ごあいさつ

通信Back number 2016年4月~2017年3月

 

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2017年3月21日(火)No.340

 この冬は穏やかで雪は少なかったようです。春のような日差しになり,公立高校の発表が終わりました。受験生は全員,人数は少ないですが,志望校に合格しました。受験生にとっては待ちに待った春でしょう。

私など毎年のことですが,自己採点の結果や本人の様子などから大丈夫と思っていても発表を見るまではどこか落ち着きません。まして子ども達にとっては初めてのことですから,受験前も後も不安な気持ちがあったことと思います。でも,発表の後のすがすがしい顔を見るのはいいものです。

彼らはよく勉強をしたと思います。土曜に希望者対象の自主学習の時間を設けていますが,今年の受験生は2年生のころからほぼ全員が休まずに参加していました。面倒な英語の長文の問題や苦手な数学の問題など,めげずにこなしたと思います。日頃からの積み重ねがあっての成果です。

もうすぐ学校は終業式を迎え新しい年度になります。お正月以上に気持ちを新たにしてこれからまた始めていこうと思います。

♥公立高校学力検査…3月7日(火)に実施された学力検査で目立ったことは表やグラフを使った問題が多くなったことです。これからも表やグラフの読み取りを使った出題は続くでしょう。各教科の配点などは次の通りでした。

国…裁量問題は21点の配点で,古文が少し易しかったようです。

数…裁量問題は20点の配点でした。

英…裁量問題は20点の配点で,聞き取りが15点の配点でした。

理…目新しい形式の問題や計算問題が増え難しかったようです。小問の配点は18点でした。完全解答の問題は小問36問中12問あり25点を占めました。

社…の小問は21点の配点でした。完全解答の問題は小問43問中17問あり25点を占めました。

出題形式や理・社の完全解答の問題数や配点は当分変わらなさそうです。

♥私が子どもだった頃(今から半世紀以上昔),バナナはごちそうでした。バナナに限らず卵だって高価な食品でした。今の子ども達が普通に食べているお菓子などめったに口にすることはありませんでした。

美味しいお菓子がふんだんにあり,子ども達は当たり前の食べ物として十分に食べていると私には見えます。ですから,それほどお菓子に対する執着はないだろうと思うのですが,そうではないようです。

多種多様なお菓子があり,私など聞いたことも見たこともないお菓子がふんだんにあります。しかもお菓子の値段は子ども達にとって手の届かない金額ではありません。限りなく食べたいお菓子があるとも言えます。

その反対にあったのが私の子どもだった頃でしょう。お菓子に執着をしようにも,高価で手が届かないもので,身近にあるものではありませんでした。身近なものは駄菓子ぐらいですから欲しがるも何も縁のないものでした。

高価なお菓子は正月や遠足や運動会に食べられるごちそうでした。普段は当たりませんから,特別な日にたらふくではありませんが,食べることができとても幸せな気持ちになれたのでしょう。

子ども達の話すお菓子のことから連想したのが海水を飲む話でした。海で遭難し水がないと周りにある海水を飲みたくなる。しかし,海水は飲めば飲むほどのどが渇きます。お菓子も食べれば食べるほどなのかもしれません。

同じようなことが子どものテレビゲーム(今でもそう呼ぶのでしょうか?)などにも言えるようです。それなりの値段がすると思うのですが,ここで終わりといったものがないようで次々と新しいゲームが出るように思います。ゲーム機やゲームソフトを作る会社がり,そこでたくさんの人が働いているのでしょうから当然のことかもしれません。

以前何かの講演会で,そうした意味で子ども達は絶えざる欲求不満の状態にあるという話を聞いたことがあります。おそらく,服など,ひょっとすると学用品でさえも同じような状況なのではないでしょうか。

子ども達はお菓子といい,色々なものが豊かな時代に生きているといえますが,同時に欲求不満を絶えず感じさせるストレスの大きい時代を生きているといえるのかもしれません。

物がふんだんにあって欲求不満を感じ,物はなかったが時たま手にはいることで満足できた,「豊かは貧しい,貧しいは豊か」なのかもしれません。大人達は豊かさを求め,子ども達に良い環境をと願ってきたのだと思います。しかし,子ども達にとって何が良いことなのかがわかりにくい複雑な世の中になったように感じます。

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2017年2月25日 No.339

 「昨日はどこに行ったの?」と尋ねられ「算数の勉強をした」と答える子はいないかと思います。しかし,子ども達と勉強していると,ついこんな珍問答を連想してしまいます。問題をよく読まずに,問われていることと関係のないことを書いたりすることが時折あるからです。

問われている内容を確かめずに,自分の知っていることを書くことが多いようです。ひとりよがりの答案です。大人でも周りの状況がわからずに自分の勝手な解釈で考えてしまうことがありますから,子どもに同じようなことがあってもおかしくはありません。

しかし問題というのは,必ず文章中に何を求めるかは書かれています。正解にたどり着くためには,まず文章中から求めるべきものを見つけることがまずは必要なこととなります。問題の文章を読む,子ども達にとっては,これが結構面倒なようです。小説や漫画は楽しく読めるのでしょうが,問題に書かれた文章はそれほど楽しいものではありませんから,無理もないのかもしれません。しかし,読まなければ正解にたどり着けません。

子ども達に「読め」と言えば,読んでくれるかというと,そんな甘いものではありません。どうすれば読んでくれるのか,というよりはいかにして読ませるのかといったほうがよいでしょう。つまり,どうしても読むしかないという状態にするしかない,そう考えています。

それで,どうしても読まないとうまく解けない問題はどんな問題だろうか?と考えてみました。以前から中学生に,段落の並べ替えの問題をやってもらっています。これは文章の関連がわからなければ解けないので,読ませるには効果があると考えています。しかし,小学生には,特に低学年では難しいようです。同じ並べ替えなら,英語によくある語順並べ替えの問題ならどうだろうかと思いつきました。並べ替えるためには全部の言葉や文を読まなければなりません。五つ程度の言葉を並べ替える問題であれば小学校低学年でも簡単にできます。少し複雑にしてみようと文章に手を加え,単語の並べ替えや,四つの文を並べ替える問題を作ってみました。

思い付きは悪くはないと思っているのですが,問題のレベルがわかりにくいのが欠点です。私が簡単と思っていても,作った問題を卒業生の大学生に見せたところ,「これは難しすぎる」と手厳しく言われました。

友達とおしゃべりをする,相手の話す内容がわからなければ,聞き直したり質問したりで相手の言いたいことがわかるようになります。自分の言葉を理解してもらうことも同じようにできます。しかし,書かれた文章の場合は,内容を理解できないからといって,質問をしようにも相手がいません。辞書を引くということが質問することに近いのかもしれませんが,これはこれで面倒です。やはり,読むことはおしゃべりのように簡単にはいかないのでしょう。

また,相手に何かを伝えるための文章を書くこともそれなりに難しいことです。小学生に算数の問題を作ってもらいますが,作文とはちがって普段書くことがない文のせいもあるのでしょうが,結構苦労しています。

読み・書きといかにも簡単そうにいいます。確かに,文字を読むことや書くことはそう難しくはありません。内容を理解する,考えを伝えるとなると難しいことです。私が書いている文章とてどうでしょうか,あやしいものです。どうすれば,読むようになるのか?書けるようになるのか?間単にはいかないと思いますが,試行錯誤を続けていくしかないようです。

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 2017年1月24日 No.338

 山歩きや渓流釣りの好きな友人がいました。相当の回数,一緒に山や川を歩きました。友人はいつも道案内役でしたから,一緒というよりは連れて行ってもらったというほうが正しいでしょうか。

友人は若いころから山歩きをし,とても上手に山の様子を見ることができました。登りと同じ道を下るときなどいつも感心させられました。周りを見渡し「あの地形が見えるから,あと少しだね」のようにどのくらい下ってきたとかがわかるのです。一緒に登っていた私にはどこも同じように見える地形のちょっとした違いを見て覚えているのです。私と見ている風景は同じですが注目する処がどこか違うのだろうといつも思いました。ひょっとすると注目する処が違うと,同じ景色も違って見えているのではないかと思ったりもしました。その友人は山に限らず車の運転をとってみても道を覚えたりすることが上手でした。真似をしようとしてみましたが,経験のなさと方法というかコツもわからなくて,うまくいきませんでした。近頃は山にもいかないので練習のしようもありません。

見ているものが違いますが,タブレットを使って感じることは,同じ画面を見ていながら,子ども達と私と注目する処が違うようです。彼らのように素早く操作をすることはとても大変です。大変どころか,私には不可能でしょう。山歩きとは全く関係のない話ですが,どう見るのかどこに注目するのかで,見える世界は違ってしまうようです。何に注目するか,山やタブレットだけではありません。問題を解くときも大きな鍵を握っています。風景ではありませんが,同じ文章を読んでいても違う意味に読んでいるのかもしれません。

山など同じ風景を人によって違ったように見ているのは素敵なことかもしれません。様々な見方や楽しみ方があって,みんなで自分の見える風景を話すのはとても面白く楽しそうです。

しかし,山歩きには危険が伴いますから,時には上手に皆が同じように風景を見ないと困ることもあるでしょう。それと同じように,問題文は違った読み方で違った風景を見ていると解ける問題も解けなくなってしまいます。決まった見方を要求されているといえるでしょう。自由に読めない注目できないということは面白みに欠けるということでもあります。勉強の面白く無さはそのあたりにもあるのかもしれません。

問題文を読んで面白おかしいもないのですが,注目すべき点は問題によって決まっていますから,慣れてくると楽といえば楽です。

注目する点を見つけるにはある程度練習が必要だと思います。でも,練習すれば上手になるとも思えません。タブレットはよくできたもので,たまにフリーズしたりしますが,でたらめに操作をしても壊れません。私の感じでは,でたらめにやって,たまたまうまくいくことは無くはありませんが,次にはつながらないことが多いようです。それなりに順序を考えながらやったほうが操作の仕方を覚えていると思います。やみくもに回数を重ねるのではなく,自分なりの決まりでいいと思いますが,次につなぐには順序良さと丁寧さが必要でしょう。

最初はやみくもにすることも必要かもしれませんが,そればかりでは行き詰まるでしょう。そこから順序を考えることができるようになれば良いのでしょう。皆が同じように風景が見えるようになる練習,そう考えると何とも味気ない思いがします。でも小・中学生の勉強とは子ども達が世の中に出る準備としてある勉強ですから,そうしたものなのでしょう。だからこそ少しは楽しくできればと思います。

♥冬の講習と中3の定期試験が終わりました。中3は追い込みの時期です。入試に向けてもう一段の点数アップを目指して勉強を続けます。予定表にはありませんが,月曜の5時30分から2時間の自由参加の勉強時間をとります。塾を上手に利用してください。

♥中3学力コンクール・対策模試♥

いずれも午前9時過ぎから始めます。午後までかかりますのでおにぎりなどの軽食でかまいませんので,昼食の用意をお願いいたします。

♥中1・2学年末試験対策♥

普段の曜日・時間帯とは異なりますので注意してください。また, 2月10,11日は長時間の予定ですが,可能な時間帯に塾に来て勉強すればよいと考えています。なお,軽食や飲み物をお願いいたします。

♥イモリ…年末年始,あまりエサが当たっていません。でも太っているように見えます。メダカも生きているようですが,水草のせいで,何匹生存しているのかよくわかりません。こんな調子で春までもつのでしょうか。

 

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2016年12月27 日(木)No.337

小学生が対象ですが,簡単な文を書いてもらっています。算数と国語のプリント,それに算数なのか国語だかよくわからない三種類のプリントを使っています。

自分のことを考えても,300回以上この通信を書いていながら文章を書くことに慣れることはないようです。子ども達にとっても文を書くというのは大変なことは同じようで,みんなそれなりに苦戦しています。見ているこちらが面白いと思うことは,苦労するところがその子によって違うことです。算数はスラスラなのに国語で苦労し,その反対の場合も当然あり,算数か国語かわからないプリントが一番困るといった子もいます。

しかし,文を書かせるプリントは一定のパターンを決めて作っています。ですから,いくつか書くとパターンがつかめます。パターンがわかればみんな上手に書くようになっていきます。プリントは内容を伝えることのできる文を書くことだけではなく,パターンに気が付くようになってほしいということも目的としてあります。

パターンがあることがわかると,新しいプリントを手渡した時にもパターンがあることを意識するようです。前のプリントとどこが違うのかということにも注意がいくようになってきています。

受験勉強をした自分の経験から言えることは,極端な言い方になりますが,受験勉強はパターンをどれだけ多く覚え,問題を見たときにどのパターンの問題かをすばやく見抜く力を身に着けるための訓練だということです。大学受験の数学はパターンを覚える一番の暗記科目だと思いました。今思えば,わかる・理解するなどと言ったこととは程遠かった受験勉強だったと思います。テクニックを身に着けるというほうが正しかったでしょう。それはそれなりに楽しい面はありました。

今の子ども達で考えればテレビゲームをクリアしていくのと似ているのではないでしょうか。画面を見てパターンを認識してテクニックを駆使しクリアしていく,数学の問題が一題ずつ解けるようになるのもそんな感じだと思います。数学とゲームを同じようにというのは少し無理があるかもしれませんが,数学の問題も簡単なものから難しいものへとクリアしていく点では同じと思えます。

子ども達に文を書いてもらうことで私のほうが教えられることもあります。パターンについては私が意図しなかった異なるパターンに気が付かされたりしました。また,私がアドバイスをするときに「が」・「は」や「の」といった助詞の使い方などをもっと注意しないといけないことなどいい勉強をさせてもらっています。

文章を書く練習として4コマ漫画のストーリーを書いたり,地図を活用したりと考えています。漫画は小学生にオチがわかるものでないといけないという点が難しいということがあります。地図のほうは,小学生はあまり自分の足で出歩いていないため,場所を言ってもよく知らないといったことがあります。しかし,どんなものができてくるのか試行錯誤の面がありますが,何とか工夫を凝らし子ども達にもっと文章を書いてもらい書くことに慣れてほしいと思っています。

♥はてテレビゲームというのでしょうか?今書いていて思ったのですが,昔のようにテレビに接続しなくてもゲーム機で遊べます。テレビにつながないのだからテレビゲームではないのでしょうか?何と呼べばよいのでしょうか。それとも,筆が入っていなくても筆入れ,下駄が入っていなくても下駄箱,これらと同じでテレビゲームでいいのでしょうか。

♥12月はプライベートなことで日程の変更などご迷惑をおかけしました。快く変更していただきありがとうございました。

今年もいろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。

 

 

♥イモリ…いつも水面から顔を出してじっとしています。時折,大きな音や何かのはずみに水槽を動かしたりすると驚くほどすばやく水草の中に隠れます。本当のところはどうなのかはわかりませんが,あまりエサも当たっていないのに元気そうに見えます。無事,冬を越せるのでしょうか。

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2016年11月28日(木)No.336

中学生の数学が図形の分野に入りました。数式はあまり出てきませんが,たくさんの線が出てきます。数えたこともありませんが,一つの問題で少ないと3本,多くなると何本でしょうか,10本もないかと思いますが,ごちゃごちゃした感じになります。ごちゃごちゃした感じが強いほど手間がかかり面倒な問題です。

当たり前ですが,線が減れば見やすくなります。ですから,問題を解くときには,たくさんある線のうち3本程度を選びます。次に異なる組み合わせで線を選ぶ,これを繰り返すことで解答にたどり着けます。3本の線を選んだとしても,それ以外の線が見えないわけではありません。いやでも目に入ります。ないものと思ってするしかありません。

音楽を聴くときには雑音を消してくれるノイズキャンセルのヘッドホンがありますが,印刷された問題の線を自由に消してくれる装置はありません。自分の頭の中で消すしかありません。これが意外に難しいようです。

そこで,計算用紙などに手書きで必要な線だけを描いたりします。ですが,絵を描くことが苦手な私です,問題の図と同じ様にはなかなか描けません。リアリティーに欠け子ども達にはピンとこないようです。

図画のころから絵を描くことは嫌いでしたが,線を消すのに苦労するとは思いもよりませんでした。

これは図形のお話ですが,似たようなことが国語の文章にも言えそうです。文章の要旨要点といえば,文章中の修飾語句などの部分をそぎ落とすことです。これも一苦労です。思うに,勉強は何かと減らすことが要求されます。今月は試験対策に追われましたが,試験が近くなるほど内容を絞らなければなりません。減らし始めると,もし出たらどうしようと気になります。気になって増やせばどんどん時間が足りなくなります。ですから,思い切りよく捨てなければ中途半端な勉強になってしまいます。しかし捨てるところを間違えればこれまたとんでもない結果になってしまいます。

子ども達に「捨てなさい」という私ですが,どうも減らすことは思うほど簡単ではないのかもしれません。例えば,旅行に行くときの荷物など増やすのは簡単ですが,必要最低限のものとなると何を持つか迷うものではないでしょうか。自分の持ち物を考えてもいらないと思うものは結構ありますが,捨てるとなるとなかなか決心がつきません。貧乏性のせいかもしれませんが,捨てることをテーマにした本があったと思いますから,一般的にも言えることではないかと思います。

しかし今は違った意味で,捨てるのもそう簡単ではありません。例えば使ってもいない古いパソコンが何台かありますが,ごみとして出せません。そもそも捨てるのにお金がかかるのですから厄介な時代です。

初めから何も持たなければよいのかもしれませんが,そんなわけにもいきません。手に入れる前によく考える必要があるということでしょうか。

♥線を消すのは適当なお絵描きソフトがあるのではないかと思いつきました。検索すると,高度な数学から子ども向けのものなどたくさん出てきました。多すぎて困ります。これまた捨てるのが大変です。私にとって使い勝手がいいかどうか,いくつか試してみようと思っています。

♥11月の中学生は試験勉強に追われました。中3は試験続きの三か月がようやく終わりました。でも入試まであと三か月と少し,これからも大切な時期ですが,今はホッと一息ついた状態です。そして,小学生は学習発表会の準備であまり勉強をしていないように感じます。学校というところはいつも何か行事があるようで忙しくて大変ですね。行事を減らせば先生達ものんびりできて精神衛生に良いのではと思ってしまいます。

♥学力ABC…北海道学力コンクール事務局の集計による平均点です。

五教科総合…A160,B173,C164点

総合Bが少し易しかったようです。今春の入試と比べると標準問題より学力A・B・Cは難しい問題でした。裁量問題は得点上位者には易しく,中以下の層には難しい問題だったようです。科目別の平均点は次のとおりです。

総合A…国語36点,数学27点,社会31点,理科31点,英語36点

総合B…国語44点,数学30点,社会32点,理科30点,英語36点

総合C…国語36点,数学29点,社会33点,理科30点,英語35点

♥冬期講習…12月の予定表を手渡します。お正月休みなど通常とは異なりますので,注意してください。

♥土曜の自由参加の中1・2は当分の間,英・数を中心に行います。

・英…長文の和訳 ・数…関数,図形

♥個人懇談…同封の用紙に希望の日時を記入し提出してください。

 

♥イモリ…寒くなり食欲がなくなったようです。でも太っています。メダカとは仲良く?共存しているようです。

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 2016年10月26日(水)No.335

小学生と一緒に,15日の土曜日に開拓の村へ行ってきました。寒さが心配でしたがお天気に恵まれ楽しく過ごしてきました。

まず,塾から篠路駅まで歩きます。パチンコ屋の駐車場が近道だと知っている子がいましたから,駅まで歩くことがあるんだとなぜか感心しました。ところが切符は買ったことがないという子がやはりいました。JRや公共交通機関を使うことが少ないうえにカードをタッチするだけで済む時代ですから,切符を買うといった経験がないのも仕方ないのでしょう。

開拓の村ではタイミングよく馬車鉄道に乗ることができました。線路の上をゆっくりとですが,一頭の小さなどさんこが私たち一行11人とあと8名ほどの人を乗せた客車を引っ張ります。子どもが半数以上ですが客車と合わせると1.5t以上はあるのではないかと思いました。徒歩で二十分もかからない距離ですが大した力持ちでした。

開拓の村は北海道の開拓期の古い建物を集めてあります。ガイドには52戸の建物があるとありました。そして子供たちが入って中をのぞいた建物の数となると3軒あったでしょうか?まず入り口の札幌駅の建物,これは入らないわけにはいきません,どこかのお役所の建物に入りもう一か所お役所と学校,そして私が駄菓子のお店に入ったのが最後の一軒でした。古い建物など子供達の関心はひかないのでしょう。

長い時間を過ごしたのはにぎやかにお弁当を食べた子ども広場でした。子ども広場は芝をはった場所にシーソーとブランコとベンチがあり,その横が小さな土のグランドになっているだけでした。そして,グランドには竹馬とコマと自転車のタイヤの輪の部分とが置いてありました。

子ども達の中に竹馬の経験者が二人いて,上手に乗っていました。それを見て他の子ども達も,経験者や私やおばさんに手助けしてもらいながらそれぞれ挑戦していました。乗れるとまではいかなかったようですが,竹馬に触れほんの数歩ですが歩いた感覚を持てたのは良かったと思います。

また,ブランコは鎖ではなく太いロープを使ったものでした。どこかロープと鎖との乗り心地は違うようで楽しそうに乗っていました。

一番人気は広場のそばの人工のせせらぎでした。はじめは岩の上を歩いていましたが,すぐに水に入りました。足首までつかる程度ですがもう水は冷たかったと思います。みんなの足が結構赤くなっていましたが,子供達は口をそろえて気持ちいいとのことでした。元気です。

せせらぎには砂があり,泥団子ならぬ砂団子を作って笹の葉に乗せおままごとなのでしょう。道路は舗装され土や泥をこねるという経験を子ども達はあまりしていないので新鮮な遊びだったのでしょう。

植物園に行った時もそうでしたが,子供達が時間を過ごしたのは何もない広場でした。そこにあるもの,今回は水と砂と笹の葉だけで遊び,その他といえばとてもシンプルな竹馬で遊んでいました。身近に十分に体を動かすことができる適当な広場がなく珍しかったのでしょう。というか,水や泥で遊ぶのは特別な場所でする遊びになっているのかもしれません。どこか近くにそんな場所があれば子ども達にはいいだろうにと思いました。

♥札幌駅までの電車の中で,子ども達の隣の隣に座った二十歳は過ぎた男の子がスマホをいじっていました。気が付くと子ども達が熱心にそのスマホをのぞき込んでいるではありませんか。その男の子はゲームをしていました。子ども達は身を乗り出してスマホの画面に集中しているといった様子でした。仲間がゲームをしているのを見るのと同じ感覚だったようです。仲間がしているのならともかく,たまたま隣り合わせた人のしているゲームです。男の子が気を悪くするのではとちょっとあわてました。でも男の子は特に嫌がる風でもなく,見せてあげている感じもあり,まあいいかと男の子におまかせしました。男の子は札幌駅まで一緒でホームでは子ども達にバイバイと手を振ってくれました。今どきの若い者はなどとよく言いますが人のいい感じの良い男の子でした

私自身はサラリーマンをしていたころに,ラッシュの電車の中で隣の人が読んでいる新聞や雑誌を見るともなく見た覚えがあります。大人ですから無遠慮にのぞくことはありませんが,果たしてのぞき見るのがいいことなのかという思いはありました。子どもが興味につられてのぞくのと大人ではまた様子は違ってきたのではなどと思いました。ある意味では子どもの特権なのかもしれません。それと,窓から見える風景よりもゲームの画面のほうが魅力的なのかと不思議な感じも持ちました。

♥竹馬には私も挑戦してみましたがしりもちをついてしまいました。年寄りの冷や水でした。

 

♥イモリ…寒くなり食欲がなくなったようです。でも太っています。

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2016年9月27日(土)No.334

九月は前期末試験,いわゆる副教科の試験に追われました。副教科と呼ばれるのは入試科目ではないからだと思います。私の高校入試は9教科で,最後の9教科の受験世代のようです。何と半世紀がたっています。

おそらく,入試がありましたから,授業の内容は今とは全く違ったのだと思います。中3の学力テストには音楽や美術が当然のようにあり,英・数が苦手な私には副教科が貴重な得点源でした。当然のように定期試験の試験勉強もしたと思いますし,市販の美術の参考書を買った記憶があります。お題目は受験生の負担を減らすという理由で次の年から5教科になりました。だからといって,別に受験競争が緩和されたわけではありません。抜本的なことには手を付けず,何かをした実績だけを作る,官僚的な発想でしょう。そして,子どものためといえば何でも良いことになってしまうという見本のような話かもしれません。

私の記憶では音楽史や美術史のような授業もあったことを覚えています。今は歴史の嫌いな子が多いのでいやがられるかもしれません。でも今の私の音楽や美術の知識の大半は中学の授業に負うところが大きいのです。私の少ない教養の一部を作ってくれた授業だと思っています。ですから,受験科目でよかったと思っています。とはいうものの,科目ではありましたが配点は低く,やはり副教科だったのかもしれません。

入試に出ないということは,授業は入試に縛られないということです。私が高校で受けた地学の授業はまったく教科書を使いませんでした。担当の教師は,まず受験で地学をとる人がいないことを確認しました。そして自分は星が専門で好きなので授業は星だけにしますと宣言,星以外の授業は全くしませんでした。その先生は自分の好きなことを楽しげに授業で話しました。それに釣り込まれたのでしょう。私は星に興味などありませんでしたがその授業は楽しいものでした。

音楽・美術・技術家庭科・保健体育は受験に縛られないのだからきっと楽しい授業がなされているのではなどと思うのですが,どうでしょうか。しかし,試験問題を見た限りでは期待外れのような感じがしました。古き良き時代を懐かしむ年寄りの愚痴なのでしょう。

今のシステムでは入試にはありませんが,だからといって高校入試と全く無関係ではありません。その五段階評定は内申点の4/9およそ45%弱を占めます。週に1~2回しか授業のない美術の「5」と4回はある数学や英語の「5」は同じ価値を持ちます。これまた,一票の重さではありませんが,短時間でとった「5」とその倍くらいの時間をかけた「5」が同じ「5」ですから,つまり,英語の努力は美術の努力より軽いということでしょうか。内申点という制度は普段の努力を評価するという名目ですが量的に考えると不思議な感じがしてなりません。

それはさておき,これら副教科は試験範囲が狭くワークやプリントをしっかりやれば点数を取りやすいといえます。ただ,実技に比べペーパー試験のウェートが小さいので点数が五段階評定にどの程度反映されるのかが分かりにくいのが難点です。しかし,副教科で「3」がついたりすれば,C以上のランクを取るのは厳しいのが実情です。「4」以上を目指すならペーパー試験を無視するわけにはいきません。

こんなわけで副教科の試験勉強に追われてしまい,9教科受験の昔よりも子どもの負担は大きくなっているのかもと思ってしまいました。

♥中学生対象の自由参加の曜日と時間帯を変更します。

学習内容は次のように予定しています。(今月末からは定期試験対策)

中3…学力テスト対策

中1・2…英語長文和訳や英作文を中心に問題演習,社会まとめ作り

♥中学生の国語の勉強に道新の電子版を使い連載や特集を利用しています。電子版は切り抜く必要がないし,見落としがあってもすぐに検索して探し出せるところが魅力です。しかし,ネットと同じように寄り道が多くなるのが欠点です。ついつい無関係な記事や特集を読んだりしてしまいます。でも,今までとは違った新聞の見方をそれなりに楽しんでいます。

 

♥イモリ…水草がなくなったので,新たに買いました。ついでにヒメダカを5匹買いました。現在は3匹に減っています。買ってきてすぐにイモリに食べられたのでしょう。あのとろくさい,動きの鈍いイモリがどうやってメダカを食べたのか不思議です。そして3匹に減ってからは今のところ食べられていません。これも不思議です。誰もがメダカをかわいそうと言います。かわいそうと言えばかわいそうですが,イモリもかわいそうです。しばらくは,いつまでかはわかりませんが共存するのだろうと思います。

 

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2016年8月25日(木)

小学生に熟語の意味を調べる宿題を出しています。子どもに辞書で調べるように言っていますが,教室には小学生用の辞書が今は置いてありません。もし小学生に辞書を引く練習をさせることがあれば必要になるかと思い久しぶりに辞書を買いました。

二冊はあってもいいかと思い,どの辞書にしようかとネットで調べてみました。ネットでは手に取ることができないため,中身がよくわかりません。だからといって,宣伝文句を読んでもどれにするかなかなか決め手にはなりませんでした。そこで,二種類買って使い勝手の良さなど比べてみるのも良いかと思い,異なる出版社の辞書にしました。

届いたものは大きさも違えば,片やオールカラー,実は私はオールカラーをあまり好みません,ついてある付録がまた違いました。一冊の辞書の付録には辞書の使い方の説明書がありました。

今さら辞書の使い方でもありませんが,何となく読み始めました。いや子どもの辞書と軽い気持ちで読んでいましたが読んでみるものでした。

お恥ずかしい話ですが,この歳になるまで辞書に「つめ」と「はしら」があるとは知りませんでした。

使い方の説明は次のように書かれています。

調べたい言葉の最初の文字を辞書の側面にある「つめ」でさがします。そして「はしら」で言葉の出ているページを見つけます。見つけると「みだし語」でその言葉を探します。

実際には図が入り親切に説明されていました。

それならば,辞書には「つめ」と「はしら」はどんなふうに書いてあるのかと思いたち,説明書が付録だった辞書を早速引いてみました。ところがその辞書には「つめ」と「はしら」の見出し語はありましたが,辞書については何もふれていませんでした。ひょっとすると小学生用だからなのかと思い,もう一種類の辞書を引いてみました。ちゃんと書いてあるではありませんか。説明書のついた辞書には載っていなくて,なんだか不思議な感じでした。説明書にあるから必要がないということでしょうか。

しかし,想定外は思わぬところにありました。

子ども達に辞書で調べるようにと言いました。しかし,「紙の辞書」とは特に付け加えてはいませんでした。実は,私の頭には「紙の辞書」しかなかったのです。懇談に来ていただいたお母さんから「紙の辞書ですよね」と言われ初めて気がつきました。今は電子辞書が当たり前で,高校生は普通に使っています。さらに,スマホで何でも調べることができます。私でさえ「ググる」時代です。うかつにも,家庭によっては紙の辞書などないかもしれないとは思いいたりませんでした。

電子辞書やスマホは入力さえすれば手軽にいつでも物事を調べられます。入力の規則以外はまったく知る必要はなくすぐに候補の言葉が出てきます。便利といえば便利ですが,電子辞書では言葉がどのようなルールで配列されているのかといったことを知ることはできません。また紙の辞書に慣れることと,紙の上の文字を追いかける習慣も身に着けばとも思いました。そして「みだし語」を探すことにより見開き全体を見る力がつき,文章の全体を見渡すことができるようになれば素晴らしいと思います。

ご家庭には出費をお願いすることになり申し訳ありませんでした。

♥全文訳…文章の全体をざっと読むことの反対かもしれませんが,今年の中三生は当事者には大変ですが入試問題の全文訳をやっています。習っていない文法事項や単語が出てきます。力がなければできないことです。読むスピードが速くなり和訳も上手になってきています。入試は時間に追われる面がありますからスピードが必要ですし,訳が上手になれば内容の理解もうまくいき点数に結び付くかと思います。

♥小学生に俳句や短歌を覚えて書く練習を始めました。短く覚えやすく,古い言葉に触れるのもいいだろうと考えたからです。しかし,古い言葉はなじみがなく意味がわかりにくいため,思ったよりも苦戦しています。

問題を解くことに比べ楽なのと物珍しさもあって楽しんでいるようです。

♥講習を終えました。講習中は蒸し暑い日がそれほどでなく助かりました。休みの中,子どもたちは熱心に塾に通ってきてくれました。毎年,あれもしたいこうもしたいと思いますが,なかなか思うようにはなりません。長年やっているのですからやることが減ってもよさそうなものですが,やればやるほどあれもこれもとやりたいことが膨れ上がるようです。よく言えば現状に満足していない。本当を言うと計画性に欠けるといったところでしょうか。きっと来年も盛りだくさんにしようと考えるのでしょう。

♥イモリ…食欲は旺盛で,元気です。やはり水草を食べているようです。

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2016年7月24日(月)No.332

今月は中学生の会話からです。会話の中に「壁ドン」という言葉があり,聞くともなしに聞いていました。しばらくしてから新聞で「壁ドン」をみつけて「えっ,普通に使われている言葉なのだろうか」と驚きました。ただし新聞は新聞でも映画の広告の中に使われていたものです。高校生の青春を描いた映画だったと思いますが「壁ドンもない青春」のようなことが書かれていました。

私は中学生の会話で初めて知ったのですが,広告にあるのだからそれなりに使われている言葉なのだろうと思い,私の息子に聞いてみました。息子によれば,それなりに使われているとの返事でしたしおばさんも知っていましたから,私が新しいものにうとかっただけのようです。

「壁ドン」の意味は中学生の会話からおおよその見当は付きましたが,「異性を口説くときに,相手を壁際に追い詰めて手を壁にドンとつく行為」とウィキペディアにあるそうです。息子によれば学生の間やネットでよく使われているとのことでした。どこから始まったのか知りませんが,若者の間で使われるようになった新しい言葉なのでしょう。

しかし,異性を口説くのに「壁ドン」とは何とも風情というか情緒がないと思います。かといって昔はどうだったかといわれると何とも答えようがありません。そもそも,脅迫するわけでもないだろうに追い詰めて,挙句の果て「ドン」などというのは何ともいただけないものを感じます。 

ところで若い人は,私などもう縁のない言葉ですが「口説く」という言葉を使うのでしょうか?中学生は「こくる」などと使っているようです。「告白する」の短縮形なのでしょう。「愛を告白する」,「罪を告白する」どちらが「告白」に似つかわしいのでしょうか?言葉の意味に対する感じ方は人によって違うかと思いますが「告白」は重く「こくる」は軽く感じられます。中学生あたりの年代にはふさわしいのかもしれません。

言葉は時代によりどんどんと変化をしていくものだと頭ではわかりますが,自分で使うのはためらわれるし聞いてもどこかなじめないものがあります。「チャリンコ」はかなり古くなった言葉ですから,普通に使えるようになりました。しかし,いまだに「全然」を肯定的に使うことには抵抗があります。食べ物と言葉については,その他のことについてはどうかわかりませんが,どうも守旧派のようです。

こんなことが気になったのは,穂村弘という歌人が,ある女性タレントのことについて書いた文章を読んだからです。穂村さんは私よりも10歳ほど若い人ですが,ある知らない女性タレントの写真を見て以来,どの女性タレントの写真を見ても同一人物に見えるといった内容のものでした。

それでふと思い出したのが,もう10年以上昔になりますが,プリンターを買う予定がありパンフレットを持ち帰ったことがありました。そのパンフレットに私の知らない三人の女性タレントの顔写真がありました。知らないタレントなので,塾生にパンフレットを見せ「タレントは三人グループなの?」と尋ねたところ大笑いされました。三人の顔写真ではなく,同一人物の三つの写真だったのです。穂村さんは別人が同一人物に見え,私は同一人物が別人に見えるという全く反対のことです。共通しているのは現在進行形のタレントさんについて無知だという点でしょうか。

穂村さんは歌人ですから,言葉である「壁ドン」などは鋭敏にキャッチしているのかもしれませんが,タレントさんを通して,どこか時代とずれているという自覚を持っているように感じました。

その文章を読み,私は何だか「ずれている人がいて,それでいいんだ」と妙に納得しました。私もどこか今の時代からずれていると思いながら,若い人と接しています。そして,彼らについていかないといけない場面もあるように感じています。しかし,年も年ですから無理せずに,若い人についていけるところは,若い人の言葉使いなど特に大変なのですがついていければと思っています。

 

♥イモリ…気温が高くなってきたせいか食欲は旺盛です。餌をやるのを楽しみにしている子がいて,その子がえさを鼻面にもっていくとものすごい勢いで食らいつきます。楽しんでくれているのでよいのでしょう。

 

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2016年6月24日 No.331

 「おじさん,ひげを刈れば」と塾生に言われました。「草を刈る」「芝を刈る」とは聞いたことがありますが髭も「刈る」のでしょうか?「うちのお父さんはひげをそるよ」と別の子が言います。ひげを伸ばしていなければ「ひげをそる」で問題はありません。果たして「髭を刈る」のでしょうか?

無精髭の延長で伸ばし始めた髭です。手入れなどといったことはあまり考えたこともありませんでした。写真を見てみると,若いころは結構長めの黒々としたひげを伸ばしていました。

いつの頃からか,長い髭は長い髪と同様に面倒だと思うようになり短めにするようになりました。しかし,ろくな手入れをしていなかったのに長いから面倒だというのも妙な理屈です。長い髭をそろえるのにはさみを使わなければなりませんが,短くするとバリカンでできるというのが主な理由だったようです。つまり手抜きですね,バリカンははさみに比べ格段に楽です。

髭を伸ばし始めてから30年以上になりますが,「そろえる」「整える」は使うことはあっても「髭を刈る」と自分で言ったこともないし誰かに言われた記憶もありません。「髭を刈る」は普通に使う言葉なのでしょうか?ただ,バリカンを利用すると「髪を切る」とは言わず「髪を刈る」と使うかと思います。であれば,私の場合も「バリカンで髭を刈る」となりますから塾生の表現は正しかったのかもしれません。

「刈る」という言葉からは草や芝がぼうぼうと伸びているというイメージがでてきます。私の髭もかなりぼうぼうだったのでしょう。それを見た塾生から感覚的に「刈る」という言葉が出てきたのでしょう。その子は普段からバリカンで髪を刈っているのかもしれません。

私にとっては意外な「髭を刈る」と言われ,次に「髭を切る」はどうだろうとも思いました。「髪を切りに行く」とは言いますが「髭を切りに行く」とは使いません。確かに髭をはさみで切りますが,手入れすることを「髭を切る」と言うかどうかわかりません。床屋さんや美容室は髪を整えるためのお店ですから 「髪を切りに行く」で正解なのでしょう。つまるところ床屋さんで髭を整えてくれますが「髭」だけを整えに行く人は少ないでしょうから「髭を切りに行く」人はいないということになります。

私が髭を伸ばし始めたころを思うと,この頃はずいぶん髭の人が増えたと思います。しかし,今でもスーパーなどで,ベビーカーの子が珍しそうに私の顔を見ていることがありますから髭はまだまだ少数派なのでしょう。

「刈る」でも「切る」でもどちらでも良いようなものなのですが,言葉の使い方や髭について考えさせてくれた塾生の一言でした。近頃,文の書き換えの問題を作ろうと思いたち言い換えのできる言葉や表現,短文を考えていることもあって気になったのかもしれません。子ども達とこんなやり取りをし楽しいひと時を過ごしました。

♥植物園…お天気に恵まれ元気に遊んできました。最初に博物館,子ども達は,動物の名前を読みながら標本を見ていました。標本とはいえ実物ですからインパクトがあったのだと思います。次に温室,ランやサボテンのきれいな花が咲いていましたが,ウツボカズラとハエトリソウが人気でした。動きのない植物ですが触れると葉が閉じるハエトリソウは面白かったようです。昼食後はローンで鬼ごっこや側転をしたりと体を動かし続けていました。バラ園など見たかったのですが,まったく興味はないようでした。何にせよ,子ども達は楽しく過ごせたかと思いますのでよかったのでしょう。

♥イモリ…水替えをし水草を新しくしました。水草があれほど減ったのはイモリが食べたせいかと怪しんでいます。本当に水草を食べるかどうかはまだ調べたことはありません。

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2016年5月26日(木)No.330

 新学期が始まり二か月が過ぎようとしています。学年が進み環境が変化しましたが,少し慣れてきた頃かと思います。しかし,小学校と比べあまりにも変化が大きい中一はそう簡単にはいかないかもしれません。

勉強の面で子ども達に結構な負担となるものにワークブックがあります。小学校では宿題は出ますがワークというものはないかと思います。ワークは定期的に提出があり,ワークの出来は五段階評価に影響します。

さて,このどこが大変なのでしょうか?ワーク1冊のページ数は100を超えます。少なめに見てどのワークも100ページとします。太平中は社会のワークがないので4冊,その他の中学は5冊あります。少ない太平中の合計で400ページになります。つまり毎日1ページずつやっても365日で間に合いません。ワーク以外にも課題が出されるのは当然です。

毎日勉強をする,なかなか大変なことです。私が毎日のように勉強をするようになったのは受験勉強を始めた高校2年生の3学期からでした。しかも,日曜は勉強をしない勉強休みの日と決めていました。それまでは学校の授業でまじめに勉強をするだけでした。これも少し怪しいですね,授業中に鉛筆を削った覚えがありますし,宿題だってちょくちょく忘れていきましたから。受験が終われば,ご多分にもれず毎日の勉強とは縁がなくなりました。試験前のにわか勉強の繰り返しでした。今も毎日するべきことをしなければと思うのですが,怠け心に負けてしまっています。毎日ワークを1ページするなんて私にはとてもできそうにありません。

1ページでも大変と思っていたら甘かったようです。中1の話では同じワークを何回もやるように言われたそうです。具体的にはワークに書き込まずノートに書いてやるように指示されています。できなかった問題をもう一度するのはわかりますが,その辺はどう指示されているのでしょうか。

いつか変わるかと思ったこともありますがどうもなさそうです。部活の猛練習ではありませんが量に対する信仰はとても強いものがあるようです。漢字や英単語の練習が代表です。書けるのか書けないのかは問いません。間違える子がほとんどいないと思われる,自分の名前に含まれる漢字や「I」ですら容赦なく決められた回数を書かなければなりません。たくさんやればできるようになる,確かに練習の回数が必要な事柄はありますが,それほど単純なことではありません。回数でできるようになるのなら勉強は簡単なものです。誰もができるようになります。

同じように,ワークを残らずにするというのも不思議でなりません。できる問題もできない問題も関係なく全部しなければなりません。

勉強は目的をもってするものです。知らなかったことを覚え,解けない問題を解けるようにするものだと思っています。腕前が落ちないように時折りおさらいをするといったことはわかりますが,できることを何度も繰り返しすることが果たして勉強でしょうか。極端な例ですが中学生に九九の練習を今さらやらせているようなところがあります。質を問うということが余りにもなさすぎると感じてなりません。

内容もありますが,ワークを二回するということは,先ほど計算したように毎日2ページしても間に合いません。学校側は可能と考えているようですが,はたして中学生が普通にこなすことのできる量なのでしょうか。いかに効率よく上手に,どうすれば自分のためになるかを考えて課題をする必要があるかと思います。

せかせかと追われていては勉強にもなりません。ですから,効率良くという言葉もどこか冷たい響きがあって好きになれないのですが,子ども達が自分の時間を作り出すために効率良くは必要なことでしょう。

量と言えばプリントも結構な量で出されています。簡単に安価に印刷ができる時代です。貧しい時代だった私の中学生のころはワークを買う余裕がなかったと思います。いえ,プリントの印刷だって時間と労力とお金が必要な時代でした。課題といえば教科書の問題が出るくらいだったでしょう。豊かになりワークとプリントに追われる中学生を見ていると,今どきの中学生は大変だなあと思います。

♥植物園に行く予定です…中学の試験が終わってから北大の植物園に行く予定にしています。日程等は決め次第お知らせします。 

♥イモリ…暑くなったせいもあってか,食欲旺盛で毎日のように食べます。1日餌が当たらないと,亀の餌も飢えには勝てないようで食べています。

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2016年4月25日(月)No.329

 算数の問題を作るため,いろいろな数値を知る必要がありネットで調べてみました。チーターの速さやカタツムリの速さ,お米一合の重さや五百円玉一枚の重さといった,たいして意味のない数値です。調べていると,ついでに色々なことがでてきます。調べようと思ったことはそっちのけでポテトチップス一袋のg数やカロリーなど,必要のなさそうなホームページに寄り道して時間が過ぎてしまいます。ああ時間ばかり使ってと思いますが,ポテトチップスは問題に使ったからよしとしました。

寄り道をしてはいけないと言われますが,結構役に立つこともあるかと思います。ネットの寄り道のおかげで人間を作る細胞の数が60兆個だとか血管をつなぎ合わせると地球を2周半するとか,血液は心臓を出て30秒もすればまた心臓に戻るといったことも知りました。別に学校で習うことでもないし試験にも出ませんが,人間の体のすごさを感じさせられました。こんな雑学で子ども達も人間の体はすごいと思い少しでも関心を持ってくれればと思います。

確かに試験に出ることがらを覚え問題の解き方を覚えれば,それで点数につながるのかもしれません。しかし,すそ野というか広がりといったものがありません。多少は積み上げることはできますが,広いすそ野を持った高さに比べどこか危うさがあります。

すそ野を広げるにはたくさんの知識が必要かと思います。そして知識を広げるためにはたくさんの好奇心があればよいでしょう。世界は広く知らないことや不思議なことがたくさんあります。心の中にアンテナをいっぱいに広げ周囲の人や物事について何か感じ取れればすばらしいことです。楽しさや不思議さを感じることが何かを始めるきっかけになるかと思います。何かを始めることで経験が増え知識も増えていきます。すそ野を広げるとはそんなことではないかと思っています。

それとめげない気持ちでしょうか。興味を持ってもなかなかやり始めることができないとか,やり始めてもスムーズに進まないなんてこともあるでしょう。そんなときは無理をして続ける必要はないのですが,うまくいかないから,わからないからと言って,簡単にめげないようにしたいものです。頭の片隅に置いて一息入れればよいでしょう。目いっぱいに走り続けるのは疲れてかえって能率が落ちます。それこそ音楽を聴いたり楽しい本を読んだりして,気持ちを切り替えればいいでしょう。「やらなければ」ではなくちょっといい加減にやれば気持ちも楽ですね。音楽を聴いているときなど,うまい方法が浮かんだりすることがあるかもしれません。

何にでも手を出していると「熱しやすく冷めやすい」あまり良い意味では使われませんが,熱することがないよりは余程よいと思います。無理をしない範囲でおもしろそうだと思うことは何でもやってみればいいと思います。その中から自分に合ったものが見つかればよいのです。また,何でもやって少しでも自分の世界が広がれば楽しみが増えるのではないでしょうか。ただし,無理は禁物です。

これは,問題を作るといいながら私がネットで時間をつぶしている言い訳かもしれません。

♥面倒なのですが…「ああ,面倒だ」と思いながら問題を作っています。ないから自分で作るしかないと思っています。実は探せばどこかにあるのかもしれません。でも,書きましたようにネットで調べたついでに,役立ちそうもない知識が身につくようで,それなりに楽しくやっています。一年余り作っている割には大した数になりません。作ってはみたけれど,たくさんできそこないがあって,ひょっとすれば半分以上が無駄に時間を使ったことになってしまったようです。しかし,無駄を恐れていては一歩も進みません。問題を作り続ける,このあたりが私の今年の目標になりそうです。

♥イモリ…水替えをしてやらないと餌もやらないといけない,何とか二日に一回程度に餌をやっています。6月が来れば2年目に突入です。

 

 

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