれなかったでしょう。何も知らずに難しいコースに行ったことが今はとてもよかったと思っています。これからも、どんどんチャレンジしてスキーを楽しみましょう。
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1989年12月18日No.14 先日、私の子供の通っている中学で、授業参観がありました。昨年は、子供が通っていないのに、参観させていただきました。それだけでなく、もう一つ別の中学にも参観に行きました。だいたい、私の子供の参観は毎年のように出席してきました。私が教室に入る、それだけでみんなの視線が集まります。男が参観に来るのが珍しいということなのです。教室の生徒達も一瞬ですがざわつきます。私が注目を集めるのはこの時ぐらいでしょうか。 中学の参観は、塾生には「いくよ」と言っておきます。子供によって反応はまちまちです。どうして参観に来るのだろうかと不思議に思うようです。「はずかしくないの」と尋ねる子もいます。「おじさんの子がはずかしがるのでは」と言う子もいました。子供達は、参観という行事をどんなふうに感じているのでしょうか? あまり来てほしくなさそうな子と、おもしろがる子とふたてにわかれました。 さて、参観の当日、最初に入るクラスを決めていました。そのクラスの前まで行き中をのぞくとだれもまだ参観の人がいません。入るかどうか少し迷ったのですが、まあ決めてあったのだし思い切って入りました。やはり、注目の的です。ざわつくなんてものではありません。生徒達のかなりの人数がくすくすと笑っています。教師は、私が原因とわかったようでした。しかし、生徒達がどうしてざわついたかまでは気がつかないようでした。実は、前宣伝がいきとどいていたようで、塾のおじさんとおばさんが見にくることをクラスの皆がよく知っていたようでした。そこに、二人で一番のりでしたから本当に馬鹿受けしたのでした。反省として、これから、おじさんとおばさんは別行動をとることにしました。また、あるクラスに入ったとき、塾生がいたのですが、まさか本当に来るとは思っていなかったようで、驚いたようでした。 いろいろと楽しい参観でしたが、塾生を見つけるのに制服は不便で困りました、皆が同じに見えるのですから。
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1989年11月20日No.13 このごろ中三の数学は円についての勉強となっています。相変わらず,私は教科書をろくに使わず説明をしています。あるとき,一人の生徒が,「接弦定理を学校でやったがよくわからなかった。友達に聞いたが,教えてくれなかった」といいます。私は, 「おかしいな,この前,確かに説明したはずなのに」と思いながら,わからないというのですから,もう一度説明するしかありません。それで説明を始め「円周の上をとことこと歩いていくとどうなると思う」と言ったとたん,その生徒が「それは,この前やったよ」と言います。「これが接弦定理だよ」と私,生徒いわく「先生は,おじさんのように,とことこ歩くなんて言わなかったよ。だからわからなかったんだ」。学校の先生が 「とことこ歩く」何て言うはずがありません。接弦定理という言葉もいったつもりでしたが,子供は「とことこ」の方をよく覚えていたということでした。子供なりの物の覚えかた,見かたがあります。そうしたことを大切にしていきたいと思います。 子供なりの,自分自身の考えかたというと「B君の法則」というのがあります。ある数学の図形の問題を,私が説明をしながら解いていました。私の説明は,珍しく教科書どおり公式を使ったオーソドックスなものでした。円の一部分の扇形の問題でした。公式は,どこまでも扇形は円の一部分として考えていきます。ところが,B君は足りない部分を加えて円として問題を考えました。問題には描かれていない部分を,自分で付けたしたのです。普段から,見えないものが見えるようにと言っている私ですが,案外見えていなかったことになります。B君自身は数字から直観的にとらえたようで,私のように,公式という眼鏡を通さなかったのがよかったのです。こういった公式や,常識といったものにとらわれず,又,書かれていないことを使い,自分の発想を持つということは素晴しいことたと思います。私も,「B君の法則」を同じような問題の時に,使って説明しようと考えています。
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1989年10月17日No.12 「違いのわかる男」という言葉の入ったあるコーヒー会社のコマーシャルを、覚えていますでしょうか? 子供達に聞いたところ、みんな知らないようでした。こんな時の子供の顔は「年だな、何だ古いことを持ち出して」と言っているようです。私も 「やはり、年かなあ」と感じます。しかしほかに適当な表現を思いつかないから、しかたがありません。 コマーシャルですから、「違い」がわかることがとても素晴しいことのように感じさせています。しかし、「違い」はだれでも簡単にわかることです。「違い」を強調するのは、何かごまかそうとしているからではないかと勘ぐってしまいます。本当は同じで、そのことを知られたくないからだなどと思ってしまいます。 「違い」を目立たせるのは、簡単です。何でもオーバーにすればうまくいきます。しかし、「同じ」を強調するのは難しいことかもしれません。例えば、人間の皮膚の色の「違い」は、一目見れば分かってしまいます。ところが、赤い血が流れているのは、目に見えません。反対に「違い」を隠すことは難しく、「同じ」を隠すことはやさしいようです。 「うちの子は、ちょっと数字や、言葉を変えると、もう解けないんですよ。」と私は、よく聞きます。これは、「同じ」を上手に隠しているからか、 「違い」に気を取られているからでしょう。考えてみると、テストの問題なんて、教師と生徒の化かし合のようです。生徒はどれだけ上手に「同じ」を見つけるかが、点数を取るコツということになるでしょう。 しかし、私達は、「違い」に注意することの方がずっと多いようです。食べ物の色や臭いがいつもと違うと、腐っているかもしれないからです。いつもの様子との「違」いは、危険を知らせることが多いからでしょう。でも、どうも人間は「違い」をものともせず、冒険をするようです。色や臭いなどの「違い」を乗り越え、新しい食物をふやしたのでしょう。食べることができるという、「同じ」を見つけるため命をかけたのでしょう。 子供達も、すぐ目に見える「違い」から×になるという危険を感じるのかもしれません。子供の勘は、よく当たるのです。そこで、子供達の手が止まります。手だけではなく、頭の回転もストップするようですそこで、私は「同じ」を見つけるように色々なことを言いだします。しかし、一度止めた回転はなかなか元に戻りません。冒険を、失敗を恐れないで、どんどんやってほしい、そこから、何かが生まれるのですから。どうすれば、「違い」よりも「同じ」に注目するようにできるのか、悪戦苦闘が続きそうです。
テストが続いています。プリントの用意に、いささかうんざり。高校生の数学も解いて、いささか仕事をしたといえるこのごろでした。 by Moja
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1989年9月24日No.11 一週間もの長い休みをありがとうございました。妹の結婚式は無事に終わりました。フエリーで、敦賀までおよそ三十時間の船旅のあと車で三時間ほどの道のりでした。日本海は波が静かで快適でしたが、大阪の暑さには参りました。連日三十度をこえ、おまけに蒸し暑く寝苦しい夜なのですから。同じ国内なのにこんなに違うとは日本列島が南北に長いということを実感できました。 十八日から一週間ぶりに子供達と顔を合わせていますが、ずいぶん久し振りのような気がしてなりません。夏休みなどもっと長く顔をあわさないことがあるのに、どうしてかなあ。でも考えてみると一週間ずっと、子供違のだれとも顔をあわさないということはないわけで、夏休みなんかはだれかかれかとは会う訳ですから、そこらへんが違うせいかと納得したしだいです。言い替えると子供達と会うことが生活の一部になっている証拠なのだ。仕事として自覚ができてきているのではと、自分をほめたりしています。 いい気になるなとは、このことでしょうが、よくいえば、これから自信につなぐことができればもうけものです。何事も自信を持って実行するほうがうまくいくに決まっていますから。妹の結婚式で実はスピーチをやらされたのですが、普段人前で話すなどあまりありませんし何を言っていいやら、あまり常識を持ち合わせていない私としてはつらいところです。こんなとき、気持ちを落ち着かせる方法は、これから自分が話すことは大切なことであり、立派なことをするのだから、胸をはって自信を持っていいのだと考えることだそうです。やはり、自信にあふれ堂々と話せば立派に聞こえるでしょうし、気持ちで負けないことは必要でしょう。中身が伴なっているのが最高なのは言うまでもありません。 これから、テストの時期になるのですが、子供達に何とか自信を持って試験を受けられるよう、色々とアドバイスをしなければと思ったりするこのごろです。
あわただしい月でした。その割りに書くこともなく、いよいよ種がつきるころかと思っています。段々と字数が減少しているようです。なんだか私の体力のようでいやな感じです。何とか盛り返したいものです。
by MOja
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1989年8月20日No.10 小学生は昨日(十九日)から新学期が始まっています。中学生はあと少し講習が残っています。今年の夏は暑く中学生は大変でしたが、皆は今までよく頑張っています。講習の前半はどうしても説明が多くなり、いま一つ活気が足りないようでしたが、説明が減って自分違の力で問題を解くようになってからは、がぜん活気が出てきました。この調子でというところですが、おじさんとおばさんが少しパテ気味となりヽ講習は残りがほんの僅かとなりました。でも、講習はとても勉強になり、子供達から教えられます。「○○の法 則」と名付けてもよさそうな、自分なりの解きかたを身に着けた子供がいます。その子なりの論理があります。私はというと、つい正 しいと言われていることを説明しようとしてしまいます。しかし、「○○の法則」を守った方がうまくいきます。子供なりの論理を尊重し、思ったようにさせると自分で修正をしていきます。「○○の法則」がたくさんできるようにしたいものです。 また、キャンプはけがもなく無事に終わりました。キャンプは講習などと違って子供達のいろんな面が見えて、私としては大変勉強になります。キャンプに行ったメンバーのうち、中三を除くとほとんどの連中がポートをこげないようでした。しかし、キャンプの三日間で、小学四年生の子も上手にこげるようになりました。初めのうちは思うようにならず、同じ所をぐるぐると回ったりしていたのに、すぐに上達しました。大人は何も教えずに、たた好きなようにやらせた、と言うよりは、ほうっておいたと言う方が正しいでしょう。「習うより慣れろ」と言いますが、失敗を気にしないでどんどん、何でもチャレンジすることが大切と教えられます。また、小さい子ほど包丁を使いたがりました。時間があまりなかったのでやらせてあげることができませんでした。もし、家で機会があれば是非やらせてあげてくたさい。指を切るかもしれませんが、刃物の取り扱いかたの勉強になるでしょう。学校の勉強も同じで、私の方からああしろこうしろと言うよりは、間違えていてもほうっておく方がうまくいくようです。私の方からとやかく言うと、子供違は待ちの姿勢となって何もやらなくなります。そうなると、私は言いっぱなし、子供は聞きっぱなし、お互い疲れて何もいいところなしです。そんなことを考えさせられました。 *******編集後記******** ある人に上下左右どこでもよいから「信天翁」の紙面に穴をあけるスペースを作って欲しいと言われました。綴じてくれているということで非常にうれしいことでした。それで、コピーを取るときにいろいろと場所を動かしたのですがうまくいきません。ややしばらく失敗をしてから、行数を減らせばよいと気がつきました。行数を減らすということは、書く量が減ることである。どうして、こんないいことにすぐ気がつかなかったんたろう。自分のドジさに驚いたしたいです。量は減ったのに、やはり書くのは遅くなりました。次こそはなんとかしたく思っています。
by,Moja ——————————————————————————————————————————————————
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1989年7月15日No.9 以前から時々聞かれていたのに、何となくそのまま答えないでほおっておいたのですが、うちのおばさんから「ちゃんと説明をしておけば」といわれ、それでは説明をしようかと思いたちました。何かといいますと「信天翁」のことです。すでに調べて知っている子供もいます。読み方は「しんてんおう」でも正しいのですが、「あほうどり」と読ませます。 アホウドリ,Diomedia albatrus ミズナギドリ目アホウドリ科。全長平均約九十センチ。体は白く、翼に黒い部分があり、後頸は黄金色。若鳥は上面黒褐色で下面白。以前には日本近海の太平洋上の島で繁殖していたが、羽毛採取のために多数殺されて減り、現在は伊豆鳥島に約五十羽が繁殖するだけ国の特別天然記念物および国際保護鳥。(ブリタニカ国際大百科辞典より) 飛び立つとき、どことなく不器用で、動きも鈍く人間に簡単につかまえられたそうです。しかし、長い翼を持つ飛しょう力の強い鳥で、一度飛び立つと何時間も翼を動かさずに滑空することができ、強い向かい風を受け苦もなく飛ぶことができるそうです。アホウなんて名前のせいか、天にまかせる、おひと好しの意味が信天にはあるそうです。でも、空高く飛ぶ力には魅力があり、「アホウドリ」には何となくおおらかな響きを感じています。 さて、夏休みが近くなってきました・アホウドリではありませんが、中学三年生は、羽根休めやよたよたと地上を歩いたりをやめて高く舞い上がって欲しいものです。ただ舞い上がるのではなく目的地を目差し一目散に飛んでくれればと思っています。いえ、一目散は、あまり良くないですね、舞い上がれば視野が広がるでしょうから、全体をよく見て正確な方向を見つけたしたほうが、結局は遠く目的地につけるのではないでしょうか。 夏休みは、高く舞い上がる助走、準備に一番良い時期かもしれません。いろいろな経験をしその経験を力とし蓄えることができればいい夏休みを過ごしたと言えるのではないでしょうか。子供達にとって楽しいみのりある夏休みであってほしいと思います。 簡単でした空き缶笛 出席者はヽ私とおばさんをいれて七人でした・用意した空き缶は二十はあったと思います、いろんな種類があるものです。大きさとは関係がなく、プルトップの部分にストローをつけて角度を調節すれば出来上がりです。ポーボーとフクロウみたいでした。缶に水を入れると音が高くなります。それで水を用意したのですが、そのためか、後のほうはまるで水遊びのようになりました。じつは、空き缶笛よりも、もっと簡単なストロー笛のほうが人気がありました。タンポポの茎の笛と同じです。ストローを切るたけでいいのです。 ちょっとうるさいのが欠点かもしれません。 月謝袋の返却について 月謝袋の返却が遅くなり子供違からもどうしたの早く戻してほしいと催促されています。父母の皆様にも御迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。月謝袋を「信天翁」を入れる袋としても利用したいと考えつき今まで手もとに置いておきました。 じつは。いつも「信天翁」を定期的に書こうと思うのですが。のびのびになってしまいます。それで月謝袋で期日を切ってしまおうということに決めた訳です。袋を返さないことには私が困りますので。これなら何がなんでも書かないといけないという仕組みなのです。私の勝手な都合で誠に申し訳がないのですが。これから月謝を納めていただいたときは領収書とお釣りだけを先に子供違にわたすこととさせていただきます。 毎月十五日には「信天翁」を書き終えるつもりです。そのため袋は二十日前後に「信天翁」が入って戻ってくるとお考えください。もし。書き上げれなかったときは空の袋が届きますので。そのときは。言うだけで書けなかったのだな。さぼったのかなとお考えくださって結構です。 しかし。それでは都合が悪いというかたもいらっしゃると思います。都合の悪いかたは御連絡ください。 何かで自分を追い込まないと。なかなかやり始めないというずぼらな私のせいで申し訳ないのですが御了承ください。 —————————————————————————————————————————————————— |
1989年 6月 19日 No.8 いろいろな手先を使った作業を子供違にやってもらうことがあります。例えば、地図を描いたり年表を作ったりとかです。これらは社会科で定期的にやります。その他に中三の数学の説明のために正方形をいくつか描きます。一センチの方眼紙を利用するのでたいして難かしいことでもありません。ところが、方眼紙が曲者でついだまされることがあります。方眼というのが問題で、それにとらわれていると失敗します。一度、試みに面積が2,5,10,13になる正方形を描いてみてください。気をつけてほしいのは辺の長さではなく面積だということです。見方を変えればやさしいことなのですが、方眼に気を取られていると失敗します。上手に描けたでしょうか。手を使って何かをするということは、そのまま実感として残り少しは覚えやすいのでは、また実感があると私としても説明がしやすくなりますから作業を使えるときはどんどんと使おうと思っています。 さて、正方形を描く子供違ですが、上手にみつけてどんどん描く子もいるにはいますが、ヒントなしでは厳しいようです。最後には説明をするのですが、「なんだ、そんな簡単なことか!」と子供違に言われてしまいます。実は、そう言わせたいのですから、内心はしてやったりというところです。ここまでは、いい気分でこれるのですが、いざ、本題にはいるとことは思うように運ばなくなります。通知せんをつけてもらって3なのがなによりの証拠でした。作業から説明へのつなぎかたがまずかったのか、でも「な~んだ」とか、「なるほどねI』とかの声があったのはうれしいことでした。 同じ手作業でも、べっ乙うあめ作りはにぎやかで楽しいものでした。少々べっこうあめの臭いで胸が悪くなったのが難点といえるでしょう。かなり面倒なことかと思っていだのですが、やってみると簡単簡単、ぶきっちょの代名詞のような私にもつくれるという、いかに簡単なことでも完成する、そんな大そうなことではないのだがやはりうれしいものです。注意することといえばこがさないようにするという程度のことです。アルミ箔のケースに砂糖十gと水を二ccあとは熱するだけ、失敗するほうが難しいのではというほどのことです。甘いものはめったに食べない私ですが、自分で作ったのを二つも食べました。成功するのはいくつになってもやはりうれしいことです。参加者は少なかったのですが どの子も楽しそうでした、今度はたこやきにしろという声がありましたので、そのうちたこやき作りもやってみようと思っています。でも、その前にあき缶を利用した笛作りをしようと思っています。自分で作ってどんな音がでるかやってみるのも楽しいのではと今から想像しています。 ***編集後記***** 今回は何を書こうか、書くことがないんじやないか? 小学校の作文のときから続く昔なじみの苦しみです。女の子に多いようですが、交換日記とやらよく続くと感心させられます。書くためにはネタが必要です。ネタは普段の生活から見つけなければいけません。見つけるためには、注意力と何事にも関心を持ち続ける精神の若さが必要なのではないでしょうか。書けたのだから私もまだまだ若いんだ、そうに違いないと自己満足です。
by Moja —————————————————————————————————————————————————— |
1989年5月23日No.7 ある時、女の子が私に「今日おじさんの頭、リーゼント風だね」と言うのです。私の頭髪については、子供達はよくわかっていまして、某卒業生は「モジャ」という適切な表現を使って表わしてくれたくらいです。私の頭髪は私の意志をまったく無視し、好き勝手に曲がりくねります。何とか手なずけようとしてみたこともありましたが、今では無駄な努力とあきらめています。まあ、長いつきあいだし、今さらじたばたしてもといった感じです。そうか、今日はリーゼント風か、次はどうなるのか、髪まかせ、髪だのみです。ところがと言うか、やはりと言うか中学生も髪が自分の思うようにならないのが気にいらないらしく、私の髪をうらやましがる子供もいます。「隣の庭はよく見える」そのままのことですが、真っ直ぐの髪を曲げるのにも、それなりの努力が必要なのです。何でも自分の尺度で物事を見てはいけないという教訓です。 中学生ぐらいですと、このように頭髪について、なかなか敏感です。「バーコード」という頭髪のあることを、私は知りませんでした。子供違からおそわったのですが、表現の適切なことと、時代の差を痛烈に感じさせられました。どんなスタイルなのか、言葉だけでわかる人は、文明の利器になじんでいると言えると思います。うちのおばさんに、この話をしますと「ああ、すだれはげね」という返事です。「バーコード」と比べ、なんて時代がかった表現でしょう。子供違は新しい物をすんなりと自分の物にする、柔らかさとしなやかさをもっています。年の差を感じさせられました。 しなやかな感受性に感心させられるのは髪なんかだけではありません。三者懇談か、家庭訪問かのどちらかでの場面です。教師、親そして子供がいます。教師は親にいろいろと話します。親は子供のことを考え、子供が教師に良く思われるように、良くしてもらえるようにと、教師と話を進めて行きます。ところが、親のそうした態度は、大好きな立派な親だと信じていた子供には、卑屈でいやなものに見えることがあるということです。この話をしたときの子供の裏切られたような残念な顔つきが印象的でした。好い子であってほしいと親が思うように、子供は立派な好い親だと信じ、そうあってほしいと思っています。同じ親として考えさせられました。又、こんなすてきな子供達が私のところに来ているのかと思うとうれしくもありました。 小・中学校は家庭訪問の時期のようです。小学校は運動会、中学校は修学旅行など行事があります。子供違には楽しみな時期かと思います。太平中では中問テストが終わりました。一年生は初めてのことで大変だったようです。色々といそがしい時期ではありますが家でも話題に困らないことでしょう。子供達と一緒に楽しく過ごしたいものです。 —————————————————————————————————————————————————— |
1989年4月24日 No.6 例年になく暖かい三月、四月です。今月の一日から税制が変わりました。買い物にいくと半端な金額になり面倒でだまりません。先日、税込みで六千一円の買い物をしました。端数の一円はまけてくれました。売る方もやはり面倒なのでしょう。もし、私が一円を持っていたらまけてくれなかったでしょう。と言うことは一円を持たないほうが、得をすることが多くなるのでしょうか。気候がおかしいたけでなく・変な感じがした一日でした。 子供違は別に変な訳ではありません。ただ、消費税という言葉は子供達もよく使います。社会の出来事でこれ程子供達に知られた出来事も少ないのではないかと思います。まるで、子供達が社会に関心を持つようにと作った消費税のようです。新聞などを読んでも不評ですが、意外な効果があるものたと感心させられます。 こんなことを書いてきたのは、春休みに「悪くいうと、良くいうと」という作品を書いてもらったからです。同じことがらも見方を変えると意外な表わしかたができます。子供達のセンスの良さを感じさせます。次のは作品のいくつかです、楽しんで読んで下さい。
「悪く言うと、良く言うと」 *本当の姿 長電話をする私 良くいえば 友達との交流を深め、おたがいの信頼を深める私 by わにの愛人 *本当の姿 口が軽い人 良くいえば 情報をいろいろ教えてくれるいい人 *本当の姿 おせっかいな人 良くいえば 思いやりがあり他の人のことを考える人 *本当の姿 パッパラパーの人 良くいえば 少しでもまわりの雰囲気を盛り上げるように努力 している人 *本当の姿 話が長い人 良くいえば 話をくわしく・わかりやすく話す人 by 利三 *本当の姿 すぐおこる人 良くいえば 人のことを思ってくれる人 *本当の姿 わがままな人 良くいえば 自分の意見をはっきりと言える人 *本当の姿 足のくさい人 良くいうと 自然的な香りを発生する人 *本当の姿 ぶりっこ 良くいうと おとなしい子 *本当の姿 授業中に寝ている人 良くいうと うるさくない人 *本当の姿 すぐに答えをかくす人 良くいうと 勉強になるようにと友違のことを思ってくれる人 *本当の姿 とてもへんなやつ 良くいうと みんなをとても楽しませているやさしいやつ by 志村 ケン *本当のすがた 肌の黒い人 良くいうと 外でげんきよく毎日遊んでいる人 *本当の姿 □が軽いやつ 良くいうと 情報がよくはいり事情にくわしい人 by 林家 ペー *本当の姿 すぐどじる人 良くいうと 何度も挑戦するねばり強い人 by たかぎ ブー
同じ内容を言葉をかえて表わす、簡単そうですが意外と難しいものです。子供は、しかるよりほめる方が伸びるそうです。皆さんも子供をしかる場面でどうほめればよいか、「良くいうと」どんなふうになるのか試してみてくたさい。 ***編集後記********* 春は塾生の募集など何となく落ち着きません。子供違も新設校の関係でクラスがえなどがあり、いつもよりざわざわしたようですがこのごろでは落ち着いてきました。みんなこれからと頑張っています。このまま続いてくれればと期待しています。 by モジャ —————————————————————————————————————————————————— |